一歩が踏み出せない
その日の夜になった。
明日、マブ・ラリマー邸に行く準備はできている。
ヴィンセント様の執務室を出た後、キャサリン様が荷造りの手伝いをしてくれた。
もしかしたら、クローライト城にいられるのも、これが最後かもしれないと、たくさんお話をしながらの荷造りだった。
なので、明日持って行く分の荷物と、もし、クローライト城に戻れなかった時の為にと、残りの荷物も箱に収められた。
「そろそろ行かないと・・・。」
私は、部屋を出てキャサリン様の部屋へと向かう。
少し早めに部屋を出るのには訳がある。
キャサリン様の部屋に行く途中にある部屋で、ヘンリー様と会うからだ。
私が到着する頃には、先にいて扉が少し開いている。
そして、その部屋で、ヘンリー様に唇と胸元にキスをしてくれてから、キャサリン様の部屋に行ってた。
マティアス様たちと、川の字になって寝たあの日も、部屋に向かう前にヘンリー様と・・逢瀬・・というモノをしていた。
私は、その部屋へと向かう。
・・・・?
扉が閉まっている。
私は、その部屋の扉を開け、中を見る。
ヘンリー様はいなかった。
ヴィンセント様の執務室では、少しおかしい感じがしてたし、具合が悪いのかしら?
私は、ヘンリー様の部屋へと向かう。
私は扉をノックしようと手を上げる。
そして、止まる。
ヘンリー様の、殿方のお部屋に夜、女性が訪れるなんて。
・・・でも、はしたない行為も含めて、ヘンリー様は・・・。
再び手を振りかざす。
・・・が、止まった。
ヘンリー様が逢瀬の部屋に来なかったのは・・・私を欲しているから?
今、私がこの部屋の扉をノックしたら、私はヘンリー様に抱かれる。
でも、コスモと伴侶の絆を結ばなければ、これ以上しないと、言ってくれているし・・・。
再び、扉をノックしようと手を上げる。
・・・・そして、止まった。
その手が、震えた。
・・・恐い。
抱かれるかもしれない、それに怯えるなんて・・・。
ヘンリー様は優しいから、そんな事まで・・・でも、男の人だ。
もし、それなりの経験があったのなら、私はこの扉をノックできるのだろう。
でも、私は前世を含めてその経験がない。
知識だけだ。
そして、この恐怖も・・・知識上仕方のない事だとわかっている。
・・・でも、ヘンリー様の事・・・好きなのに、一歩を踏み出せない。
ヘンリー様の妻になるのに・・・。
・・・待っているかもしれないのに。
どう、この一歩を踏み出せばいいの?
私は、体が震えているだけで何も出来ないでいた。
”ふわっ”
と、優しく私を包み込み、私の頭を撫でる手があった。
私はその主を見る。
キャサリン様だった。
キャサリン様は、寂しそうに私に微笑みかけてくれていた。
そして、キャサリン様に誘導されて、キャサリン様の部屋へと行く。
「ヘンリー様の部屋に、入れなかったのね。」
私は、コクっと頷いた。
「さすがに、今夜は自由にしてあげようと思ったけど・・・別の意味で守られたのね。」
キャサリン様は、今夜は私が部屋に来ない事を察していたような雰囲気だった。
だけど、私にそのような経験がない事を思い出し、心配になって様子を見に来て、私がヘンリー様の部屋の前で立ち往生している所に出くわしたことを言ってくれた。
「母さま・・もし、私がヘンリー様の部屋に入ってたら、私は・・・。」
「抱かれていたでしょうね。」
即答するキャサリン様に私は、伴侶の絆を結ぶまでは、しないと言ってくれた事を告げる。
「それでも、したでしょうね。サーシャ、あなた・・どれだけヘンリー様を待たせているかわかっている?」
1年前の国王主催の舞踏会で、プロポーズをしたから・・・そのあたりから?
そうか、コスモが私を婚約者と認めた頃からか。
「リオンと、どこまで関係を持っていたか分からないけど・・・。」
え?
「健全な男性が、126年、127年と、言ってもいいわね。それ程待っているってどう思う?」
・・・・。
「想像も出来ないわよね。」
私・・・自分との時間しか考えてなかった。
ヘンリー様は、ずっと禁欲生活をしていたんだ。
それが当然で、これまで生活をしていたけど、私を恋愛対象とみた事で、奥の奥にしまっていた欲が出て来るのは当たり前のことだ。
だから、1年前のプロポーズで、返事聞く前に、いきなりディープキスをしたんだ。
でも、私が謝る形となった時。
ヘンリー様の暴走しそうな感情を抑えるために、ハミッシュ陛下がヘンリー様を塔に、押し込めてくれたんだ。
「私・・クレシダのところに行くことで、ヘンリー様に我慢をさせてしまうんだ。例え結婚時期が変わらなくても、気持ちは、我慢をさせている。」
キャサリン様は私の頭を撫でる。
「どうしたら・・・クレシダのところへ行くのを・・・でも、ヘンリー様はコスモと、ドラゴンの頂点である黄金のドラゴンと絆を結んでいる。」
「それは出来ないわね。」
だから・・今夜・・私は・・・ヘンリー様に・・・・。
体が震えだした。
「わかっていても・・・怖いわよね。」
キャサリン様は私を抱きしめてくれた。
「それでいいのよ。だから、ヘンリー様は逢瀬の部屋に、いかなかったんだから。」
「母さまは、私がヘンリー様と逢瀬をしている事・・。」
使用人から報告を受けて、知っていた事を伝えてくれた。
もし、ヘンリー様が我慢できずに、ことに及んだら、邪魔するように使用人たちへ伝えてあったことも、話してくれた。
「私・・・どうすれば・・・・。」
明日、私をマブ・ラリマー邸に、ヘンリー様が送ってくれる。
・・・怖い。
「・・・これを。」
「あっ!?」
キャサリン様は、私に小さな小箱。全陶器のティースプーンの入った小箱を差し出す。
「サーシャの部屋から持ってきたのよ。」
私は、キャサリン様からそれを受け取る。
・・・お互いの当たり前の信頼。
「うう・・・う・・。」
涙がボロボロあふれ、声が漏れる。
キャサリン様は私を抱きしめてくれた。
「うわ~・・・わ~・・・うあ~・・・。」
声を上げる程涙が流れ、止まらなかった。
キャサリン様は、私の頭を撫でる。
涙が、なお溢れる。
ヘンリー様は、ずっと私の事を信頼してくれて・・・。
私は、その信頼に応えていない事が悲しくなった。
ヘンリー様と互いの信頼を深め合いたい。
・・・そう、感じた。