七十二家の意向 3
畝る八つの首が梨苑の右手の中指から生えて成長を始める。うち一本の首には安心院から放たれた銃弾が加えられている。その銃弾が徐々に溶ける。それと同時に成長が始まったことから、おそらく銃弾にADDの原料としても使われている《デウスニウム》が使用されているのだろう。
《空白の八岐》はADDから発生する炎やADD自体を食すことで肥大する。だから、銃弾を咥えたことで《空白の八岐》が成長を始めたのだろう。
しかしながら、そんなことよりも《空白の八岐》を発動したことで会議室内はとんでもない騒ぎになっていた。それもそうだろう。一般人では知らない者も多からずいるが、日本のトップがその存在を知らないはずがない。なにせ、梨苑が持つADDは人類を救済する最終兵器なのだから。
けれど、安心院の口ぶりからその力がこの場にあることは考えられないものだということがわかる。
驚愕する安心院を他所に、梨苑の表情はどんどん暗くなる。
「答えろ、若造! なぜ、貴様がそれを持っている!?」
「…………」
怒鳴る安心院に梨苑は返答をしない。否、どう返せば良いのかわからないのだ。
そんな素振りも見せなから、わざと口を開かないと勘違いされる梨苑の代わりに前に出る人物がいた。
温厚そうだが、どこか申し訳無さそうな顔をする神埼真理亜だ。彼女は梨苑を庇うように一歩前に出ると、梨苑に変わって口を開いた。
「兄さん……彼は神埼麻里奈、私の母の後継者です。母と同じ炎を身に宿す特異者。噂で聞いたことくらいあるでしょう。《顔の無い王》と呼ばれる年齢、性別、姿すら不明のエインヘリヤルのことを」
「皇帝陛下の母上が死去した後、《空白の八岐》の件をお伺いしましたが、その時の返事は――」
「問題ない、でしたね」
「それは、こういうことだったと? 後継者がいたから、問題ないと? 他国ならばいざしらず、我々にすら秘匿なさる必要がありましたか?」
「教えれば、あなたがたは兄さんを兵器に仕立て上げる。違いますか?」
「当然でしょう! 《空白の八岐》に限らず、エピックシリーズを扱える者は皆、特別です! 皇帝陛下の母上を加えた三人の天才が編み出した特別なADDは扱える人間がその時代にたった六人しかいない代わりに、とてつもない力を内包する兵器だ!」
震える握り拳をそのままに心のままに叫ぶ安心院。
安心院の言い分は確かなものだ。今の時代において、戦える者は戦わなければならない。人と人が争っていた時代ではないのだ。敵は空から飛来した金属を喰らって狂化した動植物や人工知能、さらには神の如き権能を有する王冠種なのだ。
勝率は絶望的。敵うとすれば唯一英雄と呼ばれた者たちが持つADDのみ。しかし、その英雄も無尽蔵には生まれない。となれば、奇跡とも呼べる存在である英雄の卵を幼い時から戦士として育てようとするのはあたり前のことだろう。
故に安心院の言うことは、そしておそらくは七十二家の当主たちが思っているであろうことは正しい。
神埼真理亜は選択せねばならない。兄と呼ぶ梨苑を救うか、兄を見捨てて日本人を含む全ての人類を救うか。人の上に立つ人間として下す結論は当然後者だ。梨苑もそれは理解しているし、理解した上で力を見せた。後悔などしていない。
だが、神埼真理亜は朗らかな顔で告げるのだ。
「私の兄は兵器ではありません」
「なっ……」
「…………真理亜」
「もちろん安心院さんがおっしゃることもわかります。英雄と呼ばれる存在の誕生は奇跡に近い。生まれれば、間違った方へ成長しないように育てるのは当たり前のことでしょう」
「では――」
「その上で逆に問いますが。あなたの言い方では、母の兄さんへの教育が間違っていると聞こえます。果たして、私の母の教育が――元皇帝の子育ては間違っていたのですか?」
「そ、それは……」
「撤回しなさい。まだ、その生命がある間に」
確かな怒り。優しそうな顔で神埼真理亜は激怒していた。ADDを介さず右手の親指と人差し指、中指のそれぞれに違う色の炎を灯して、まるで威嚇するように、脅すようにけしかける。
それを見た安心院の表情が青くなる。
まだ足りないかと、今度は薬指にまた違う炎を灯す。謝罪があるまでそれは続く。次は小指へ、さらには左手へ行って親指からゆっくりと。
その意味を知っている梨苑は目をそらす。きっと、この場においてその意味がわからないのは西園寺キリヱだけだ。キョトンとした顔の西園寺キリヱ以外が全員表情を固くした。
とうとう追い詰められた安心院が深々と土下座をして謝罪の言葉をひねり出すように漏らした。
「も、申し訳……ありませんでした」
「いいでしょう。許します…………、私のことならばどれだけ言われようと、何を言われようと構いません。元々私は人の上に立てる人間ではないのですから。ただ、母や兄さんのことは言わせません」
懐かしき昔を思い出すように神埼真理亜は口を開く。
「母は間違えませんでした。であれば、その指導を受け、教育を施され、正しく在れと育てられた兄さんが間違っているはずがありません」
「は……」
芯に染みる言葉を受けて、完全に敗北をした安心院は土下座をしたまま動かない。
その様子が恐怖からくる謝罪だとわかっている神埼真理亜には本当に申し訳ないという感情が見えた。
神埼真理亜は恐怖で七十二家を抑えている。その自覚がある。神埼真理亜が持つ特殊な炎は万能である。しかし、万能であるからこそ埒外なことまでできる。
例えば、ADDを介さずともその原料である《デウスニウム》を身に着けていれば自由に炎を生み出すことができる。そして、その炎で人を焼くことも。
文字通り生かすも殺すも自由なのだ。もしも、本気で反旗を翻せば、一分と持たずしてこの場の誰もが死に絶えるだろう。それほどまでに神埼真理亜は強力かつ凶悪な力を持っていた。
そんな神埼真理亜の前に梨苑が片膝をつく。それはまるで騎士が姫に頭を垂れるよう。
そうして、梨苑は願うのだ。
「皇帝陛下。一つ、願いを聞いて欲しい」
「…………はい」
「西園寺キリヱを許して欲しい。皇帝陛下のみならず、七十二家全体に。今、この場で不遜ながらもこの愚かな願いを叶えて欲しい。正直、過去に何があったかはわからない。それでも、許してほしいんだ」
「…………では、一つだけ聞かせてください。どうして兄さんは、そこまで彼女に固執するんですか?」
「それは……こいつが、俺の願いを叶えられる唯一の人だからな」
「その願いとは?」
梨苑は片膝をついたまま口を閉ざす。
きっと、その願いが良いものでないことを理解しているのだろう。けれど、その願いを言わなければ誰も納得などしない。もちろん、この場にいる黒瀬教員ですら賛同はしないだろう。
だから、梨苑は口にしなければならない。誰も望まない願いをこの場で口にしなければならない。たぶん、誰も理解などしないだろう。願いを聞いても快く思わないかもしれない。それでも梨苑は今、西園寺キリヱを失いたくないと思っていた。
なぜなら、梨苑も先の模擬戦で西園寺キリヱの強さを知り、自分の願いを叶えられるのがこの人以外には存在しないとわかってしまったから。
今まで、誰にも口にしなかった愚痴のような願い。それを自分を兄と慕う皇帝に告げねばならない。下賤にして悲嘆な願いを。
「殺害……俺の願いは俺の殺害だ。俺という存在のことごとくを消し去って欲しい。それが俺の最初にして最後の願い」
「……そう、ですか。兄さん……私は――」
「そしてこの願いは、真理亜……日本最強の皇帝であっても叶えられないものだ」
梨苑のすべてを払いのけるような言葉を聞いて、部屋の一同は黒瀬教員と神埼真理亜を除いて全員が驚いた。
皇帝とは人類全体でも未だ片手で数えられるほどにしか出生していない特殊中の特殊な人種だ。万能の炎を持つ特別な存在だ。その皇帝でさえも倒せない存在など、本来は存在してはいけない。
だが、いたのだ。かつて……おおよそにして二年前までは。
「………………………………………………はい。私では兄さんは殺せません。兄さんは母と同じ炎……空色の炎を有する。その特性は、吸収と成長。ありとあらゆる炎とその炎で作られたものを吸収し、自らの力に変える無敵の炎」
「前皇帝と同じ炎……では、この若造は――」
「はい。文字通り、世界最強のエインヘリヤルになり得る存在です」
「世界……最強……」
全員が一歩下がる。世界最強とは、すなわちあらゆる希望を凌ぐ希望ということ。それが目の前で力を開放しているのだ。恐れか、あるいは驚嘆か。どういう感情であっても、人はあまりに自分と違いすぎる人間を遠ざけようとする。
けれど、その中でも反抗の意思は見られた。安心院だ。
安心院は一歩引いた先で、銃口を梨苑へ向けていた。震える銃口はかろうじて梨苑を捉えている。指も引き金に掛けられていた。しかも、ゆっくりと引き金を引き始めている。
それを諭そうと梨苑は弱々しくつぶやいた。
「やめておけ、安心院さん。もう、あんたじゃ――」
「うるさい。それでも……それでもな、若造。我々は日本を守るために、西園寺キリヱを殺さねばならないのだ。彼女がいれば、日本はやがて…………終わるぞ!!」
「関係ねぇよ」
「な、に?」
梨苑は西園寺キリヱの前に立ち、まっすぐに安心院を見た。
安心院の言う通りならば、きっと日本は終わってしまうのだろう。だが、それは今じゃない。一年後か十年後か、それとももっと先なのか。それでも今すぐじゃない。
今すぐに日本が終わらないのであれば、梨苑には知らない話だ。なぜなら、梨苑は明日を望んでなどいないのだから。
「このご時世に、確約された明日に何の意味がある。明後日世界が終わってもおかしくない時代に、どうして明日の心配をする…………、今だ。今なんだよ、安心院さん。俺たちが生きているのは今なんだ。俺は明日なんていらない。明後日の心配なんて怖くてしたくもない。どうせ、死んじまうなら、今を最高に生きていたいって思うのは、間違ってるのか?」
「この……死にたがりの若造が!!」
発砲音が部屋に響いた。
引き金を引き終えた安心院の右手に収められた銃の銃口からは煙が出ている。そして、発射された銃弾はまっすぐに梨苑へと飛び、途中で阻まれた。
蛇。透明な鱗を持つ龍の顎が、豆粒のような銃弾を加えて食い散らかす。それを栄養として成長する。
蛇たちが口を開く。金属がこすれる金切り音がさらなる音で響き渡る。それはまるでもっと餌を寄越せと催促するようで。力を持たない者たちを恐怖させるには十分で。
安心院はとうとう地面にその尻を落とす。
あまりに恐怖している安心院を見ながら、八つの頭を持つ龍を従えた梨苑は悲しそうに言う。
「なら教えてくれよ。生きてるって、そんなに素晴らしいことなのか?」




