ささやかな嘘はダメですか?
「どうやっても何も…………ユニコーンとやらを倒したことも、まして見たこともないんだが?」
恭介は嘘偽り無くその言葉を吐く。
しかし、信じられないという視線は一向に止まない。
あの黒衣の者が恭介かどうかは定かではない。だが、少なくとも九割ほどの確証を持って目の前にいる御門恭介こそが、五ヶ月前のあの日、あの場所で、圧倒的な力を見せた人物である。これは伊桜里が持てる全ての力を使ってかき集め、研鑽し、割り出した結果だ。
故にこの言葉は嘘である。されど――
(この状況で嘘をつく理由がわからない……、確かに幽王なんて名前を使った手前、バレるのがまずいのかもしれないですけど。これじゃまるで、あの日あの場所にいたのは自分じゃないような言い方じゃないですか)
あるいはそうなのかもしれない。
伊桜里の中で、あの日の黒衣の者の言葉を分析した。例えば、身分を明かせない立場だったのではないか。例えば、どこかの国が極秘で作り上げた検体なのではないか。
どれもしっくり来ない理由である。ただし、様々な理由を考えている内に、伊桜里の中で一つの高確率で当たりかもしれない理由にたどり着く。
それはあの黒い炎にも起因する。
ADDはデウスニウムを不活化して加工したデバイスである。そのため、ADDを扱えない者が身につけているだけではただのアクセサリーと何ら変わりない。
ただし、ADDを扱える者が身につけた状態で炎をイメージすると、デウスニウムが活性化しADDを介して炎を生み出す。その炎は人種、年齢、性別を伴って、色と大きさが異なる。
原理は不明だが、おそらく炎をイメージすることによって、炎に恐怖する動物の本能から発生する電気信号とデウスニウムが反応しているのではないかとされている。
また、活性化したデウスニウムには特殊な音声起動システムが組み込まれており、所有者の音声を伴ってデウスニウムの原子が増殖し、赤い炎を持つ者は伊桜里が現在着込んでいるような特殊な服へと変わる。
さらには、服として体と接着するデウスニウムが体の可動を補助することにより、通常の約千倍ほどの筋力上昇を起こす。
そして、ADDは光の三原色を基調とする炎を発することが常識である。
つまり、光の三原色ではない黒色の炎はありえないのだ。
以上のことから、伊桜里が出した結論とは、全く別の常識から生み出された力を持つ者なのではないか。という世界をひっくり返すような最もありえないが最も適した結論であった。
しかしだ。
嘘をついているように見えない恭介を見て、伊桜里はここにきて人違いなのではないかと怖くなる。
(いいえ、まだです。恭介さんがあの日私を助けてくれた人だというのは高確率で当たりのはず……! なにか理由があって言えないだけ……理由…………?)
まさか。
伊桜里は一つの仮説を立てる。それを立証するのはすごく簡単な話である。
「あの、一つ訪ねても?」
「ああ、どうぞ」
「五ヶ月前の今日、ちなみにどこで何を……?」
(妙な質問だな。確か五ヶ月前の今日は…………)
恭介は五ヶ月前の今日を思い出す。
五ヶ月前の今日、恭介は悪友に嵌められてこの世界にやってきた。それは確かだ。けれど、そこから先の記憶があやふやだ。
思い出そうとするが、どうも上手く引き出せない。仕方がなく、その旨を伝える。
「すまん。あんまり覚えてない。確か…………気がついたら町外れで倒れてたはずだ」
「記憶がない……いえ、あやふや? 一時的な記憶喪失でしょうか……?」
「さあな。別に困ることはないから気にしてない。仮に全ての記憶がなくなっているなら話は別だけどな」
恭介には元の世界の記憶がある。そしてここ五ヶ月の記憶もちゃんとある。ただし、五ヶ月前の今日の記憶だけがあやふやという点を除けば。
恭介が思うに、この世界にやってきた弊害で当日の記憶があやふやなのだろう。それにしてはやけに、思い出せそうで思い出せないのが気になるが。
恭介の言葉をして、伊桜里は己が間違っていない確証を得る。きっと、恭介は自分があの日、あの場所で何をしたのかを思い出せないのだ。だから、嘘でない嘘をついた。これで全てが丸く収まる。
であるならば、残る問題はもう一度最初へと戻るわけで。
恭介の強さ。その真価を測る上で、一体どのような手段を取ればいいのかという話に立ち返る。本来であれば、恭介に炎を見せてもらうことでどれほどの力を有しているかの指標にしようと考えていた。だが、それが行えないとなれば、ことは難解さを極める。
この世界において、力とは炎の大きさだ。無論、ADDを扱える人間が人類の半分もいないため、純粋な力を測る指標としてはどうかとも思える。それでも、伊桜里はおそらく恭介と思われる人物が《プランドラ》を殺害した現場を見ている。それだけでADDの適合者と決めつけるには十分だ。
あるいは、ADDとは別の特別な力を用いていた可能性は捨てきれないが、本人にその記憶がないのでは確認のしようがない。
何か妙案はないか。そうやって悩ましい問題について考えていると、伊桜里の視野が狭くなる。そうして、狭くなった視野では、普段気がつくであろうことに気が付かなくなるのが常識である。
広場にやってきてそろそろ三十分が経過するかという頃。
二人はその間でいくつかの会話をし、恭介はこの世界の常識を、伊桜里は恭介の記憶が一部思い出せないことを知った。そして、目下問題である恭介がどれほど戦えるのか、という難題を解き明かすべく伊桜里は頭を悩ませているわけだが。
そこに一人、顔からして陰険さが滲み出る御仁が近寄る。
「おやぁ? これはこれは天王寺家当主の天王寺伊桜里殿ではありませんか」
「はい……? うぇぇ……」
あからさまに嫌な顔で返す。
陰険な表情のまま、その返事を屁でもなさそうにニヤリと笑ってみせる男は後ろに屈強な男どもを二人ほど連れて会話を続ける。
「その顔を見るにお忘れではなさそうだ。けれど、その反応は許せませんなぁ。日本帝国七十二家に名を連ねる、この本田宗次郎に対して失礼ではないですかな?」
本田宗次郎。日本帝国七十二家に名を連ねる《本田》の現当主。同じく日本帝国七十二家に名を連ねる《天王寺》とは両家が日本帝国七十二家になる五代前から犬猿の仲で、事あるごとに因縁をつけてくる人物である。
何より、伊桜里にとってこの世で苦手とする人間の中で三本指に入るほどに嫌っている存在でもある。
本田宗次郎は背中で手を組み、見下ろすように伊桜里を見ながら笑う。
「日が高いうちからお遊びとは。やれやれ、あなたは日本帝国七十二家に名を連ねるという意味がわかっていないようだ。しかも、男を連れてとはお盛んなことで。軽蔑にも値しますな」
「彼は私の執事です。今、彼の力を測るために広場に訪れているだけで、遊んでいるわけではありません」
「どうでしょうな。あなたは所詮、女だ。やがては子を産み、育てる側だ。家督を次ぐのはやはり男でなければならないでしょう……、おっと、これは失敬。《天王寺》は事故で今はあなただけでしたな、はっはっは」
「…………残された私を勝手に当主に仕立てたのはあなた方じゃないですか……」
本田宗次郎のみならずその後ろでに控えていた屈強な男たちの嘲笑が響く。
伊桜里は俯き、小さく言葉をつぶやくが否定はしない。心の中ではそのとおりだと思っているのかもしれないが、それを悟らせまいと本田宗次郎と目を合わせない。
気分を害すると、広場にいた者たちは一人、また一人と立ち退いていく。伊桜里の味方など一人もおらず、伊桜里のために声を上げるものなどいなかった。
ひとしきり嘲笑を受けると、伊桜里は涙ながらに訴える。
「あなたこそ、日本帝国の首都でその屈強な二人組はなんですか。まさか、出歩く程度で襲われるとでも? もしもそうお思いなら自意識過剰にも程がある――」
「黙れ、小娘が!! 二年前の事故で前当主を失ったばかりか、遺産と家を失って唯一残された家督のみで生きながらえている売女が!! 私と同じ土俵で物を語るな!!」
怒りで振り上げられた手は伊桜里を殴るためのもの。
大人の男の腕力は、たとえ名ばかりの軍人と言えども見た目が中学生ほどの女の子には大怪我になるやもしれない威力を誇る。
しかし、伊桜里は避けようとはしない。ここで避ければ、伊桜里は再び貶される。それにこの暴力がいずれ本田宗次郎を陥れるための布石になるかもしれない。
そんなものは所詮は建前だ。
(怖い。殴られるのは嫌だ。でも、このまま貶され続けるのはもっと嫌だ。パパたちが紡いできた《天王寺》の家紋を馬鹿にされるのはもっともっと嫌だ!!)
逃げたいという本音を押し殺し、伊桜里は振り下ろされる理不尽な暴力を受け入れようとする。
だが――
「おい」
振り下ろされた右手が既のところで止まる。
同時に低い声が辺りの空気を冷やしていく。
それは怒りだ。
静かなる鬼が本田宗次郎の後ろで揺らめいている。
伊桜里に降り注ごうとした理不尽な暴力を止めたのは恭介だった。しかし、低い声は本田宗次郎にではなく、なぜか伊桜里に向けて放たれていた。
伊桜里は恭介の理不尽な怒りを感じ取る。どうして怒っているのか。怒るべきは本田宗次郎の方ではなかろうか。そんなことを考えてみるが、恭介の怒りはとんでもない方向からやってくるものだと知る。
「今の話、どういうことだ?」
「は、はい……?」
「金がねぇ……だと?」
「あ、えっと、それは……」
恭介の怒りは率直に言えば、伊桜里に勝手に期待した自分への罰だった。
伊桜里は日本帝国七十二家に名を連ねる名家の当主だ。であるならば金持ちだと考えるのが妥当。金と宿がない恭介はその両方を賄えるがために妥協した。甘じて伊桜里の執事になることを自分に許した。
だが、現実はどうだ。
伊桜里には金も豪邸もない。あるのは家督だけだという。
これでは計画が台無しだ。豪遊するという恭介の夢が儚く散るはめとなる。
故に恭介は怒っていた。そして、伊桜里は理不尽な怒りを浴びていた。もしも最初から、金がない家もないと言っていれば、あるいは伊桜里はこんな怒りを買うことはなかったのだろう。
恭介は本田宗次郎の手を掴んだまま、眼力だけで人を殺せそうな勢いで伊桜里に告げる。
「ほほう。なるほどよぉくわかった。ちんちくりん、おすわり。少しお説教が必要なようだ」
「は、はい……」
黙って従った。主従の関係などもはやない。恐怖を伴う言葉は人に強制性を持たせる。そして、伊桜里はその強制力には抗う術を知らなかった。