世界の理を知らないあなたはバカですか?
二人は書庫からほど近い広場にやってきていた。
恭介が知る広場といえば、老人や子供がワイワイと日中を過ごす場所だ。だが、この世界の広場とは本当の意味での広場のようで、目に入るのは少年少女、あるいは青年といった若者のみだった。
日が高い時間帯に若者が広場に集まって何をやっているのかと見てみる。どうやら戦闘訓練をやっているようだ。内容としては対人の組み手だと思われる。
このような場所に連れてきて本当に何をするつもりなのだろうか。恭介は率直な疑問をぶつける。
「こんな場所で一体何をするんだ?」
「もちろん、恭介さんがどれくらい戦えるのかを試すんですよ?」
当たり前ではないかと言いたそうな目で言う。
屈託のない目から放たれるのは「さあ、見せてくれたまえ」の意味を内包した期待の光。
対して恭介は首をかしげて如何とする。もちろん、力の示し方など様々だろう。例えば、目の前の相手をねじ伏せる。無傷で無抵抗状態にする。反論できぬほどに口説き落とす。
どういう手段を使ったとしても結局は試そうとする際に、必ず伊桜里が目の前の敵認定されることに変わりはなく。言うまでもないが、恭介はとんでもなく追い詰められた場合でもない限り、女性に分類される人間には手を出さない。
つまるところ、示せる強さがない。
(さてはこいつドMなのか? 公衆の面前で殴られたいと……?)
とんでもねぇやつに目をつけられたものだ。そう思った。
しかし、現実は違う。この世には――あるいはこの世界には――れっきとした力の示し方が存在する。ただ、恭介はそのことを知らない。
一向に力を示そうとしない恭介を見て、妙だと思ったらしい伊桜里が少し焦ったように問う。
「あ、あのぅ……もしかしてですけど、ADDを持ってないんですか?」
「ADDとは……?」
聞き慣れない言葉を聞いて、恭介の疑問はさらに高まる。
伊桜里は唖然とした顔つきになり、目を泳がせるほどに驚いているようだ。
しかし、恭介は冗談や意地悪で知らないふりをしているわけではない。本当に知らないのだ。なぜなら、恭介は今日まで書庫と塒を行き来する日々を五ヶ月も続け。その五ヶ月は全て歴史の勉強に費やしていた。
当然、本来知っているであろう重要な知識――いわゆる常識と呼ばれるものなど知るはずもなく、またそれを調べようという意欲も湧いてこなかった。そもそも、こうして大佐などという地位にいる少女に教えを請うなど未来設計に一ミリたりとて盛り込まれていない。
故に、恭介は何も知らない。この世界の歴史を知って、全てを知っているかのように振る舞っていただけで、本当は何もわかっていないのだ。
(歴史の勉強の他にもいろいろと調べておくべきだったか……この反応は少し癪だぞ?)
だがもう遅い。後悔後に立たずとはこれこの事を言う。
まるでアホの子を見るかのような伊桜里の視線が痛い。その痛みは恭介に「仕方ないだろ」という本音を言わせようとする。だが、間違っても、五ヶ月前にこの世界に来ましたなんて言った日には、あるかどうかは定かではないが精神病棟へ連れて行かれること間違いなしだ。
挽回のチャンスはない。過ぎてしまったことを取り消すには恭介は少しこの世界の常識を知らなすぎた。
仕方がいない。そう割り切って、恭介は甘んじて辱めを受けることを選んだ。
「すまんな。俺は教養がないんだ」
「ホントですよ! このご時世、ADDを知らない日本人――人類はいませんよ!? バカなんじゃないですか!?」
(これはぶん殴っても許される暴言なのでは……?)
ただし手は出さない。どれだけ腹が立つことを言われても、それ自体で恭介がとんでもなく追い詰められるわけではない。
もちろん、怒りゲージは溜まっていく。それを発散する目処は今のところはない。
続けて伊桜里が話す。
「ほんと、ありえないですよ! じゃあどうやってどれくらい戦えるのかを試せっていうんですか? 私と戦うんですか? バカですか? アホなんですか? ADDも持ってない、知らない、わからない。そんな人と軍人である私が戦って強さを図れるとでも!? 勝負にすらなりませんよ、ばーかばーか――あいたっ」
ばちこーん。
そんな間の抜けたような音が鳴った。
「いい音だ。もう一回鳴らしてみるか、あぁん?」
「や、けっこう――あいたっ、あいたぁ!? ちょっ、そんなに叩いたら頭の形変わっちゃいますよ! あいたっ!?」
恭介は自分の信条を棚上げしたわけではない。とんでもなく追い詰められなければ女性には手は出さない。では――
これは言うなれば、心の余裕が追い詰められたというものである。苛立ちはストレスへと代わり、ストレスは心の余裕を奪い去っていく。余裕を失った心はやがて身を滅ぼす。だからこそストレス発散という考えに至る。
だからこれは、ストレス発散の小突きであって、暴力ではない。これが恭介の持論だ。
頭を数回チョップされて涙目になる伊桜里はしゃがみ込み上目遣いで青筋を立てる恭介を見る。
「ひどいです………………パパにもぶたれたことないのに……」
「これに懲りたら人を馬鹿にするのはやめるんだな」
「はい……じゃあ、とりあえずADDの説明からしましょうか」
「頼む」
ADDとは、アンチ・デウス・デバイスの略称である。
恭介がやってきた世界は未知の生物が蔓延るファンタジーな世界だ。また未知の生物の目的や異常なほどの強さの理由は不明だ。しかしながら、その原因ははっきりと証明されている。
アメリカの研究者団体が見つけた宇宙から飛来した超万能金属、通称《デウスニウム》。その金属を誤って体内に混入させると、金属が細胞や電子機器と融合し、動植物、はたまたAIに至るまであらゆるモノを変質化させる。
原因がわかってもデウスニウムに依存した生活を送っていた人類はそれを封印、あるいは破棄することが出来ないほどに退化してしまっていた。そのせいで、あるいは防げたはずの世界の退廃を見過ごしてきた。それでもデウスニウムを捨て去ることが出来なかった人類は考えた。
デウスニウムが捨てられないならば、デウスニウムを利用することはできないか、と。
そして一つの仮説へと行き着く。
デウスニウムが真に万能の金属であるならば、原因のデウスニウムによって暴走、変質した存在を踏破する力にもなりうるのではないか、と。
そこからは簡単だ。デウスニウムを使い、デウスニウムを踏破する研究が始まる。残り少なくなった人類を実験台に使い。多大なる犠牲を払いつつも、人類はとうとう奇跡的に揃った三人の天才によるデウスニウムによってデウスニウムを相殺する技術を確立した。
それこそがADDである。
「つまりはあれか? そいつがあればその化物と対等に殺り合えると?」
「まあ、そうは問屋がおろさないわけでして。実はこの技術、まだまだ不完全なものでADDを十全に扱える人はわずか。さらには力が使えたとしても一対一で敵うのは、俗に言われる《英雄》と呼ばれる世界で六人しかいない人たちくらいですよ」
伊桜里の笑顔は、どちらかと言えば苦笑に近い。その表情で伊桜里がその《英雄》と呼ばれる者たちとは比べ物にならないくらい弱いということが読み取れる。
恭介は息を吐く。だが、それは飼い主が弱いからというわけではない。むしろ、そんなことはどうでもいいとさえ思っていた。恭介が思う問題は別にある。
(その化物を倒すのに必要なのがADDだというのはわかった。問題はその技術の進歩が化物たちの増殖に比例していないことだな。想像以上に遅すぎる)
伊桜里の話し方から、あるいはこの街を見て、恭介は推測を立てる。もしも、伊桜里の言うADDとやらが普及していて、人数は必要だとしても化物が倒せるのなら、人類の生活は良いものへと変わるはずだ。あるいは、人類が食物連鎖の頂点へと返り咲くことも出来ているはずなのだ。
しかし、少なくとも歴史書にそこまでの言葉は書かれていなかった。
ということは、現状でそれを改善できていないということで間違いはないだろう。
何より、人類の生活圏が狭まっているのは明白。被害が出るとしても化物が倒せるようになったのに、生活圏が狭まる。これは化物の量が増えている、もしくは強力な個体が存在することを示している。
情報量が少ない現状、強力な個体が存在することはあり得るだろうが、最もな理由になり得るとすればそれは化物が増殖しているという一点に絞られる。
恭介は頭を掻いて、伊桜里から視線を外す。
(あいつは本当に……俺をこんな世界に連れてきて、一体どうしろって言うんだ)
それは恭介がこの世界に来る羽目になった元凶たる悪友への恨み言。
そして、彼方へと忘れてきた亡きあの日への思い出だ。
ともあれ、恭介は今ここにいる。生活圏は狭まり、人類は三分の一へと減少し、周りは未知の化物が闊歩する終末世界。そこで生きている。
嫌になる気持ちを抑えて、恭介はキョトンとする伊桜里に向き直る。
「今がとんでもない時代だっていうのはだいたい理解した」
「……? 別の時代から来たような言い方ですね。中二病ですか?」
「瓦割りがしたい気分だな。どれ少し本気でやってみるか?」
「全力で遠慮します!」
「はぁ……それで? 大佐殿ともなれば、あの化物を簡単に倒せるんじゃないか?」
「さっきまでの話ちゃんと聞いてました!? 簡単なわけないじゃないですか……というか、化物じゃなくて《プランドラ》です。一応、これも常識ですよ?」
(略奪者とは……的確な名前をつけるじゃないか。おそらくアメリカの研究者団体辺りがつけた名前だろうけど、皮肉にも程があるぞ…………)
森を切り開いていった人類が、打って変わって神々の金属で強化された未知の生物に略奪されるのか。
感慨深いアメリカのブラックジョークに納得して、恭介はこの世界の根底を覚えた。
そして、一通りの説明を終えて、話は振り出しへ。
「それで? 結局、どうやって俺の強さを測るんだ?」
「それなんですけど……本当は駄目なんですけど、私のADDを貸すので、それで測りましょう」
そう言って、伊桜里は右手の中指にはめてあった指輪を外すと、それを恭介へと手渡す。
手にした指輪を見る。派手な装飾がしてあるわけではないが、掘り出しという形でいくらかの模様が描かれたきれいな指輪だ。とてもこれがADDと呼ばれる《プランドラ》と戦うための武装だとは思えない。
だが、それを指にはめるには少し無理がある。なにせ、伊桜里と恭介では数十センチ単位で背丈が違う。背が違えば手の大きさだって変わってくる。
パット見で小学生か中学生に見える伊桜里でちょうどいい指輪を恭介がはめられるわけがない。
どうするべきか、恭介の目は助けを求めるように伊桜里を見つめた。
「そのまま手のひらに乗せて、炎をイメージしてください」
「ほ、炎……?」
「はい。精神を集中させて炎をイメージしてください」
言われるがままに、目を閉じて集中力を高める。そうして、炎のイメージとして辺りに燃え移るというものが恭介の考えである。近寄るものを全て燃やし、その勢いを増していく。侵食と炎上。純粋な炎のイメージを固めて数分後、閉じていた目を開く。
「…………」
「どうしたんですか? 早くイメージしてください」
「いや。ずっと炎をイメージして考えてるのに、何も起きないんだけど」
「はい……? え、本当に?」
「あ、ああ」
「う、うそっ! 返してください!」
言って、伊桜里は恭介の右手のひらに収められていた指輪を手に取る。それを元あった指へと戻すと、小さく息を吐いてみせた。
するとどうだろう。伊桜里の右中指に収められた指輪が輝き、次の瞬間にはきれいな赤い炎をちらつかせる。
これがADDの本来の使い方なのだろう。原理は不明だが、おそらく炎をイメージすることで指にはめられた指輪が反応して炎を発生させる。
しかしながら、これにはまだ続きがある。炎をちらつかせる指輪を胸のあたりへ持っていき、伊桜里は言うのだ。
「変身」
一言。
たったそれだけで、ただちらついていただけの炎が全身を包み込む。そして、炎が収まると刹那、恭介は言葉を失った。
黒を基調とした軍服ワンピースとは似つかない、赤を基調としたプロテクターが腕と腰を守り、少し暗い赤のフードが顔を隠す。フードと連結したマントがきれいに靡く。さらしのような布がささやかな胸を隠し、腰のプロテクターの下には淡い赤のショートパンツが装着されていた。
目のやり場に困る姿である。非常に困る。健全な男ならば、胸に行くか足に行くか、それとも丸出しのおへそに向かうのか。だが、幸いなことに恭介に子供の胸や太ももに対する興味は微塵もなく、ましておへそなど特に興味がない。
だから、恭介は視線を外すことはせずまじまじと見ながら、目の前で起きた事象についてじっくりと考える余裕があった。
故に決して、下心で女の子の肌をじっと見ていたわけではない。
自分の様子を見た伊桜里はさらに混乱したように悩ましい顔を見せた。
それがどういう意味かは、すぐに伊桜里の口からは漏れ出す。
「うそ……故障じゃない……? じゃあどうして、……恭介さん、あなたは一体…………」
フードを深く被った顔から読み取れるのは純粋な疑問。
どうしてなのかわからないという極ありふれた疑問に満ちる言葉が恭介を不思議にさせる。
そして、伊桜里のさらなる言葉が恭介を困らせた。
「どうやってあの時……ユニコーンを倒したんですか?」
その問に対する解答を、今の恭介は持ち合わせてはいなかった。