君の我儘の隨に 4
勝敗の決した戦場に黒瀬教員が降り立つ。その肩には今の時代では珍しく肥えた中年男性――校長を担いで、軽々とした様子だ。
初めからわかっていた勝敗だったが、勝負の行方は黒瀬教員の思っていたそれではなかった。感嘆するべきか、どうにも西園寺キリヱの狡猾さは優に大人を超えていた。自分が敵わないと知って挑んで、戦いにこそ敗北したものの、欲しいものはちゃんともらっていくその姿勢はあっぱれとさえ思われた。
だから、当初黒瀬教員が思い描いた構図とはまるで逆の景色が目の前にあった。
「さすがとしか言えないな」
「嵌められた……」
「そこまで考え至れなかった俺達の敗北だ。甘んじて受けるしかないぞ、殻之杜」
しかし、と。黒瀬教員は勝ち誇る西園寺キリヱに目を向ける。
梨苑は全開とは言わずともそれなりに本気だった。だから、アメリカが開発したADDを圧倒できたのだ。如何に最強と言われる英雄でも最新鋭のADDを相手にするならばそれなりのリスクが生じる。当然、リスクを回避するために余裕を見せていられるはずもない。
考えるまでもなく手加減をしていたのだとしても、無傷で生還できるほど生半可な戦いじゃなかったはずだ。
それなのに西園寺キリヱは無傷で戦いを終えた。これは少しだけ警戒すべき事態なのかもしれないと、黒瀬教員は心のうちにひそめた。
それはそうと、戦いが終わったのなら労ってやるのが年上の義務というやつだ。早速、黒瀬教員が用意しておいた冷えた飲み物を手渡すと、西園寺キリヱは一気に飲み干した。
「はぁ……死ぬかと思いました!」
「ウソつけ。お前、最後の最後まで自分が死ぬなんて微塵も思っちゃいなかっただろうが」
「まあ、はい。でも、怪我くらいはするかなぁとは思ってましたよ?」
「…………言ってろ」
満面の笑みに嫌気が差したのか、梨苑はそっぽを向いて手渡された飲み物を飲み始める。
気になることもあるが、それらを押し殺して黒瀬教員は話を振る。
「どうだった。お前さんの望んだ力だったか?」
「ええ、まあ。手加減をされているのは少しだけ癪でしたけど」
「…………手加減したのか?」
「そんなものができる状況だったとでも? そりゃあ、まあ。殺さないように加減はしましたけどね」
「だそうだが?」
「殺さない程度、っていうのは…………つまり手加減じゃないですか」
であれば、西園寺キリヱは殺し合いがしたかったのか。いいや、そうではない。西園寺キリヱの目には死闘への特有の輝きが見えない。それらから推測するに、西園寺キリヱは例え梨苑が本気を出したとしても死なずにいられる確信があった、ということになる。
黒瀬教員は口の緩みが抑えられなくなり、手でそれを隠す。
(こいつぁ……面白いやつが現れたもんだ。本当か嘘か、こいつ今、日本お抱えの英雄の本気に耐え切るとのたまったぜ)
果たして、この意図を梨苑が気がついているのか。そして、今の発言の意味を西園寺キリヱは理解しているのか。
どちらにせよ、黒瀬教員にとって都合のいい話になってきた。
やがて、飲み物を飲み干して落ち着きを取り戻した梨苑が立ち上がる。服についた土埃をはたき落として未だに座っている西園寺キリヱに向かって、いつものやる気のない瞳を向けた。
しかし、次の瞬間に発せられた言葉には強い意志が感じられる。
「あんま、ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。言ったろ、俺のADDの力は俺の力じゃない。人類全体の希望なんだ」
「……といいますと?」
「てめぇごときに人類の希望は砕けねぇ。もしも砕けたなら、それは人類の希望なんかじゃなく、俺の弱い心だけだ。そこを履き違えるな」
「…………つまり、ADDの性能のせいではないと、言いたいわけですね?」
「ああ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………先輩は強いですね」
「あぁん? なんだって?」
「いいえ。なんでもないですよ。そ・れ・よ・り・も♪」
元気を取り戻した西園寺キリヱが急に梨苑の腕にしがみつくように抱きつくやイタズラな笑みを見せている。
なにやら嫌な予感を感じ取った梨苑は逃げようとするが時既に遅し。逃げることもままならないがっしりとした絞め技へと変貌を遂げていたしがみつきは剥がせない。
いいや、むしろ諦めが入ってしまった梨苑には西園寺キリヱを引き剥がすことはできないのだ。どうかそうとした手に力が抜けていき、最終的には肩を落とす。
「私の勝ちです。その意味、わかってますよね?」
「…………さぁな」
「またまたぁ。わかってるくせにぃ」
「そのムカつく話し方をやめたら思い出すかもな」
「無理ですよ。これ、私の普段口調ですから」
「なおたちが悪いじゃねぇか! いいから離れろよ!」
「いやん♪ あんまり暴れるとわざと当ててる胸が揺れてくすぐったいんですよぉ」
「ほんと離れてくんない!? なあおい。これセクハラだからな! そうですよね、先生!?」
若々しくまた輝かしい光景を見ながら、黒瀬教員は一瞬だけ本気で殺意が湧いたが、困る梨苑を見てすぐさま黒い笑みを見せた。
そして、助け舟を望んでいる梨苑に向けて一言。
「お前がな?」
「なして!?」
「傍から見たらお前がセクハラしてるようにしか見えないんだよなぁ」
「ひどい! この場には俺の味方はいないのか!?」
「まあお前、友達少ないしな」
無情な世界に梨苑は発狂しかけた。
気が済んだらしい西園寺キリヱはすっと梨苑から離れると、手を後ろに組んで笑顔のまま遠退いてく。
なにか怪しいと思ったのは黒瀬教員だけではなかったらしい。梨苑も妙にさっぱりとしている西園寺キリヱが気になってこれをかける。
「どこ行くんだ?」
「え? あぁ…………やだなぁ、先輩ったら。お花摘みですよ~。それに汗もかいちゃったし、シャワーでもなぁと思いまして」
「…………そうか」
短い返事をした梨苑だったが、内心では信用していなかった。梨苑も曲がりなりにも戦士だ。西園寺キリヱの今の状況がただ運動した後の状態でないことはお見通しだった。けれど、外的要因は他には見えない。
ならば、と。梨苑の中で建った一つの推論は、大きい方の便所、というものだった。
これ以上にないとんでもない推論だが、今の梨苑にはその程度にしか考えられなかったのだ。
そうして、お花摘みに行った西園寺キリヱの姿が見えなくなる頃。
校長を担いでいた黒瀬教員がずさんに校長を落とす。
「どこ行くんです?」
「トイレだ」
「覗きですか」
「俺のストライクゾーンは俺の年齢のプラマイ三才だ。覚えとけ」
「なんで野郎のストライクゾーンを覚えておかなくちゃいけないんですか……」
そんなふざけた会話を最後に訓練場から黒瀬教員も居なくなった。
残されたのは気絶した校長と、疲れが多少なり溜まっている梨苑のみ。
そして、梨苑は後に後悔する。このとき、黒瀬教員とともに西園寺キリヱの様子を見に行けばよかったと。




