始まりの約束 5
また明日という言葉をふと思い出す。あれはただの別れの常套句ではなくて、きっと西園寺キリヱにとって本当にそうなるという意味だったのだろう。現に、梨苑の前には西園寺キリヱが現れた。
しかし、わからないことも確かにある。それは校長が西園寺キリヱのことを客人と呼んだことだ。
西園寺キリヱの格好を見るに、西園寺キリヱは学生なのだろう。しかも、この《学校》の中等部生だ。ということはつまり、校長にとっては生徒の一人であるべきはずだ。たとえそれが日本帝国七十二家の娘であったとしても。
ではどうして校長は西園寺キリヱに対して客人という呼び方を使ったのか。おそらくそれは、西園寺キリヱが日本帝国七十二家の権力を行使したからだと思われる。
「……それで? 家の権力を使ってまで俺に会いに来た理由を聞いてもいいか、西園寺」
「こ、コラ、馬鹿者! この御方は――」
「いいですよ、先輩。でも、驚きました……よく私が家の権力を使ったことがわかりましたね」
「ふぇぇ!?」
校長からすれば、胃が痛くなる状況だろうと心中お察しする。だが、これで確定した。今の西園寺キリヱは生徒としての西園寺キリヱではなく、西園寺家としての西園寺キリヱなのだ。そして、家の名を出して会いに来たということは、それ相応の理由があるだろう。
随分と前から黒瀬教員は校長とは違い、黙ったまま梨苑と西園寺キリヱの話を聞いていた。
状況が状況のため口を挟めないというのもあるだろうが、きっと梨苑と同じく観察しているのだ。この不可解なまでの西園寺キリヱの登場の真意を。
「理由は二つ。今朝方、日本帝国北部十キロほどの場所に滞留していた《プランドラ》が一体も残らずに消失したのは知っていますか?」
「黒瀬教員が言っていたやつなら聞いた」
「そう言えば先輩の担任は、あの黒瀬第一級戦士でしたね」
なんか棘のある言い方だなぁと、小さいつぶやきが聞こえた気がするが、それを無視して会話を続ける。
「それと俺に会いに来るのと何の関係があるんだ?」
「実はその《プランドラ》の不可解な消失について日本帝国七十二家の会議が催されるそうなんですよ。ほら、五ヶ月前にもそういう事件があったじゃないですか」
「知らん。俺は七十二の家柄の出じゃないからな。そういう情報は秘匿されてるんだ」
「それもそうでしたね」
ニコニコと表情が笑っているが、それが作り笑いなのは昨日一日一緒に過ごした梨苑にはわかる。どうしてそのような態度を取っているのかはわからないが、ろくな理由ではないことだけは確かだ。
けれど、そういう催しがあるとして、どうすれば自分に行き着くのかが未だに理解できていない梨苑は少しだけ頭を働かせる。
西園寺キリヱは《西園寺家》からの客人としてここに来た。つまりは学生ではない。
そして、西園寺キリヱは日本帝国七十二家の会議に出席するためにここに来た。おそらくはここにある必要なものを取りに来た。それが梨苑であると言っている。
考えられるのはその会議に同伴者を付けなければならないという文言があったのかもしれない。しかし、それでも梨苑を連れて行く意図が汲み取れない。
なので、もう少し初めの方から考えていく。
どうして西園寺キリヱは《西園寺家》の客人として招かれたのか。家の権力を使ったと言質を取ったが、そもそも中等部の子供に家の名を使うことが可能なのか。それを言えば、日本帝国七十二家の会議にどうして西園寺キリヱが参加することになっている。
ハッと梨苑は顔を上げる。
そして、嘘であってほしいと願いながら、西園寺キリヱに訪ねた。
「いくつか質問してもいいか?」
「ええ、どうぞ」
「その会議とやらに同伴者を付けなければならないという文言があったか?」
「またまた驚きました。当たりですよ」
「じ、じゃあ、まさか今の《西園寺家》の当主ってのは……お前なのか?」
「すごいですね。また当たりです。でもまあ、まだ当主代理ですけれど」
嫌な予感が的中する十秒前である。
ゴクリと生唾を飲み、梨苑は最後の質問を口にした。
「もしかして、その同伴者に俺を連れて行こうとか……思ってます?」
「大当たりです♪」
呆れるまでの考え方に梨苑は思わず息を吐いてしまう。
西園寺キリヱがどういう考えで梨苑を連れて行こうと考えているのかはさておき、間違いなく西園寺キリヱは馬鹿である。
西園寺キリヱが梨苑のことをどう聞いているかは知らないが、あるいはどういう認識をしているのかはまるで検討がつかないが、そんな大役を周りの大人たちが許すはずもない。現に、度肝を抜かれた校長が口を開けたまま驚きふためいていた。
「そ、そそそ、そんなやつを会議に出席させるのですか!?」
「ええ、そうですけれど……何か問題がありますか? あ、もしかして先輩、忙しいですか?」
「サボり過ぎで今まさに校長に説教を食らいそうになってたところだ」
「じゃあ、安心ですね。予定もなさそうですし」
「か、考え直してください! そいつはこの《学校》始まって以来の問題児で、ろくに戦うことすら出来ないくせに地頭だけで学年を上がってきた劣等生ですよ!?」
「ろくに戦うことが出来ない……?」
素っ頓狂な顔で梨苑を見つめる西園寺キリヱは疑問符を浮かべていた。
梨苑はまともに戦うことが出来ない。
今の時代で戦うとはすなわち《プランドラ》とである。そして、強力すぎる能力を持つ《プランドラ》と渡り歩くために開発されたのが《ADD》――アンチ・デウス・デバイス――である。
これは《デウスニウム》が原因で危機的状況に陥った人類がそれでも《デウスニウム》から離れることができなくなったために、全世界の研究機関が協力し、《デウスニウム》が真に万能の金属であるならば、もしかしたら《デウスニウム》によって暴走、変質した存在を踏破する力にもなりうるのではないか、という逆転の発想から開発された人類の最後の武器。まさしく人類の悪あがきである。
梨苑は小学校卒業後すぐに行われる適正審査で戦士としてのトップの数値を叩き出した。が、梨苑にはADDが扱えなかった。
ADDは生体電流が、内蔵された《デウスニウム》に流れることによって人種に応じた炎を発生させ、キーワードを唱えることにより予めデザインされた武装へと変形し、さらには生体電流の増大を促して身体能力の強化をもたらすというものだ。また、身体能力の強化は炎の大きさに対数的に依存し、炎の大きさによって発現できる武装も変わってくる。
つまり、今の時代でADDが扱えないというのは戦えないと同義である。
これをどう簡単に説明しようか悩んだ挙げ句、梨苑は一言で済ませた。
「俺はADDが扱えないんだ」
「……理由はわかっているんですか?」
「さあ?」
「…………」
これで諦める。そう思っていた。
だが、現実はそれほど甘くないと言うように、西園寺キリヱは真面目な顔になって告げた。
「それでも、先輩を連れて行くことは決定事項です」
「は? おま、話聞いてたか? 俺は戦えないんだよ」
「そもそも戦いに行くわけじゃないですし。それに、どうせ連れて行くなら信用できる人についてきてもらいたいじゃないですか」
「……俺が信用できるって?」
「ええ。少なくとも、私を助けてくれたのはこの世界で先輩だけですよ」
呆れた。しかしこれ以上にない言葉だった。
それでも不満そうにしているからか、西園寺キリヱが時計を一瞥するや一つ提案をしてきた。
「じゃあ、こうしましょう。今から私と戦って、先輩が勝ったら会議には同伴しなくていいです。ただし、私が勝ったら先輩は私の付き人として私とバディを組んでください」
「おい。なんかとんでもなく不利な賭けを申しだされたんだが? そんなもの誰が了承するって――」
「良いですよね? 先生方」
《西園寺家》としてやってきている西園寺キリヱが教師に了承を申し込む。これはお願いではない。日本帝国において皇帝の次に位置する家系の頼み事とはすなわち命令だ。これでは脅迫と同じだ。
故に、内心でどう思っていようが教員二人はうなずくしか無い。
「俺は良いと思うぜ。なんだか面白そうだし」
「なっ……」
「わ、私も…………賛成です……」
「はい!?」
「では校長先生の許可ももらえたことですし、早速準備しましょうか」
「おい。おいおいおい。ちょっと待て、西園寺! だから、俺は戦えないって言ってるだろうが!!」
俺の悲痛の叫びも虚しく、西園寺キリヱはスタスタと校長室から出て行ってしまう。きっと、練習場へ向かったのだろう。そして、俺は黒瀬教員に引っ張られる形で練習場へと連れ去られる。
その道中、ようやくして俺は西園寺キリヱが出会ってはいけないタイプの人間だったのだと気がついたのだった。




