約束の時間は大丈夫ですか?
説教をすること三十分。
傍から見れば、少女を地面に正座させるいじめのようにしか見えない状況だ。けれど、これには正当な理由があることを知ってもらいたい。
説教を受けている伊桜里は、自分の権力と財力と知力と情報網を駆使して、五ヶ月前に自身を助けてくれた人を探し当てた。そこまでは恭介も称賛するほどにすごい努力だと思う。
しかし、伊桜里は恭介が逃げることを視野に入れて先手を打っていたのだ。というのも、事前に逃げられる要素を割り出し、それを阻むように罠を張る。それが書庫での一件である。
そして、見事に恭介を捉えた伊桜里だった。ただし、めでたしとならないのが現状に至る状況である。
伊桜里は恭介を手に入れた瞬間に、恭介の力量を調べる前に予備プランの後片付けをするべきだった。もちろん、ハプニングに遭うなど予想もできないので仕方がなかったとは思う。けれど、それも恭介が面倒事に巻き込まれないという前提の話である。
突如として広場に現れ、恐怖で恭介に抱きついていた伊桜里の知人だという少女とも少年とも取れる中性的な容姿を持つ魔霧という人物。この不思議な空気を醸す人物がこの広場に現れたのは伊桜里にとってもイレギュラー中のイレギュラーだったようだ。
「…………えっと、魔霧さんがどうしてこんな場所に?」
説教が終了したと同時に、謎だった魔霧の参上の意味を聞く。
対する魔霧は小首を傾げて、こう言った。
「僕がどこで何をしていようが僕の勝手だろう? まあ、今回は君を探していたわけだけれど。君というやつは、約束の時間を三十分も遅刻したから、約束通り役所へ行って指名手配の手続きをしてもらおうと思ったのに――」
「おいちょっと待て。その指名手配ってやつは、まさか俺のことじゃないだろうな?」
「話は最後まで聞くべきだ……、そうだろう? 確かに僕は君を指名手配してもらいに役所へ行った。けれど、指名手配をするには合法ロリが同封した許可証以外に依頼者である《天王寺》の家紋が入った特別手形が必要だって言われてね。お払い箱にされたよ」
あはは、と。簡単に笑っているが、もしも特別手形とやらが同封されていたらと思うと、恭介はどうにも笑えない。同じくして、伊桜里も苦笑いを見せているが、内心ではとんでもない綱渡りをしたものだと焦っていた。
こうして、日本帝国中からお尋ね者になるという危機は去ったわけだが、腑に落ちない点が一つ浮かぶ。
どうして魔霧はこの場に来たのか。それに対する純粋な解答を未だに得てはいない。
当初、伊桜里が魔霧に会えなければ、恭介はお尋ね者になっていたわけだ。そして、伊桜里は時間内に魔霧に出会えなかった。だからこそ、魔霧は役所に恭介をお尋ね者にしてもらいに行ったし、現に必要なものが足りなくて追い出されている。
ならばこそ、魔霧がここに来ることは考えられない。
だってそうだろう。伊桜里が時間内に会いに来なかったということは、死んだか誘拐されたと考えるのがセオリーだ。だから、こんな場所にわざわざ来る必要はないし、むしろそれは自分の命を危険に晒すような行為であるに違いない。
(こいつ、一体何を考えてこんな場所に……?)
恭介の魔霧に対する警戒心が二段階、三段階と高まっていく。それも相まって目つきが鋭くなっていたのだろう。魔霧がニコッと笑って恭介を見て言った。
「そう見つめないでくれよ。僕はこう見えても下半身は男でね。もちろん、君が下半身よりも上半身に重きをおくような変態ならば話は別だが、どうだろう?」
「……どういう意味だ?」
言っている意味がわからなかった。
妖艶、あるいは小悪魔のような笑みを見せながら魔霧は上半身を隠すように両手で自身を抱く。
魔霧は男である。ただし、それは生殖器での話だ。
「僕は所謂デザイナーベビーという存在で世界に産み落とされたんだよ。それで、僕を作った研究員がとんだ変態さんでね。下半身は男で、上半身は女がいいと言って作ったのが僕ってわけだ。つまり、僕の顔が中性なのは、上半身が女で出来ているからさ」
「あー、すまん。ちょっと何言ってるかわからんが……つまりあれか? お前は男であって女だと?」
「簡潔に言えば」
「おっしわかった。おっぱい揉ませろ。それで全てが解決――」
「なぁに言ってんですか、このおバカ様ぁぁぁぁああああ!!」
ばちこーんっと。ADDで変身後の姿で伊桜里は思いっきり恭介の後頭部を引っ叩いた。
もちろん、中学生くらいに見える伊桜里であっても変身後の腕力は馬に蹴り上げられるほどの威力はある。普通であれば昏倒するか、最悪死亡してしまう。
だが、それは普通の人間での話であって、恭介には通用しない。と言っても、恭介は激情で迫り来る伊桜里に気がついてとっさに回避行動をしたがゆえに頭が痛い程度で済んだだけなので、完全に無事とは言えないが。
頭を擦りながら、痛いじゃないかと文句を言う恭介。伊桜里が顔をだいぶ赤くしながら説教をしている姿を一歩、二歩離れた位置で魔霧は見ていた。
そうして、二人の一連の行動を見て、魔霧は声に出して笑う。
「いやいや、こんなに面白いのは久しぶりだよ」
「魔霧さん!? 何笑ってるんですか。今襲われかけたんですよ!?」
「僕は一向に構わないが?」
「本人がこう言ってるんだ。揉んでも構わないだろ?」
「常識的に構うんですよ! バカなんじゃないですか!?」
ふざけ合う三人。伊桜里がADDで換装をしているため、とても平和的とは言えない状況だ。だが、それでも和やかな雰囲気は、立ち去っていた人たちを再び広場へと戻していた。
いつもの広場の空気に戻る頃には、本田宗次郎の運転手が気絶した本人を回収し、そそくさと退散した後だった。こうして何一つ問題なく事は収まったわけだが、恭介はすっかり切り替えられた内容を忘れ去ろうとしていたことに気がつく。
元々、恭介はこう思っていたはずだ。
どうして危険しか考えられない場所に魔霧は一人でやってきたのだろう、と。
そして、その答えは未だ得られてはいない。それ以前に問いただすことすら忘れかけていた程だ。これが魔霧の意図した通りならば末恐ろしい。しかし、恭介は末恐ろしさよりも目先の疑問の解消に走る。
笑っている魔霧に、恭介は訪ねた。
「そう言えば、どうしてこんなところに来たんだ? 役所をお払い箱にされたからっていう理由じゃないよな?」
「あぁ。その理由なら至って簡単さ」
はて、一体何が簡単だというのだろう。
魔霧はポケットに手を突っ込んでガサゴソと何かを探し始めた。そうして、すぐにも探しものを見つけたらしい魔霧がそれを手にとって見せつけてくる。
スマホだった。しかし、恭介が見たことがあるどの形状とも似つかない。全く新しいように見えるデバイスを見せる魔霧は、何やらアプリケーションを開いてその概要を見せた。
「これは?」
「僕が作った人物検索アプリだよ。僕が持っているアドレスから個人を特定して、その人が契約しているスマホのデータを抜き取り、その人が今何処で何をしているのかを逐一調べられるスグレモノさ。まあ、個人情報の漏洩という難点があるけどね」
(それは果たして他人に見せてもいいものなのか……?)
多分に気になる問題があるが、それは無視する方向で気持ちを固める。
しかしながら、未だに恭介はそのアプリを見せてきたことに対する解答が見えない。確かに、スマホのデータを抜き取れるのであれば、位置情報から写真や動画の情報を抜き取ることである程度の行動は予測できるだろう。逐一調べられるのであればなおさらだ。
「ほらここ。脈拍が書かれているだろう? 生きている証拠さ。他人の心臓を丸裸にしてる状況って、少しゾクゾクするだろう?」
こいつは変態だ。しかも、関わってはいけない部類の変態に違いない。
静かに恭介はそう思った。
しかしながら、脈拍が見えたとして、それ自体がこの場に来る理由にはなりえない。
けれど、恭介が悩む理由は恭介のこの世界の技術の進歩を知らない故であることを知る。
「それがどうしたっていうんだ?」
「……? もしかして君、スマホがナノデバイスと連携できることを知らないのかい?」
「な、ナノデバイス……?」
また珍妙なデバイス名が出てきた、と。ナノデバイス自体は恭介が生きた世界に存在はしていた。といっても、SF映画やファンタジー系の小説などで描かれる程度で、現実世界に関与するようなことはなかった。
それゆえに恭介の表情が難しいものへ変わる。
世間知らずな恭介にさしもの魔霧も頭を抱える。それほどまでにこの世界ではナノデバイスというものは普及率が高いものだった。
ナノデバイスとは、文字通りナノメートルのデバイスのことである。使用用途は主に体内調節機構の補助及び、自己修復機能の拡張と増幅、それに加えて悪性腫瘍や細菌、ウイルスなどによる汚染の除去である。
この世界の人間は生まれたその時に予め調査済みの血液型に適合するナノデバイスを注射器で血管に注入する。なお、ナノデバイスは自己修復機能を搭載しているため、劣化や破損は起こらず、一生涯に渡り使用できる。
ナノデバイスについての大まかな概要を説明されて、恭介は体に流れる結構使えるやつという認識で修めた。というよりも、それ以上の把握が難しかったのだ。
ここまで来ると恭介は認めざるを得ない。この世界は、恭介が元いた世界よりも遥かに進んだ技術を持つ世界なのだ。それもこれも《デウスニウム》と呼ばれる特殊な金属のおかげだろう。
さらに人間は追い詰められるとその真価を発揮するとはよく言ったもので、おそらく人口が三分の一にまで減らされたことで生き残るためにこれらの技術を編み出したのだと考えられる。
ある程度納得が行ったように見える恭介を見て、魔霧が話の続きを語る。
「ていうことで、ナノデバイスの内容を知った後で僕がさっき言ったことの凄さがわかるだろう?」
魔霧は言った。ナノデバイスはスマホと同期させられる、と。
それはつまり、その時の体の機能がスマホで丸わかりになるということにほかならない。そして、体の機能がわかるということは……。
「なるほど、そのアプリを使えば対象が生きているのか、死んでいるのかわかるってわけか…………しかも、少し医学をかじっていれば、心拍数や血圧なんかで誘拐されているのか眠らされているのかもわかると」
「内容を知らないというだけで、バカというわけじゃなさそうだ。いや…………どちらかと言えば、頭が回る方かな?」
「お褒めに預かり光栄だな。言い方がムカつくけど」
とんでもない個人情報の塊を見せられたものだ。ちなみに、今の話を初めて聞いたであろう伊桜里は自分が監視されていたことを知ると、急に緊張し始めたようで心拍数が明らかに上昇している。
恭介は魔霧の言うアプリが立ち上げられたスマホの画面をもう一度思い出す。心拍数、血圧、体重、果てはバストサイズと何から何まで詳細に書かれていた。しかも、リアルタイムでだ。
確かに、それを使って興奮状態でない生きている対象は安全であると判断ができる。さらに、今回のケースで言えば、忘れられていると考えるのが妥当だろう。そこまで考えられるからこそ、魔霧はこの場にやってきた。なるほど、至って簡単だ。
全てを理解して、恭介は首を縦に振る。そうして、確かめるようにもう一度口にするのだ。
「安全だってわかってるからちんちくりんを迎えに来たってわけか」
「いや? 言っただろう。探しに来たと」
「……? だから、迎えに来たんだろ?」
「僕はただ、僕との約束を忘れているであろう合法ロリが、この後に控えてる仕事のことも忘れているだろうと思って探していたに過ぎないよ。でなければ、たとえ十中八九安全だとしても会いになんて来るもんか」
「仕事……?」
はて、それは果たして……。
恭介は話題に上がる本人へ顔を向ける。すると、何やら思い出そうとしている伊桜里の頬に汗が流れる。
どうやら焦りの汗のようだ。スマホを取り出し画面を開く。さらには腕につけられた可愛らしい小さい時計を食い入るように見る。そして最後に、公園に設置された時計を見て全ての時計の時刻がズレていないことに危うく舌打ちをしそうになっていた。
その一連の動作から、仕事の時間に遅刻したか、遅刻しそうになっているのだと悟った。
しかし、そんな焦っている伊桜里に何の仕事をしにいくのかと聞いてもまともな答えが返ってくるとは思えず、この場で余裕そうでかつ伊桜里の仕事を知っている人物に内容を聞いてみる。すなわち、魔霧である。
「なあ、その仕事ってのは一体何なんだ?」
「ん? あぁ、それはね――」
次の瞬間、恭介は心の内で日本は本当に大丈夫なのだろうかという気持ちになってしまった。
そして、その原因となる発言は魔霧の口から発せられたのだ。
「――――教師だよ。教師。とても十八とは思えないロリっ子が、対して歳の変わらない子供に物事を教えるのさ、…………笑えるだろう?」
(あぁ、そいつはずいぶんと面白い冗談だ……)
苦笑いが引きつっていた。
もちろん、これは冗談ではなく、紛れもない現実の話であることを、恭介は信じたくはなかったようである。