その名前は少し厳しいと思う
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薬を飲み終えた少年は、口元をマフラーで隠すと自身の紫を通り越して真っ黒に染まってしまっている右手首を眺めている。
減る様子もなければ、増える様子もない手首を覆い尽くすバグを見て、少年は舌打ちを鳴らした。
「……チッ、これもハズレか」
呆れた様に目を閉じると、少年は手に持っている薬の入っていた空の瓶を投げ捨てた。
空の瓶はぱりんっと音を立てて破片を散らし、透明な粒へと姿を変える。
瓶に括り付けられていた、ピックお手製の「お客さんありがとうカード」もぺしゃりとその場で折れ曲がってしまった。
「おだいじにどうぞ!」と書かれた吹き出しの隣に、弾けた笑顔で笑っている竜のイラストが描かれたカードをただピックは見つめている。
瓶の役目をしていたコルクがコロコロと転がり、そのままピックのつま先にコツンとぶつかった。
「せっかく私が作ったお薬!もー!あったまきた!薬!返してちょーだい!」
「ピック危ないぞ、転ぶ」
「そんなドジ踏まないもん!!」
怒りが頂点に達してしまったのか、ピックはその場で地団駄を踏み出してしまった。
転がったままのコルクに躓いたりしたら危ないとキリュウが声をかけるも無意味に終わる。
そのまま地団駄を踏み続けたピックは案の定コルクに躓き、尻餅をつきそうになるのをキリュウに助けられていた。
その様子を見ていた少年は、ピックたちに聞こえるほどの大きなため息をつくと、挑発するように薬の山を指差して言った。
「こんなやつが作った薬……効くわけねえか」
「あんたのやつがどれだかは知らんが、取れるもんなら取ってみろよ」
「むきー!その言い方なんなの!」
なんて物言いだろう。
人の物を勝手に盗んで使った挙句、言うことは「こんなやつが作ったものが効くわけない」という謝罪とも感謝とも違う言葉。
「大丈夫かピック」
「大丈夫!おじいちゃんありがとう」
「……腰を悪くしたんじゃないか」
「ちょっと黙ってて」
支えられていたピックはキリュウにお礼を言うと立ち上がり、お望み通り取りに行ってやろうと足を踏み出した。
一歩、また一歩とピックは足を前に出す。薬まであともう少しだ。
ビュンッ!
……が、その瞬間、少年の右手から紫色の鞭の様なものが勢い良く飛び出し、ピックのことを捕らえる。
少年が手慣れた様子で右手を引き戻すと、ピックの腹回りをギッチリと囲ったまま鞭が右の手のひらの中へと引っ張られていった。
少年はあぐらをかいて座っていたのを立ち上がると、捕えたピックの首元に落ちていた空瓶の破片を当てる。
「クロウズウィップ。便利なもんだろ、俺の思い通りに動くんだ」
右手から飛び出している鞭を掴み、ピックを人質に取った少年は徐にこの様なことを言い出した。
「クロウズウィップ」、おそらく少年の右手から飛び出している紫色の鞭のことを言っているのだろう。
それを見るなり、キリュウは眉間にシワを寄せて一歩後退る。
キリュウの行動を怯んでとった行動だと解釈した少年は、ニヤリと口角を上げて悪どく笑った。
……だが、どうやらキリュウが後退りをした理由は怯んでではなさそうだ。
「くろう……なんだって?お前……確かにそう言う年頃ではあると思うが恥ずかしくないのか」
「はっっっ!?煽ってんのか!?こっちには人質がいるんだぞ!?」
「うむ、だがこれ以上言いふらすのは良した方がいい、後々恥をかく」
「うるせーーーー!」
そう、キリュウは少年が呼んでいた鞭の名称に引いていたのだ。
首を傾げているキリュウは煽っている気は毛頭ない。
無いのだが、余程恥ずかしかったのか少年は顔を耳まで真っ赤に染め上げている。
羞恥心に満たされた少年は、それぞれの手に力が入ってしまい、ピックを縛る鞭はより強く、首に当てている破片は少し深く当たってしまった。
「……った」小声で何かが聞こえ、キリュウはそちらを見る。
見た先には、痛みにより顔をしかめているピックがいた。
「なあ少年、ピックを離してやってくれないか。苦しそうだ」
「ハッ!断る。コイツは人質だ。助けてほしけりゃ薬をもっと持ってくるんだな」
「……そうか」
にこやかに問いかけるキリュウに対し、少年はこれでもかと睨みを効かせている。
だが次の瞬間、キリュウの表情から笑みが消え、瞳孔が細くなった怒りの篭っている瞳が少年に向いた。
それと同時に、少年の左頬には赤い直線が走る。
頬の直線からは少年の血が伝っており、なにかで切られた様に傷口が出来ていたのだ。
いつ、どのタイミングで?攻撃をされた記憶が全くない少年は頬に汗を流して困惑する。
流れていく汗が傷口に触れ、じんわり血液と混ざり合っていくと同時に、キリュウは口を開いた。
「降参するなら今のうちだぞ、俺は今虫の居所が悪い」
途端に凄まじい殺気と威圧感が少年を襲う。
無意識のうちに小刻みに震えている少年の視線の先には、さながら絵本に出てくる悪い竜の様な恐ろしい表情をしているキリュウが立っていた。
しばらく動けずにいた少年だが、血液と混ざり合った赤い汗が地面へと落ちると、我にかえった様に目を見開いて、持っている破片を強く握る。
「へえ、人質取られてるのにいい度胸じゃん」
少年はそのまま、ピックの首を刺してやろうと腕を動かすと、キリュウの視線が動く。
刺される!そう思ったピックは思わず目を閉じた。
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数秒間、真っ黒な視界が続く。だが、首元に痛みは来る様子なく、それどころか当てられていたはずの感覚すらなくなっているのだ。
なぜ?疑問に思ったピックはゆっくりと瞼を開く。
数秒ぶりのピックの明るい視界には、無数の赤い糸が張り巡らされている光景が広がっていた。
視線を向けているピックをよそに、キリュウはパチンッと指を鳴らす。
すると無数とあった殆どの糸が切れ落ち、たった一本だけが残った。
その一本の糸を辿るとどうだろう、先ほどまでピックの首元に当てられていたはずの破片を持った左手が宙吊りにされているではないか。
「は、なんで動か……」
ぴくりとも動くことを許されない左手をなんとか動かそうと手首を揺らす。
だが、持っていた破片が床に落ちて大きな音を立てるだけであり、左手が解放されることはなかった。
せめて右手だけでも、そう思い少年は鞭に力を込めるが、それすらも緩む。
何故?右手には何もされていないはず。
少年は思考を巡らせるが、当然キリュウは待つ気など毛頭ない。
徐に右手を口元に持っていくと、自身の親指の腹に噛み付く。
人間にしてはやけにギザギザとした歯が口元からチラリと覗く中、噛んだことによって親指から流れた血液を人差し指で弾いた。
凄まじいスピードで親指から飛ばされる血液は赤い直線を描いており、その姿は先程の無数とあった糸と完全に一致している。
……そう、先程の無数の赤い糸の正体はキリュウの血液だったのだ。
「……くろう……なんとかだったか。」
「感謝するぞ少年、俺はこんな使い方はしたことがなかった。少年のを参考にしたんだ。次からも使わせてもらう」
「まあ覚えてればの話だがな」
親指から伸びている赤い糸はピックのコートに止まる。
そのまま親指を引くと、ピックは先ほど少年の鞭に引っ張られた時と同様、赤い糸に引っ張られていく。
弱りきっている鞭の拘束など虚しく、そのままキリュウの胸の中に収まっていった。
「むぎゅ」
「服を血で汚してすまんな、ピック」
ぷつん、少年の左手を止めていた糸が切れる。
それと同時に胸に収まるピックを、キリュウは愛おしそうに抱きしめた。
このまま永遠に抱きしめていたいとさえ思ったが、ピックが苦しそうにもがき出したため、ゆっくりと手を緩める。
そして、その場に立ち尽くす少年へと目を向けた。
「もう諦めろ、これを機に盗みからも足を洗うといい」
「……かよ」
「なんだ、俺は耳が遠いんだ。ハッキリ言わんと聞こえん」
「今更引けるかよ!!!!」
クロウズレイン!
少年は叫びながら黒く染まった右手を天に向けて開くと、何十もの黒い矢が宙に浮かぶ。
そして右手を振り下ろすと、黒い矢はキリュウたちの方へ向かい雨のように降り注いだ。
だが、それを真似するかの様にキリュウも自身の手を振り上げ、血液を矢のように変換する。
同じように血液の矢を降り注ぐ黒い矢に向けて射抜かせ、全ての矢を無力化した。
「なるほどな、こんな使い方もあるのか。勉強になる」
「ッッッ……クッソがああ!!」
腐りかけの地面を強く蹴り飛ばす。
少年は半ば自棄になり、すっかり弱っている鞭を使って何度も何度も攻撃を繰り返した。
だが弱りきった攻撃など当たるはずもなく、キリュウはピックを抱き寄せたまま、右へ左へとひょいひょいと飛び回り避けていく。
技の使いすぎか、それとも右手のバグが原因か。
少年の顔はすっかり青ざめており、それをピックが見るなり慌てたようにキリュウに呼びかけた。
「おじいちゃん!」 「分かってる、お前はお人好しだからな」
後方に飛び退きながら、キリュウは中指の爪で手のひらを傷付ける。
そしてその溢れた血液で血液の矢を作り出すと……
そのまま少年の頭部目掛けて素早く射抜いたのだった。
少年は重力に従うようにうつ伏せになって倒れ込む。
本人すら自分の体が動かないことに困惑する中、キリュウは近くまで歩み寄ると語りかけた。
「どうやってるかは知らんがバグを操ってるだろう。お前の脳に向かって血を打ち込んだ。」
「バグで無理矢理体を動かしていたのが仇となったな、しばらく動けまい。お前の負けだ、寝ていろ。」
「……くそ」
うつ伏せになっている少年はそれはもう息苦しそうに肩で息をしている。
滝のように流れている汗は止まることを知らず、本格的にまずいと思ったピックはキリュウの服を緩く引っ張った。
離して、という合図だったのが分かったキリュウは渋々離すと、ピックは腰のポケットに入れてあるハンカチを取り出しながら少年に駆け寄ろうとする。
……が、少年の様子がどこかおかしい事に気がつき、足を止めた。
「お前はもう用済みだ」
「ふざけ……な、な、で俺らがお前のめ……れきいて盗んで……かわか……て」
「役にも立てない無能が口答えするな」
……ネックレスと話している?
少年の首に巻かれていたマフラーの中には、銀色のネックレスが隠れていたようで、戦いの末緩くなってしまったマフラーからはネックレスが飛び出している。
そのネックレスはうつ伏せになっている少年の顔の真横に垂れるように置かれており、少年はそれに向かって途切れ途切れの声で返答を繰り返していた。
「お……い、な……とかいえよ」
「むしす……な」 「おい」
だが、ネックレスは言葉を発するのをやめる。
少年は目にいっぱいの涙を溜め込むと「クズ野郎」と言ってネックレスを今ある力の限りで殴りつけた。
その時、ピックは気がつく。
右手のバグが恐ろしい勢いで広がっているのだ。
急いでピックが駆け寄ると、流れている汗をハンカチで拭ってやり、右手のバグを眺める。
そして、何か確信をついたように山積みにされた薬の方へと駆け出した。
突然のことに少年は焦り、ピックに視線を向ける。
「なにして」 「何ってそのバグ治す薬作るの!薬屋だもんとーぜんでしょ!」
「は、俺……あんたのこと、ひとじ……に、それにころそ……って」
「そんなのどうでもいいよ!」
「苦しんでる人見て放っておけるわけないでしょ!黙ってて!」
ピックは幼い見た目のせいで少々馬鹿にされることもあるが仮にも薬屋、薬剤師である。
もちろんバグに関する本もごまんと見てきており、それらを治すにはどういった調合をすべきかもしらみ潰しに学んで行っていたのだ。
世界には薬では治せないバグの方が多いとはいえ、ピックにはこのバグに見覚えがあった。
「大王都ソーガレオ」そこで起きていたバグの広がり方に瓜二つだったのだ。
「大丈夫!これなら治せる!」
ピックは急いで薬の山に手を入れる。
そして手慣れた様子で薬と薬を合わせ、ポケットにしまっていたマッチで炙ったりと調合を始めた。
当然、少年は唖然とピックの背中を見つめている。
そんな少年に、すっかり戦意の無くなったキリュウが気怠そうにポケットに手を入れながら呟いた。
「変わった子だろう。ああなると俺でも手に負えん、大人しくやられておくんだな」
「……ばっかみてえ」
少年はゆっくりと目を閉じる。
気がついたピックが慌てて駆け寄るが、事切れてしまった訳ではなくただ疲れて寝ているだけだとわかると、急いで薬の調合を再開したのだった。
「のうピック、血が止まらん、なんとかしてくれ」
「あとでね!」
自傷の影響により、手から血の止まらないキリュウを放っておいて。
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