第四話
あれからまた時が経った。オリヴィアは約束通りこの世界に何度か遊びに来た。その際は必ずナイトが付き添った。いろんな感情が渦巻いていた。僕はそれを押し殺していた。ナイトは恩人であるどころか今では信頼できる友だった。二人とも僕にとっては大切だったから、ただ傍で黙って見守るしかなかった。
「ごめんね、紹介が遅れて」その日、ナイトはなぜか来なかった。代わりに付き添いできたのは、昔から話に上がったのに一回も登場しなかったドラゴンだった。赤い大きな図体の割にはつぶらな瞳をしていた。「ナイトが一緒にいると嫌だと言ってこれまで来ようとしなかったの。困った子なの。ほらご挨拶」
ナイトの名を聞いた時にドラゴンが荒い鼻息を漏らしたのを僕は見逃さなかった。「私の世界では一般的にドラゴンと騎士は犬猿の仲なの。ナイト様が騎士だから毛嫌いしているのね」違う。ドラゴンの真意はそれじゃない。オリヴィアは相変わらず男性の心が読めない女性だ。僕は苦笑して竜の鼻先を撫でた。
今日は一日、公園の緑地でピクニックをしていた。人はたくさんいたが、僕らは気にせず無邪気に遊んだ。というのも、絵本の住人はこの世の住人の目には見えないらしいから、ドラゴンのような肉食生物が走り回っても迷惑にはならないからだ。僕は力いっぱいボールを投げた。ドラゴンがそれを追いかける。
「あっちではどう?」僕は隙を見て尋ねた。オリヴィアは力なく息を吐いた。「芳しくないよ。王国は今前代未聞の苦境にあるの。知っているでしょう?『聖戦』が始まろうとしているの」僕はボールを咥え、一人遊びに集中しているドラゴンの微笑ましい様子を目で追った。「ナイト様も当然駆り出されたわ」
オリヴィア。僕は彼女の名前を呼んだ。今までになく優しく、ささやくように。きみは幸せかい?彼女は答えなかった。僕の質問に答えないのはこれが初めてだった。「悲劇だ。僕には耐えられない。人為的な悲運が変えられないなんて。物語は繰り返すとスライムが言っていた。きみはよく笑顔でいられるね」
ドラゴンが咆哮を轟かせ、天高く炎を吐いた。火花が花火のように宙に舞い、花吹雪のように降り下りた。手のひらで火の粉を受け止めた。オリヴィアはすぐ隣に腰を下ろし、頭を僕の肩に預けた。僕は腕を彼女の頭に回し、髪をなでた。「僕らはどうやら、ともに生まれてくる世界を間違えたのかもしれない」
「でもね。大丈夫よ」オリヴィアは空を仰ぎ、最後に降ってきた火の粉にキスをした。「私は、あなたと知り合えて幸せだったよ。物語は繰り返す。それも繰り返すなら、私は永遠に幸せなの」儚く消えた火花が鮮烈だった。「ごめんね。自分勝手で」彼女はそっと立ち上がり、数歩進んでくるりと振り返った。
「笑っていれば何とかなる!少年漫画で読んだ!」笑顔が尊い。ドラゴンが飛んできた。主人に撫でられてご満悦な竜は、嬉しそうな鼻息とともに僕にボールを返した。暗い気分を打ち消そうとしたのか、オリヴィアは突然側転をし始めた。束の間かもしれないけれども、その姿はまさしく自由そのものだった。
僕はドラゴンに訊いた。「お前、オリヴィアのこと好きだろ」ドラゴンは驚いたように目を開き、恥ずかしそうに2、3激しい鼻息を漏らした。「僕もだ」頬がゆるむ。「だいだいだい大好きだ」僕も立ち上がった。「僕はお前たちの世界に干渉できない。あっちの世界では、お前は何が何でも姫を守ってやれ」
ドラゴンは喉を鳴らした。が、すぐに何か電波を受信したかのように真顔になり、オリヴィアの方を向いた。僕はただならぬ何かを感じて恐る恐るドラゴンの視線をたどった。グルルルル。威嚇で喉を鳴らすドラゴン。フードを被った怪しい男が立っていた。その手はオリヴィアの方に伸びていく。ゆっくりと。
男がちらとこちらを見た。その瞬間ドラゴンがくーんと畏縮した。「全く言った傍から!」ドラゴンを叱り、僕はすぐさまオリヴィアの方へ駆けていった。オリヴィアの顔は怯えていた。間に合った。あともう少しというところで僕は男の手首を掴んだ。僕は怒りに任せて息巻いた。「オレの女に手を出すな!」
フードの下から除く顔を、僕はそこで初めて認めた。そいつは男ではなかった。シワでくしゃくしゃで、イボだらけの老女だった。その瞳に睨まれた瞬間、僕もまた凍り付いた。何とか歯を食いしばってオリヴィアを抱き寄せ、少しずつあとずさっていく。女は何もしない。ただ僕を見つめている。悪寒がした。
「ドラゴンッ!!」竜は僕の呼びかけでようやく正気に戻り、僕とオリヴィアを咥えて猛スピードでその場から飛び立った。