暴れ回る弟
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ボットに首根っこを掴まれたまま、紺色のキャスケットを被った少年はキリュウに背負われている薄紫色の髪の少年に対して「ユゥ兄」と呼ぶ。
やらかした、そう思ったのか慌てて両手で口を塞いだが、時すでに遅し。
先程のあまりに怪しすぎる言動といい、今回の事といい、トーガの目先で首根っこを掴まれたまま、尻餅を付いて目を逸らす少年は確実に黒である。
「へえ、あの子ユゥ兄くんっていうのね!」 「ぐっ」
「どうしたの?名前を知っていただけなのに顔色が悪いわよ?」 「……」
尻餅を付いている少年に目線を合わせるべく、トーガは両手を膝に添えてしゃがむ。
裏がある様にしか見えないトーガのにこやかな笑みは、ただでさえ顔色の悪い少年に追い討ちをかけ、ついにはまた泣き出してしまった。
慌ててトーガは泣き止ませようと思い「ごめんなさいね、泣かせる気は無かったのよ」と言い弁明する。
……が、まるで泣き止む様子のない少年に頭を抱えていると、「ユゥ兄」と呼ばれていた少年がゆっくりと顔を上げた。
「……シグ、嘘泣きやめろ」
「ぐっ」
え
トーガだけでなく、ボットとピックすらもシグと呼ばれている少年の方へと振り返る。
すると、先程まで手に負えないぐらい泣き喚いていたはずが、部が悪そうに視線を逸らしていた。
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「……と、改めて。俺がユゥ、そっちのは弟のシグだ」
キリュウの背中で具合が悪そうに自己紹介する少年はユゥと言うらしい。
自身の名前を言い終え、緩く頭を下げると、薄紫色をした個性的な切り方の髪が揺れた。
頭を上げてから、紫色の瞳をそっとシグと呼んでいる少年の方へと向ける。
シグはばつが悪そうに地面を見つめていた。
こいつ、全く反省の色が見えない。
出る際、ある程度の掃除はしたとはいえ完璧に綺麗になっていない「薬屋竜の息吹」は恐らくユゥかシグが付けた足跡が残って辺りに散らばっている。
それが一番視界に入るであろう地面を見ているのにも関わらず不貞腐れた子供の様に俯いて何も声を発さないシグに、トーガは蔑む様な視線を向けた。
普段ヘラヘラと笑っているボットすら、そっとシグに語りかけている。
困ったように眉をおろしながら、腰に手をあて、少し前屈みになって。
「悪いことしたら謝らなきゃダメだろ?」
しかし、それをチャンスだと思ったのか、屈んだボットの顔面に向けてシグは思い切り肘をぶつけた。
あまりの痛さにボットは顔面を押さえてその場に俯き悶絶し、シグも肘を痛そうに撫でながら目尻を熱くする。
「ぐわあああああいってええええええ!!」
「ちょ、ちょっとボット!?」
「ッ〜!」
不意に襲ってきた顔面への肘攻撃に、ボットはぎゃんぎゃんと騒ぎ立ててその場を這いずり回っている。
それを心配そうに走り寄るトーガを横に、シグは今にも溢れそうな声を抑えているようだ。
だがようやくボットの手から解放されたシグは、肘の痛みで目尻に涙を溜めながらではあるが、素早く立ち上がると、キリュウに背負われているユゥの方へと走り……
「ユゥ兄を離せ!この長髪のっぽ!針金みたいな腕しやがってこのっ!!」
「おいなんだこのガキは」
「……いやほんと、さーせん」
バシバシと、キリュウの体を手当たり次第攻撃し始めたのだ。
申し訳なさそうに俯いているユゥを差し置いて、シグはキリュウの着ている服を問答無用で引っ張り、腕や足、脇腹をバシバシと殴りつける。
だがシグの力が弱いのか、キリュウが頑丈なのか、はたまたどちらもなのか。
キリュウは微動だにせず、呆れた様に腕を振り回しているシグに視線を向けていた。
「やめろ」という兄の言い分にすら従わず、敵う気配のない相手にただ腕を振り続けている。
すると、パチン!と可愛らしい音が突然響き渡り、全員がその音がする方へと振り返った。
「いーこと思いついた!」
そこには何か思い付いたのか目をキラキラと輝かせているピックが立っていたのだ。
頬を染めているピックは、「ちょっと待ってて!」というと徐に腰ポケットに手を入れ、鍵を取り出す。
手慣れた手付きで竜の息吹の扉の鍵を開けると、ポコポコと間抜けな足音を鳴らして店内に入っていってしまった。
いったい何をする気なのだろう?
全員が中途半端に開いたままの竜の息吹の扉を見つめる。
数秒ばかり沈黙が続いたが、それを壊す様に何かがガチャガチャと音を立てて近づいてきた。
その音の正体は店内からであり、先程まで威勢が良かったシグは正体不明の音に怯えてキリュウの後ろに縮こまっている。
キリュウのズボンの裾を握りながら震えているものだから、キリュウは「痒い、離せ」と言いながら心底嫌そうな顔をしていた。
ガチャガチャ、ガチャ!
何何何!?何の音!?ナイフ?剣?それとも高度な殺戮兵器!?
扉のすぐ側まで近づいてきたのだろう、音がぴたりと止まる。
それと同時にシグの怯えもピークに達し、ユゥの名前を呼びながら泣き叫ぶと、扉が開いた。
「ユユユユユユユユ……!ユゥ兄!助けッ……!」
「ぎゃーーー」
「お掃除しましょう!」
「ーーーーってぇ?」
垂れた鼻水をキリュウのズボンに付け、伸ばしながらそっと顔を覗かせる。
見えた竜の息吹の入り口には、シグが想像していた刃物でもなければ殺戮兵器でもない、至って普通の掃除道具を手一杯持っているピックが立っていた。
先程まで聞こえていた音の正体は恐らくバケツにちり取りや箒が当たった音だろう。
皆が唖然と見つめていると、説明が足りていない事を理解したピックは顔を真っ赤に染め上げ、慌てて説明をし出した。
「いやあの、ユゥさんがバグにかかってたから自然とシグさんもかかってるのかな?って思ったんだけどね、もの凄く元気だから、その、汚した分はお片づけしてもらおうと思って……!」
「私一人じゃ明日になっても終わらないから!」
「ピック、俺も手伝うぞ」 「おじいちゃんいつも途中で飽きて寝ちゃうでしょ!」
だから、お掃除しましょう。
確かに、ピックの言う通りである。
あれほど暴れる元気があるなら、償いと後始末として掃除を手伝うのは何らおかしいことではない。
シグはイヤイヤと首を横に振って否定しているが、絶対にやらせる気なのだろう。
ピックが掃除道具の山に手を突っ込むと、雑巾を一枚手に取り、シグに手渡した。
「いやだいやだ!僕絶対やらないからね!」
「駄々こねないでください!」
それすらも拒絶するシグは、貰った雑巾をビシーン!と強く地面に叩きつける。
「あざす、キリュウさん。もう大丈夫っす」
それを見かねたユゥは、そっとため息をつくとキリュウに礼を言ったのち背中から降り、地面に叩きつけられた雑巾を拾う。
するとそのまま雑巾を手に、ふらふらとした足取りで店内へと入っていったのだった。
「ちょ、ユゥ兄どこ行くの!?」
「掃除するに決まってんだろ」
「えっうそ!待ってよユゥ兄!」
シグはとりあえず適当に、とモップを手に取り、ユゥの後を追う。
ようやく掃除をする気になったシグの後ろ姿を見てピックは笑うと、バケツを片手に店の裏手へと歩いていった。
恐らくだが、水を汲みにいったのだろう。
背負っていたユゥが降りたことにより、キリュウの両手も手ぶらになり、本来なら手伝う流れだが……
何をするのか忘れてしまった様で、腰ポケットに両手を突っ込むと、気怠そうに店内へと入っていった。
……ところで
「なんかくらくらするんだけど、俺今どうなってる?」
「どれ、少し見せてみて……って、うわー!」 「うわーってなんだよ……ってもが!?」
顔面に強烈な肘打ちを食らったボットは、トーガに見せるように両の手で覆っていた顔を見せる。
すると、その手の中は鼻から垂れ流された血液で見事真っ赤に染まっており、トーガは顔を青褪めさせた。
ちたちたと床に伝う血液を見て、トーガは悲鳴に近い声をあげ、そのまま勢い任せにボットの顔目掛けてハンカチを投げつけると、案の定「くらくらする」と言っていたからか、そのままハンカチに従うように仰向けに倒れる。
ごちーん!
鈍い音と共にボットの後頭部が床にぶつかると、トーガは慌ててボットを起き上がらせたのだった。
「あっやだ!ごめんなさい大丈夫……!?」
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