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石に咲く桜

作者: 夢見月

 人里離れた山奥に、一人の鬼の娘がおりました。




 その昔、鬼と呼ばれ、恐れられていた種族があった。

 人間にはない妖力という不思議な力を持ち、人間よりも身体能力に優れていた。

 多くの鬼は人間を下等種族だと見下し、略奪や、中には殺人を行う者もあった。

 しかしあるとき、人間たちは力を合わせ、そんな鬼たちの討伐を始めた。

 鬼の中には人間との共存を目指す者もあったが、人々の記憶に色濃く残っていた恐怖が、それを拒んだ。




「こんにちは。お団子くださいな」

「はいよ」


 春。ようやく桜が花開き始めた頃。

 一人の娘が、茶屋で団子を食べている。

 一見人間のように見える娘は、だがしかし鬼の一族なのであった。

 人間に拒絶されてもなお、和解を目指す動きはあった。

 そして、鬼たちは人間に紛れて暮らせるように、その特徴的な角を隠すための道具を作り出した。

 道具、といってもそれはさほど大きなものでも、重たいものでもない。

 なんてことはない、短い布の帯のようなものだった。

 それを身に着けることで、魂に宿る妖力を抑えることができる。結果として、妖力の発現である角を隠すことができた。


「八重ちゃん、うちの孫にならんか?」

「もう、おばあさんったら。いつもそればかりじゃないですか」


 娘は、名を支那実しなみ 八重やえといった。


「ごちそうさまでした。また来ますね」

「はいよ。待ってるからね」


 八重は、この町外れの老夫婦が営む茶屋が好きだった。

 今日は、このまま町までおりることにした。



 町は商人が集い、大きな店がいくつも集まってできていた。

 町人達は皆、比較的裕福な暮らしを送る者が多かった。

 昔は、この町にも人に紛れて何人かの鬼が住んでいた。

 でも、今ではもう、鬼の姿を見ることも無くなってしまった。


 今日も仲間を探しながら歩いてみるけれど、大勢の人間の中に、仲間の姿を見つけることはできなかった。


「……ん?」


 あまり裕福ではない町人が暮らす長屋の、共同の井戸。

 そこで水を汲む一人の女の子。

 まだ齢十二にも満たないぐらいだろうか。

 井戸のふちに対して背が足りておらず、滑車を引くのもおぼつかない様子だった。


「危ない!」


 女の子が桶を引き上げようと、身を乗り出したとき。

 水の入った桶の重さに耐えられず、井戸へ引き込まれる。


 私は、咄嗟に首に巻いていた布を取り去り、駆けた。

 人ならざる速度で腕を掴み、井戸から引き上げる。


「大丈夫? けがはない?」

「っ……!」


 一瞬の出来事に状況が理解できずにいるのだろうか?

 女の子は目を固くつむったまま開かず、身を縮こませていた。


「もう大丈夫だよ。ほら、目をあけて?」


 女の子は小さく首を横に振って、絞り出すように言った。


「たべ……ない、で……」

「え? ……あ」


 しまった。つい、妖力を使ってしまった。

 妖力を使うと発現する角。

 子供でも分かる、鬼の印。

 町の子供たちは皆、幼いころに鬼の怖さを教えられる。例えばそれは、夜眠りに落ちる前の昔話のようにして語られる。

 鬼に近づいてはいけない。鬼は、人を襲って食べる怖い化け物だ。

 そうした教えが、子供たちを凶悪な鬼から守るのに役に立ったのは間違いないだろう。

 一方で、私達のような、人間との共存を目指す鬼の存在が語られることは、皆無であった。


「ごめん、ごめんね。大丈夫、もう、行くから」


 女の子を抱きとめていた腕をゆっくりと広げ、その場を後にする。

 きっと、彼女は今日の出来事を両親に話すだろう。

 そうすれば、この町にもう私の居場所は無い。


 町から離れた山奥の、小さな小屋に私は一人で住んでいた。

 両親は人間との共存を訴え、結果、人の手によって殺された。

 人間を恨んではいけない。その恐怖を植え付けたのは、紛れもない自分たちなのだから。

 そう言って現世を去った両親の顔を、私はきっと忘れることはできないのだろう。

 元々そんなに多くない荷物をまとめたら、私はこれからどこへ行けばいいのだろう。

 そんなことを考えながら山へ続く道を歩いていた時だった。


「あ、あのっ」


 背中から掛けられる、幼い声。

 振り返ると、そこにいたのは先ほどの女の子だった。


「あの、さ、さっきは、その、たすけてくれて、あ、ありがとう……」


 途切れ途切れに、震える声で。

 私に掛けられたのは、感謝の言葉だった。


「私が……怖くないの?」

「こ、こわ……けど、でも、おれいは、いわなきゃって……こ、これ……」


 差し出してきたのは、小さな巾着袋。

 受け取ってみてみると、金平糖が入っていた。

 女の子の頭に手を乗せて、軽く撫でる。


「そっか、ありがとう。でも、私はもう行かなきゃ」

「行くって?」

「私は鬼だから、きっと町の人たちを怖がらせてしまうから。だから、もうこの町にはいられないんだ。だから、さようなら」


 女の子の頭から手をどかし、背を向ける。


「……言わない」

「え?」

「わたし、だれにも言わない、から……」


 なぜ?

 言葉の先を待ったが、女の子は俯いたまま黙りこくってしまった。


「……一緒に食べよ?」


 なんて言っていいのか考えて、出てきたのはそんな言葉だった。

 女の子は何も言わない。

 近くにちょうど腰掛けられそうな石があったので、女の子を手招きすると、何も言わないまま、静かにそこに腰を下ろした。

 金平糖を一つ渡すと、女の子はそれを口に入れた。


「どうして……誰にも言わないの?」

「言う人、いないから」


 少し落ち着いたようで、少しずつだけど話し始めてくれた。


「お父さんかお母さんは?」

「もう、いないの……」

「兄弟は?」


 女の子は小さく首を横に振る。


「……そ、っか。私もね。一人ぼっちなんだ」

「え?」

「両親も、友達も。みんないなくなっちゃった」


 それから、私と女の子はお互いにほとんど話すことなく、西の空が朱く色づくまで並んで座っていた。


「もう遅いから、暗くなる前にお帰り」

「また……会える?」

「うん。きっと」




 それから、何度か町へ行ってみたけど、鬼の噂を耳にすることは無かった。

 一度だけ、女の子の姿を目にしたこともあったけど、声はかけなかった。

 あまり関わらない方がいい。

 もしも、女の子が鬼の手先だなんて噂が流れたら、彼女を守ってくれる者はいないのだから。


* * *


 女の子との再会は、本当に、全く予期しないものだった。

 酉の刻。

 日が沈み、篝火が灯り始めるはずの、逢魔時。

 町は、赤い炎に照らされていた。

 山の小屋からも見える、不気味な明るさ。

 私の頭に浮かんだのは、あの女の子の姿だった。


 私が町に着いたころには、あちこちから火の手が上がり、大通りは避難する人々で溢れかえっていた。

 火消しが延焼を防ぐために次々と家屋を取り壊してはいるものの、火に囲まれていてはほとんど意味を成していない。

 女の子と出会ったあの長屋は、既に取り壊されたあとだったらしい。

 燃えていないのなら、きっと住人はどこかに避難しているだろう。

 私は妖力を開放し、まだ燃えていない家屋の屋根へ登った。

 町がこうなってしまっては、もう鬼であることを隠す必要はない。

 屋根から屋根へ跳ぶ。

 ほとんどの道は瓦礫に塞がれ、大通りにも火が回り始めている。

 このままでは、町の外へ避難するのも難しいだろう。

 だとすれば……


「見つけた!」


 町の中を流れる、決して大きくは無い川。

 その河原に避難していた人々の中に、あの女の子を見つけた。

 大勢の避難民の中で、十数人の大人達に囲まれた、女の子の姿。

 それは、大人が子供を守っているとか、そんな雰囲気ではなかった。

 明らかに様子がおかしい。


「……で……雨乞を……」

「どうせ身寄りも……だったら……」


 風に乗って聞こえてきた、断片的な会話。

 それは、私に状況を理解させるのには十分だった。


(馬鹿なことを! 生贄を捧げたところで雨が降ったりはしない!)


 妖力という不思議な力を持つ鬼は、人間よりも多くのことを感覚的に知っていた。

 人間の娘一人を殺しても、火事を消せるほどの雨が降ることは無い。

 だが、人間たちはそれを本気で信じている。

 いや、もはや信じるしかなかったのだろう。もう火はすぐそこまで迫っていたのだから。


「その娘、私が貰い受ける!」


 だから、私が全部引き受ける。

 女の子を助け、そして町の人々も助ける。

 それができるのは、私しかいない。

 町の人々の視線が私に集まる。

 屋根の上で、角を生やした、私の姿に。

 私は屋根から飛び、河原へ降り立った。


「その娘を私に寄越せ。雨を降らせてやる」


 大人達は何事かを揉めていたようだが、すぐに女の子が差し出された。


「本当に、火を消してくれるんだろうな?」

「悪いようにはしない」


 女の子を受け取り、抱えて再び飛び上がる。

 腕の中の女の子は、怯えた様子で何も話さない。

 先ほどまで自分が殺されるかもしれなかったのだから、無理もないだろう。

 町の大部分が炎に飲まれていたが、まだ逃げる道はある。

 ただそれは、文字通り人外の身体能力を持った私だから開く道。

 このままだと、川の人間達はきっと助からない。

 私は、正直に言えば、町の人間達に興味は無かった。

 両親のように、全ての人間を愛そうなんて、そんな風には考えられなかった。

 でも……


(町の人々を見捨てたら、きっと幽世で怒られちゃうよね)


 私は全ての人間を愛したりはしない。両親を殺したのは、他ならぬ人間だったから。

 でも私は、茶屋の老夫婦や、腕の中の女の子のことは好きだった。

 私に故郷と呼べるような場所はないけれど、彼、彼女らには故郷を失ってほしくない。


「この道をまっすぐ行けば小さな村に着くから、そこにしばらく身を寄せるといい。あと、これを。それなりのお金にはなると思う」


 町の外れで女の子を下ろし、両親の形見だった金の細工が施された小刀を渡す。


「いっしょに、来てくれないの?」

「私はまだ、やることがあるから。また会えるよ……きっと」

「……うん」


 女の子を残し、町へ戻る。

 炎は一層激しさを増し、もう中心部へ行くことはできなかった。


「このあたりで、いいかな」


 まだ燃え残っていた、もう意味を成していない火の見櫓。

 そこへ降り立ち、両手を天へ。


「はぁぁっ!」


 持てる限りの妖力を解き放つ。

 妖力を使えば、人間には出せないような強い力を出したり、物を少し浮かせたりすることができる。

 天候を操作することも、不可能ではない。

 でも、目の前の大火を治めるほどの雨を降らせるためには、膨大な量の妖力が必要だった。


「……っ、くぅ……!」


 鬼の寿命は、人間の何倍も長い。

 それは、人間にはない妖力を持っているからだ。

 妖力は、生命力に直結する。

 なら、命を削れば、それだけ強い妖力を得ることもできる。


「はぁ……はぁ……まだ……っ!」


 朱く照らされた空に、黒い雲が立ち込める。

 そして、ポツリ、と雨が降り始めた。

 雨は瞬く間に勢いを増していった。


「これ……で……いいん、だよ……ね……」




 町史上最悪の大火があった。

 そしてその日、町史上最大の雨が降った。

 その雨は、三日三晩降り続いた。

 大火を生き延びた桜は、それは美しく花をつけたという。


 その日以来、鬼の姿を見た者はいなかった。



 今では、鬼は伝説上の架空の生き物として語り継がれている。



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― 新着の感想 ―
[良い点] こう言う作品を読むと・・・ 今でも、姿形を変えて 人間と共に生きている鬼がいたりして? なんて想ってしまいます。 もしかすると、奇跡みたいな事って 鬼の力が関係している!? にゃんて、…
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