うさぎとの触れ合い
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笑って、嘘泣きをして、怒られて、また笑って。楽しい日々とはあっという間だ。
恐ろしく苦い薬は残り一粒。しかも今日は飲んでいない。
そっと紙袋を揺らしてバグの後遺症であろう真っ黒に染まった右手に薬を落とす。
しばらく見つめてから、そのまま手の中にある薬を口に放り込んだ。
苦い、初日から味が変わるなんてないから当然である。だが、空になった紙袋を見ているユゥの背中はどこか寂しげであった。
相変わらず美味しいはずの温かな食事は喉を通らず、シグも下を見つめている。
最後の日ぐらい、見送りをしていこうと思った兄弟は、学校に行こうとしているトーガの元へと駆け寄った。
「邸内は走っちゃダメって言ったじゃない」と笑っているトーガも、無理をしているようで表情が歪んでいる。
「今日竜の息吹に行くんでしょ?会うのはきっと最後ね」
「……久々に家が楽しいと思えたわ、ありがとう。じゃあね」
バイバイ
そういうと、トーガは走り去っていく。
トーガの目元からは何かがきらりと光り輝いて落ちていった。
……泣いていた。
どうすればいい、俺たちみたいな貧民の出来損ないになにかできることはないのか。
遠ざかっていくトーガの背中を見つめていたユゥとシグはその場から動くことなく、扉の前に立ち尽くしている。
思考がぐるぐると巡る中、突然肩を叩かれて意識を取り戻す。
何事かと思い振り返ると、そこには使用人が立っていた。手元には、折り畳まれた衣服を持っており、それは自分たちが来ていたものであることがすぐにわかる。
そうだ、風呂を借りた後、自分たちの着ていた服は洗濯をすると言われたのだ。
言われた通りに綺麗に洗濯されている、おまけに破れていた部分も綺麗に縫い直されていて、脱いだ時のボロボロな服とは見違えたようだった。
「こちら、お洋服でございます。勝手ながら破れてらしたので直させていただきました。」
「…ありがとう、ございます。」 「綺麗な布……」
「お食事をご用意致しましたので、お部屋へどうぞ。」
……
「あの」
ユゥは、良くしてもらった邸内の思い出をぽつぽつと思い出して、自分は一才恩返しが出来ていないことも同時に思い出す。
……といってもただの言い訳だ、楽しかったし、この生活を手放したくないだけ。
綺麗事上等だ、そう思うと、ユゥは眉を吊り上げて、決意をしたような表情をして使用人に話しかけた。
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ぷぅ。
ぷぷ、ぷぷぷ。
「ぴ」 「どうしたトーガ、元気ねえな」
学校帰り、生気が無くなったように可愛らしいうさぎの背中を撫でているトーガ。
「ぷぷぷ」と鳴いているうさぎの鳴き声に釣られるようにトーガも発するが、それをボットは心配そうに眺めていた。
そう、今日はあの掲示板に載っていたウサギとの触れ合いのイベント当日。
周りには沢山のウサギと戯れている人々で賑わっており、皆が愛おしそうにウサギを見ている。
なおトーガの表情は周りの笑顔とはかけ離れており、あきらかに場に合っていない。
「そんなに寂しいんなら引き止めればいいじゃん」
「さっ寂しくなんか!」
反射的にボットの方へと顔を向けて発言を否定するが、ゆっくりとウサギへと視線を向けて、だんまりとしてしまった。
彼らには彼らの人生がある、私一人の意見で引き留めてはいけない。
首元を撫でてやると、ウサギは嬉しそうに目を細めている。幸せそうだなあ、とトーガが見つめていると、そんなトーガをつまらなそうに見ていたボットが突然表情を変えた。
背負っている大きな鞄に入っているカッターナイフに手を伸ばして、皆がウサギと戯れている広場の正面にある大通りを睨むように見ているボットは、ぐっと足を踏ん張っている。
突然のことにトーガが困惑していると、ボットは一言。
「来る」
ゴォォッ!
その瞬間、大通りから豪風が襲ってきた。
驚いたようにウサギが逃げていき、遊んでいた人々も豪風に飛ばされまいとその場に立ち止まり、目を閉じている。
豪風がやみ、ゆっくりと目を開くと、そこには……
「ウイルスだ!!!!」
大きな翼を羽ばたかせている、小紫色の鷹のようなウイルスが睨みを効かせていた。
翼を勢いよく揺らすと、紫色の羽が何百枚も飛び出す。刃物のように尖った羽はそのまま各方向へと飛び、逃げているウサギを貫く。
じわりと紫色に染まりながら、どくどくと血の池を作っていくウサギを見て、腕や足に羽が刺さっている者もいる中、人々は泣き叫びながら逃げ惑っていた。
無慈悲にも血の池を作っているウサギは逃げ惑う人々に踏み潰されており、面影は残っていない。
「化け物だ!」 「うわああああん!痛いよお!」 「討罰士は!?討罰士は何やってるの!」
鞄からカッターナイフを取り出したボットはボディから刃の部分を出すと、地面を踏みつけてウイルスに向かって飛び出す。
翼を揺らして飛んでいるウイルスに向かいカッターナイフを突き立てるも当然空振り、離れた向かい側の地面に着地。
ウイルスの意識が自分に向いたのを確認すると、ボットはトーガに向かって言った。
「トーガ!その子よろしく!」 「分かってる!」
トーガはすぐさまその場から走り出し、一人泣いている女の子の方へと駆け寄る。
バグにかかって動けなくなっているであろう足をハンカチで包んでやると、「大丈夫よ」と一声かけて女の子を抱き寄せその場を駆け出した。
そう、ボットは鼻から攻撃を当てる気などなく、女の子を逃すことだけを考えていたのだ。
痛い痛いと泣いている女の子を胸元に抱き寄せ、トーガは苦虫を噛み潰したような表情をしている。
私が壊助能力を使えたならこの子のバグも治せるのに。
なんで抱き寄せているのが私なんだ、なんで助けたのが「出来損ないのトーガ」なんだ。
……いや、そんなことどうでもいい。
今は女の子を守ることが優先。おそらく子の女の子の母親であろう人が顔を真っ青にして建物の裏に隠れていた。
女の子を母親の手の中に移動してやると、母親は女の子を抱き寄せて泣き出す。
感謝の言葉を溢されるが、そんなことしている暇があるならはやく誰でもいいから壊助師がいるところへ行ってくれ。
「ありがとう、本当に」
「良いから!!振り向いてる暇あるなら走って!!」
口調が荒くなるが、それほど焦っている証拠だろう。
母親が女の子を抱き寄せて遠ざかっていくのを確認すると、ボットの方へと向かうべく振り返る。
否、振り返ろうとした。
「トーガ!後ろ!」
意識がスローモーションになっていく。
見開く瞳には浮かぶ汗と、無数とある紫色の羽がトーガの方へと向いていた。
ふと先程この羽が突き刺さったウサギを思い出す。
あ、私死んだ。
路地裏の時と違い、死にたくないと思う暇すらなかった。
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