第5話 忘れられた町
かつては石材で栄えたベッカの町。
道を行けば店構えを持つ建物が並ぶが、ほとんど鎧戸が閉じられて静まり返っている。
ひゅるるるる……
「だからね、この町に宿はないのよ」
そんな忘れられた町の一戸で、町娘が部屋のベッドにシーツを敷きながら言った。
「ふーん」
アルト皇子はそのシーツの美しい張りへ指先を触れながら、首をかしげる。
「でも、このおうちは宿屋さんじゃないの?」
「そうね。昔はお父さんが宿を経営していたのだけれど、今は畳んでしまっているわ」
アルトは道で出会った町娘のサラに『とりあえず今日泊まれるところが欲しいんだけど』と頼んだのであるが、連れて来られたのはこの鎧戸の閉じられた古宿であった。
今は営業していないらしい。
「でも、昔は宿屋さんだったんだ?」
「ええ。私が小さなころはこの町にもまだ冒険者が来ていたから……」
サラはそう言ってベッドを整えていく。
寝具の端と端を合わせるように屈むと、清楚な薄い生地のスカートに女の尻の形がムッと陰影づき、せっせと働く町娘の姿に生活的なあでやかさを添えた。
「これでも最後まで営業していた宿屋なのよ。あの頃はいろいろな人がうちに泊まりに来て楽しかったわ。戦士、僧侶、魔法使い、盗賊、商人。見た目は怖くても、実際にふれ合えばみんなやさしかった。お父さんも元気だったし……」
そんなふうに女が追憶に耽っていた時。
「……ただいま帰りました」
と、男の冴えない声が響いた。
「誰だろう?」
「お父さんだわ!」
とサラが言うのと同時にガチャリと扉の開く音がする。
開いた部屋の扉の向こうには、無精ヒゲの痩せた男が立っていた。
「ただいま。サラさん。ここにいたのですか……」
「お父さん。おかえりなさい」
娘がそう答えると、男はふいにこちらを見る。
「……その男の子は?」
父親はおどおどした顔つきながらそう尋ねた。
痩せて窪んだ眼には父の嫉妬を元にした不信感が宿って見えるが、娘はそんなことにはまったく気づかない様子でこう答える。
「うふふ、聞いて驚かないかしら? こちら今度プテラ地方の領主になるアルト君よ」
「えっ!! 領主様?」
そう聞くと、男は急におそれいった様子でひざまずいた。
「これは失礼いたしました!」
「んーん、大丈夫だよー」
アルト皇子はいつもののんきな調子で応え、こう続ける。
「こちらこそ急に押しかけてごめんね。今日プテラ地方に来たばかりで泊まるところがなかったんだ」
「それはそれは。どうぞごゆっくりなさってください」
男は平伏しておそれいるばかりだ。
「ありがとう。それからね……キミの娘、サラには僕の従者として働いてもらうことにしたから」
「む、娘を……?」
「なにか問題かな?」
「い、いえ。とんでもございません」
と答えるが、父親はどこか複雑げな顔で娘を見つめる。
「あの……お父さん、仕事は見つかった?」
その時、娘が気を遣うようにこう尋ねた。
「え、ええ。トロ村の畑の手伝いの口がありまして。日給3Gですが、やらないよりはマシでしょう」
「そう……」
「……じゃあ私はもう休みます。領主様も、ごゆっくり」
そう言って父親は娘を残して部屋を去ってしまった。
「キミのお父さんはずいぶん……」
ずいぶん、しょぼくれた男だ。
そう思ったがアルトは言葉を選んで、
「……ずいぶんおとなしそうな人だね」
と言った。
「そうね。前はそうでもなかったのだけれど、宿を閉じてお母さんが出て行ってしまってからずっとああなのよ……」
「お母さんが?」
それを憐れんでというワケではなかったが、タイミングもよかったので、アルトはこの古宿に来てから思っていたことを口にした。
「じゃあキミのお父さんにも宿屋を再開してもらおうか。僕が領主として補助するから」
「本当……!?」
彼女とて父親の商売の復活を強く望んでいたのであろう。
サラは笑顔を咲かせ、ギュッとアルトの手を握った。
「でも……」
だが、すぐに何かに気づいたように目を伏せて、おそるおそる見上げるように尋ねる。
「大丈夫なの? ゴードンやレイドにしたように、またあの借用書を利用するのでしょう?」
もちろんである。
アルトには1Gの硬貨もないのだから。
「領主の権力が担保になるってことはわかったけれど、このままじゃ借金が増え続けるばかりじゃない?」
「借金が増え続けることは問題じゃないよ」
アルトは部屋のカーテンをめくり、二階の窓から日の暮れた町の道を見下ろした。
「まあ、借金して投資した事業が成り立たないのは問題だけど」
「そのことだわ!」
サラは背筋をツンっと伸ばして言った。
「私が言うのもなんだけど、今さらお父さんの宿屋が成り立つようになるとは思えないもの。前に店を閉じた時も、お客さんが来なくなったからなのよ?」
「大丈夫さ。すぐに宿はたくさん必要になるから」
そう断言する。
「……そんなことをゴードンたちにも言っていたけど、どうしてそんなことがわかるの? ひょっとしてあなた、未来予知でもできるのかしら?」
「あははは。そんなことできるワケないだろ。そんな必要もないしね」
そこでアルトはカーテンを閉じて振り返り、サラの瞳をジッと見つめて言った。
「僕はここの領主がこれからどんな公事業を始めるか知っている。僕が領主なんだからね」
「公事業?」
アルト皇子はこう返した。
「ああ。僕はこの地に領営の冒険者ギルドを作る。だから儲かるってわかっているのさ。宿屋も、石工も、鍛冶屋もね」
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