七十二家の意向 4
梨苑の圧倒的と言えるまでの力の前に、誰もが腰を落とした。そして、最後に梨苑がこぼした愚痴に答えを贖う前に、神埼真理亜によって人払いが掛けられる。
戦意を失った者たちは言われるがまま、逃げ出すように会議室から出ていく。残されたのは神埼真理亜と黒瀬教員、また当人である梨苑も残り、さらには事件の発端である西園寺キリヱも残った。
そうして、四人で使うには広すぎる部屋で神埼真理亜は七十二家の当主たちが使っていた椅子の一つに腰掛けて息を吐く。
見るからに疲れが伺える。
それもそうだろう。神埼真理亜は日本の皇帝である前に十三の少女なのだ。老齢な当主たちを前にして言葉を扱うには稚すぎる。言葉一つで立場が逆転することだってあり得た事態の中で緊張しないわけがない。
そのことをよく理解している黒瀬教員はゆっくり休ませるために、梨苑への問いかけという立場を受け持つ。
「それで? 説明は?」
「見たままですよ。帝国貴族たちの横暴を止めようとしただけです」
「…………横暴、ね。それは本当に横暴だったかのかね」
「何が言いたいんです?」
珍しく感情を顕にする梨苑を静かに見つめてから、黒瀬教員はちらりと西園寺キリヱを見た。そうして、もう一度視線を梨苑へと戻すと、非常に落ち着いた物腰で話し始める。
「俺の知る限り、安心院のおっさんは悪いやつじゃない。というか、間違ったことが嫌いな人種だ」
「……だからって女の子を殺すのが最善だとでも言いたいんですか」
「そうじゃない。確かに、安心院のおっさんの行動は後からやってきた俺にも間違っているように見えたさ。だが、俺達は何も知らなすぎる。西園寺キリヱのことも、安心院のおっさんが何を守ろうとしていたのかも……、さっきの会話じゃ、横暴だったのはお前も同じだよ、殻之杜」
「…………」
何も言い返せなかった。
梨苑の先程の行動は人類の頂点とも呼べる力をひけらかし、日本の皇帝の血縁者という立場から無理矢理に言いくるめたというものだ。はたして、それはどんな理由があろうとも一人の女の子を殺害するという横暴と何が違うのだろう。
思い返して、梨苑は何も言えないのだ。今の行動の是非を、梨苑は判断しかねていた。
そんな梨苑に近づいて肩を叩く。うつむいたまま動かなくなってしまった梨苑に、黒瀬教員はただ告げる。
「お前は間違えてなんかいないさ。安心院のおっさんも間違えていなかったかもしれない。誰も間違えてなんかいなかったんだ。だから、そう思い詰めるな」
「なら、教えてくれよ……先生。本当はどうすることが正しいんだ! どうすれば、母さんのようなすごいやつになれるんだよ! どうすれば、生きていてもいいって思えるんだよ!!」
「殻之杜……」
それは感情の爆発だった。
殻之杜梨苑は、死を望んでいる。自分という存在の完全抹消を切に願っている。それは、自分という弱者が最良にして最強と謳われた神埼麻里奈という《空白の八岐》の元所有者の力を受け継いだという事実がそう思わせている。
本当は他にいるのではないか。常日頃からそう思えて仕方ないのだ。
自分なんかがこんな力を持つべきではなかったのではないか。
そうはっきりわかる時がある。先程の一件もその一つだ。安心院の顔は恐怖していた。恐怖からくる仕方のない理解だ。安心院どころか、七十二家やそれを守る護衛までもが梨苑を恐れていた。
梨苑は失敗したのだ。神埼麻里奈であればもっとうまくやっただろう。神埼麻里奈であればもっと論理的に場を収めたはずだ。神埼麻里奈であれば……。
完璧な人の後釜を担うには、梨苑は欠けていた。
ただ一人、梨苑に救われた西園寺キリヱだけが、梨苑の叫びを聞いて思う。
殻之杜梨苑は決して強くない。優良でも、最良でもない。どこにでもいる平凡な男なのだ。そう、黒瀬教員は梨苑のことを評価していた。それを聞いているからこそ、西園寺キリヱは思うほかない。
これが、本当の殻之杜梨苑なのだと。
人並みに悩み。
人並みに苦しむ。
もしも、梨苑に強さと呼べるものがあるとすれば、それは人並み外れた忍耐力とそれらを見せない隠蔽力。つまり、梨苑はその強さ故に誰にも頼ってはいけないと思っているのだ。
ただ言いたかった。そんなことはないと。あなたは一人ではないのだと。
しかし、それを言う資格が、西園寺キリヱにはなかった。
「兄さんは、お母さんのようになりたいんですか?」
「……成りたいんじゃない。ならなくちゃいけないんだ」
「どうして?」
「そんなの決まってるだろ! 俺は母さんから世界を守れと力をもらったからだ! 俺のせいで死んじまった母さんの代わりをやるなら、母さんのように強く正しくならなくちゃ駄目なんだ!」
「お母さんは、そんなことのために兄さんに力を与えたわけじゃありません!!」
ここで初めて神埼真理亜が声を荒げた。
会議室に残響する叫びを聞いて、梨苑は言葉をつまらせた。
落ち着いていた温厚な表情が代わり、悲しさを思わせる顔になり目には涙を浮かべている。そんな顔を見るのが初めてな梨苑は神埼真理亜の変貌に驚いていたのだ。
震える唇はなおも言葉を続けた。
「お母さんは……兄さんに生きてほしかったんですよ……、何が来ても、自分で自分を守れるようにって……、兄さんは頭がいいのに、どうしてそんなこともわからないんですか!」
「……真理亜……………………すまん。俺は、そんなに自分のことを大切に思えないよ」
「兄さん!」
神埼真理亜の言葉を振り切って、部屋から出ていこうとする梨苑を止められるものなどいない。
だが、梨苑は立ち止まる。たった今起きた異常事態に、足を止めざるを得なかった。
地震。しかも、爆発音を含む大きな揺れだった。
「これは……」
「非常アラーム……いよいよただ事じゃねぇぞ」
「い、一体何が……」
梨苑の背後で騒がしくなる三人を放って、梨苑は駆けた。
「おい、殻之杜! どこに行くんだよ!」
返事はない。ただまっすぐに駆けていく梨苑の背を見て、黒瀬教員は神埼真理亜の護衛も兼ねているため動けない。
舌打ちをして、ままならない現実に嫌気が差すが、それでも事態の対処をしなければならない。
爆発音と地震。加えて非常アラーム。これは嫌な予感を感じて、額に汗がにじむ。
「行ってください、黒瀬さん」
「で、ですが……」
「今の揺れがただの爆発でなければ、現存種や幻創種のものとも考えられない。それに先日のあり得るはずのない連携の取れた《プランドラ》の動きから考えれば、黒瀬さんでもわかるでしょう」
「…………王冠種が攻めてきた、そう言いたいんですね?」
「はい。杞憂であればそれよし。でも、もしも王冠種が進行を開始したのであれば、黒瀬さんの力が絶対に必要になる」
「……わかりました。皇帝もすぐに逃げてください。あなたは我々日本の希望。絶対に失うわけにはいかない」
「問題ありません。こう見えて私、とても強いんですよ?」
やれやれと笑い、黒瀬教員は駆け出す。訓練された動きは一つのムダもなく、ただまっすぐに問題解決へと走り出したのだ。
そして、残された神埼真理亜は同じく残された西園寺キリヱのそばへと向かい、手を差し出す。
「行きましょう、西園寺キリヱさん」
「……どこへ?」
「あなたもエインヘリヤルならば、わかるでしょう。日本を救いに行くんです。あなたには特別に私の護衛を命じます」
「私が……皇帝陛下の護衛……? お戯れを。私は……」
「忘れたのですか? あなたは世界最強のエインヘリヤルを殺せると、本人に直接言われた人ですよ? ならば、その本領を見せなさい。兄さんを嘘つきにしないでください」
「…………先輩も、とんでもないことを行ってくれましたね。わかりました。力不足ながら、全力で御身を守りいたします、皇帝陛下」
そうして、とうとう会議室に人が居なくなる。
しかして静かになった部屋には不穏な空気が流れ始めた。




