第2話 悲願
『そちの成人を祝して、プテラ地方の領主に任じる』
後日、父ライアン帝からこんな書状が送られてきた。
プテラ地方は南の辺境。
領土には『魔の森』や『地下迷宮』が入り乱れてモンスターが多く、なかなか開発の進まない未開の地である。
成人を祝して……
とあるけど事実上の厄介払いだろう。
(あれから、父上も母上も僕に会ってもくださらないものなあ……)
とりわけ父ライアンは借金が大嫌いである。
これから莫大な借金を負う宿命の子など、顔も見たくないらしい。
「おい、見ろよ。“借金王”がいらっしゃるぞ」
「ひー怖い怖い。借金が感染る(笑)」
「よせって、不敬だぜ……ぷくく」
城中を行けば、そんな囁きも聞こえてくる。
その中には、ついこの前まで下っ歯痒くなるようなおべっかを使ってきていたはずの大臣や、永遠の友達のように肩を組んでいたはずの貴族の子弟たちも含まれていた。
「それにしてもあの皇子があそこまで落ちるとはなあ」
「憐れなものよ。紋章さえまともなら次期皇帝が確実視されていたのに」
次期皇帝確実視……
確かに。
ずっとみんなからそう期待されてきた。
しかし、アルト自身は“成人の儀”の日まで皇帝になりたいと思ったことなど一度もなかったのである。
――そもそも100年前。
タイラント帝国は、西の大陸にある『勇者の国』と戦争になり、これに大敗を喫してしまっていた。
その敗戦&占領をきっかけに、領土の要所には勇者軍が駐留するようになっている。
つまり、いまだ帝国と名のってはいるものの、事実上は『勇者の国』の属国なのだ。
ただし一方その頃。
東の大陸には『竜王の国』が勢力を伸ばしていた。
西の勇者と、東の竜王。
その超パワーが衝突すれば世界は滅ぶと見られており、お互いに手を出せない。
こうして、『冷たい戦い』と呼ばれる東西の永い膠着状態が始まったのだった。
で、タイラント帝国はそんな東西二極の間に挟まれていたことによって、『勇者に軍事依存していながら経済的には繁栄する』というちょっと奇妙な歴史を歩むこととなる。
勇者からすれば、あまり厳しい支配では帝国が竜王に寝返ってしまう可能性があるし、そこそこ内政の安定した属国に拠点を作っておけば対・竜王戦の最前線基地になるからだ。
そんな状況下で、帝国民は戦争で負けた悔しさを戦争で返すことができなかったぶん「せめて経済では……」という共通した気持ちを抱き、まるで戦争を戦うように一致団結して経済を成長させていったのだそうな。
しかし……
そんな特異な状況がいつまでも続くわけはなかった。
30年前。
先に東側の『竜王の国』が崩壊してしまったものだから話が変わってくる。
つまり二極が睨み合う体制は崩れたのだ。
勇者の国からすれば、もはやタイラント帝国をわざわざ“経済大国”にしておく理由もなくなる。
実際、10年もすれば経済成長率は十年平均0%へと凋落してしまった。
こうして帝国は、最後の心の拠り所だった経済すらダメになっていったのである。
『元に戻すのならこのタイミングだ』
竜王が滅んだとき、国民の一部とあらゆる国民の心の一部でそんな気持ちがなかったわけではないが……
しかしその頃。
帝国はすでにおおよそ骨抜きになっていたのである。
大人たちは一人一人が『この平和と飽食の残りカス』にどれだけありつけるかの競争で『勝ち組の席を確保すること』が『大人になること』だと前提していた。
自分の子供が幼い時だけは猫っ可愛がりするくせに――
さて。
仮に皇帝になれたとして。
そんな国の皇帝になって一体なんの価値があるだろうか?
もはやこの国に、カネや命よりも重いものはないらしかった。
だったら自分も皇帝になんかなるより、小さな領地でももらってのんびり暮らしたほうがずっと幸せそうだ。
(……そう。おいしいものを食べて、可愛い猫でもモフモフ撫でながらさ)
と、アルトはこれまでそんなふうに思っていたのである。
借金紋の宿命を授かるまでは……
◇
「さようなら。父上、母上」
城の裏門まで来ると、アルトは思考の途中でポツリつぶやいた。
そう。
これから彼は帝都を去り、父より封ぜられた辺境プテラ地方へ向かう。
別れの言葉は誰も見送りのいない裏庭へ消え、薔薇の花だけが美しく揺れていた。
「あーらぁ、アルト様。ずいぶんお寂しい門出でございますのね」
いや、無人ではない。
薔薇園のそばに、豪勢なドレスを召した少女がひとり立っているではないか。
「ろ、ロザリア!? 見送りに来てくれたの?」
「は? 冗談ではありませんわ」
人形のように整った少女の眉間に嫌悪の皺が寄る。
「お忘れ? わたくしはあなたを憎んでおりましたのよ。ずっと、ずっと……」
そうだった……
アルトは胸の気がシュンと落ちていくのを感じる。
「それにしても、まだそのような戯言をおっしゃる元気が残っておりますのね。ひょっとしてあなた、今のご自分のお立場をよくわかっていらっしゃらないんじゃあございませんこと?」
「ど、どういう意味?」
「うふふふ、おわかりでないならロザリアが教えて差し上げますわ。アルト様……あなたはこれまで誰からも愛され、次期皇帝を確実視されてきました。それがあの忌まれし紋章を授与されてからプテラ地方などという未開の地へ任じられ、城を出て行くことになっている。つまりあなたは……」
ロザリアは扇で口元を隠しながらこう続けた。
「あなたは捨てられたのですわ。ご自分のお父上とお母上に!」
「……ッ」
「おーっほっほほほ! そのお顔ですわぁ! あなたのその憐れなお顔こそ悲願、あたくしの心を真にときめかせるッ! ざまアありませんわねッ……おーっほっほほほ!」
高笑いをするロザリアの前で、アルトは言葉が見つからず、ただ黙ってうつむく他なかった。
彼女の言葉に傷ついたからじゃない。
彼女が自分を傷つけようとしているのがひしひしと伝わり、それが悲しかったのである。
でも……
(僕は自分が憐れだなんて思っちゃいない)
そのことだけは彼女に伝えておかなきゃいけないと、そう思った。
「皇子! そろそろ出発いたしませんと!」
しかしそんな時、馬車の方で馬丁がそのように叫ぶのが聞こえる。
「ご、ごめん……今行くよ!」
アルトは怒鳴る馬丁へ向かって返事し、ロザリアへ背を向けた。
「……」
が、刹那の逡巡の後、肩越しにくるりと振り返ってついに言った。
「……ロザリア」
「なんですの? 負け犬はさっさと消えてはいかが?」
「僕は皇帝になるよ」
あまりに予想外な言葉だったからだろう。
ロザリアは怒りもせずに、ぽかーんと目を丸くするのみである。
「…………はい?」
「僕、これまで皇帝になりたいだなんて思ったことはなかったんだけどさ……」
アルトは続ける。
「借金紋を授かってわかったんだ。この国もまだ『借金の総量』さえ増やせれば再び強くなる道も残されているって。だけど今度はそれを成す権力から遠ざかってしまった。国を強くする方法はわかったのにその権力がない……僕はそれが悔しくてたまらないんだ。自分がバカにされることなんかより、ずッと!!」
声を荒げると、その男子の迫力にドレスの肩がビクッと跳ねた。
事実、いつものんびりしたアルトが彼女の前で怒鳴り声をあげるのは初めてのことだった。
「だから僕はきっと皇帝の国家権力を手に入れてみせるよ。大借金で国を豊かにし、兵を強くするんだ。そして帝国の……僕の悲願を成就させる」
「悲願……って?」
ロザリアは圧されながらも詰まった息を押し出すように小さく尋ねるが、そこでまた馬丁が「皇子! 出ますよ!」とせかす。
「……もう行かなくちゃ」
「あ……待ッ」
「さようなら、ロザリア。今までキミの気持ちに気づいてあげられなくてごめんね」
アルトはいつものやさしい声でそう残すと、急ぎ馬車へ駆けていった。
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