始まりの約束 4
翌日、《学校》をサボったことが当然のようにバレた梨苑は校長室へと呼び出されていた。
校長室の中には担任の黒瀬康道がこれ以上になく面倒そうな顔で立っている。現在、呼び出した本人である校長は用事があるそうで席を外している。よって、戻ってくるまで現状待機と命じ付けられ、今まさにこうした悪い空気の中で二人で立っている始末である。
しかしながら、かれこれ一時間ほど立たされているということもあって、暇を持て余していたのだろう。黒瀬教員が梨苑に向けて言葉を飛ばす。
「やってくれたな、殻之杜。俺、最初に言ったよな? 俺の受け持つ生徒になったなら、面倒事は起こすなって」
「ええ、言ってましたね。お前達の面倒事は巡り巡って俺の面倒事になるから、と」
「そうだ。俺は面倒なことと大変なことが大嫌いなんだ。特に今みたいな状況は最悪だ。不倫魔校長の話を聞くだけでも嫌なのに、ちょっと待ってろとか言ってどれくらい待たされた。加えてお前を目の届くところに置いておかなかった責任問題だとかなんだとか言って、俺まで怒られる。ったく、ホントお前は疫病神だな」
散々な言われようだ。しかし、それを甘んじて受けなくてはいけないのが生徒であり、問題を起こした梨苑の責任だ。そもそも幾度となくサボりを働いてきた梨苑が今更授業を受けるはずもない。それをどうして理解できないのか、梨苑には不思議でしかたなかった。
現在の日本では、義務教育は小学生まで――つまりは、満十二歳で生きる上で必要な教育を叩き込まれる。その後は適正審査が行われ、力無き者は技術班、および農業班へと振り分けられ、力ある者は強制的に《学校》へと収容され、否が応でも戦う術を身に着けさせられる。
二十年もの間、危険に晒されてきたから、徴兵があるのは仕方がないことだが、それでは力ある者は戦うために生まれてきたようなものではないか。
そのことに何一つ疑問を持たない生徒の中で、梨苑だけがただ一人の例外として存在している。梨苑は《学校》へ収容された次の日から自らの疑問を解消するべくサボることを決め込んだ。
そうして月日は流れ、梨苑は十八になり、問題行動が目立つということで教員の中でも問題が多い教員を担任として付けられた。おそらく、学校側の意思としては、問題因子を一箇所に固めておいたほうがいいと考えたのだろう。つまり、梨苑は黒瀬教員を、黒瀬教員は梨苑を押し付けられたのだ。
不眠症を患っているらしい黒瀬教員は目の下に明らかなクマを常日頃から作っている。加えてズボラな人間らしく、髪は整えておらず服はヨレヨレの白衣と適当が否めない姿だ。
しかしながら、黒瀬教員が教員として認められているのには理由がある。
《学校》の教員は校長を除いて全てが、世界に未曾有の危機をもたらした化け物たちと渡り歩くことができる戦士である。その中でも黒瀬教員は《セイヴァー》と呼ばれる特別な階級を持つ戦士である。それ故にどれほどの問題を起こそうとも《学校》で一定の地位に立っていられるのだ。
簡単に言えば、黒瀬教員は強い。それもとんでもなく。強さこそが全てとは言わないが、今は強さこそが世界に求められているファクターでもある。
そんな黒瀬教員だが、実は梨苑と仲が悪いわけではない。むしろその逆。二人は非常に馬の合う性格をしていた。
だから、二人は同時に息を吐き、黒瀬教員に至っては言葉を添えた。
「やるならもっと上手くやれ」
「俺なりに上手くやったつもりだったんですけどね」
「それでバレてちゃ意味がないだろ。校長は俺じゃない。俺だったら黙認することを、あの不倫魔は見逃さないぞ」
「黒瀬教員は基本的に何もかもを黙認するじゃないですか」
「そりゃそうだ。面倒極まりないからな」
そうして二人は笑う。まるで、自分たちがどうして校長室にいるのかも忘れてしまっているように。
されど時間は進む。まだ、校長が戻ってくる気配はない。
時間を潰すために何か話題を探す梨苑。不意に黒瀬教員がこの場にいることを疑問に思う。そう言えば、と。先日言っていたことを思い出したのだ。
そして、そのことを思い出したことによって、黒瀬教員がこの場にいることはおかしいと思い始めたが最後、質問せずにはいられない。
「そう言えば、今日は出兵だったんじゃ?」
「それな……実は百体を超える《現存種》が軒並み消えちまったんだとさ。だから、俺の出兵は取り消し。たまの休みだったわけだが、殻之杜……お前のミスで俺の休日がパーだ」
「それは最難なことで」
「どの口が言う」
へっへっへ、と。二人してから笑いをする。
《現存種》とは二十年前から発生して現在に至るまで世界に破滅的な災害を引き起こしている化け物たちの種別である。世界は突発的に現れた化け物によって壊滅した。
目下化け物たちの総称を《プランドラ》とアメリカの研究員たちが名付け、更に《現存種》、《幻創種》、《王冠種》と大きく三つに種別した。その中の一種である《現存種》は《デウスニウム》を体内に取り込み凶暴化した動物たちのことである。
《デウスニウム》は人類に比類なき進歩を与えたが、その実、世界を壊滅させた一端を担っている。
《デウスニウム》。宇宙から飛来した直径三メートルの隕石から採取された希少金属。その組成は地球に存在するあらゆる金属と合致せず、百パーセントの熱伝導、元の密度と比例しない延性、光すら放つほどの光沢を持ち、時に液体、時に固体へと姿を変え、常温で超伝導と絶縁体の切り替えが可能とあらゆる面で優れた特徴を持つ。驚くべきは、摩訶不思議な増加性だ。当初、直径三メートルほどだった隕石が、今ではその三十倍の大きさに増加している。
また、増加すると同時に発生する鉄粉が空気に溶け、無害だった動植物はたまた電子機器まで狂わせ、凶暴化させた。そして、凶暴化した動植物が見受けられるようになりはじめてから一年後、世界に絶望的な打撃を与える存在が現れる。
それこそが《王冠種》。その発生、目的が一切わからない霊長類を滅ぼす食物連鎖の新しい頂点。十二体いる化け物はそれぞれが《終末論》と言われる解析不可能の能力を持っており、それ故に人類は対処できずに今日日に至るまで後退してきた。
他にも《幻創種》と呼ばれるものがいる。これは神話の世界やおとぎ話に現れる不思議な生き物の姿をした化け物のことを指す。これらは《現存種》が共食いを繰り返すことで発生することが知られているが、その強さは《幻創種》一体で《現存種》の二百体分であるらしい。
もしもこの世に神様なんてものがいるのなら、それは残酷無比な存在だろう。でなければ、このような救いようのない世界になどしはしない。
ただし、人類もはいそうですかと簡単に滅ぶような種族でもない。生き延び、研究を重ね、途方も無い失敗の先でこうして、対抗する手段を編み出した。それによって子供が強制的に戦士にさせられているわけだが。
梨苑のすぐ横にいる黒瀬教員はその戦士の中でも群を抜く強さを持つ。梨苑が一度だけ強さの度合いを聞いたところ、他教員から黒瀬教員は一人で《現存種》五百体を相手取れると言っていた。つまり、単純計算で言えば、《幻創種》を単騎で二体は倒せるということになる。
また、この強さで性格も良ければ団長にもなれる器だと陰口されていたのは黙っておこう。
元来より抜きん出た才能を持つ者は性格に難ありと相場が決まっている。
もう一度クスリと笑って、梨苑は黒瀬教員を見ていた。すると、黒瀬教員が体を震わせて嫌そうな目で梨苑に言う。
「男にそんな笑いされると寒気がする。やめろ」
「ひどいなぁ。これでも尊敬はしてるんですよ?」
「るっせぇ。お前に尊敬されても嬉しくもなんとも無いわ」
「とか言いつつ、俺の担任を降りないじゃないですか」
「バッカお前。俺だってなぁ。できれば可愛い女の子の担任がいいに……決まってる……だろ……?」
急に冷や汗を掻き始めた黒瀬教員の視線が梨苑から外される。気になった梨苑はその視線を追いかけると、目線の先には扉があり、それよりも手前にものすごい形相の校長が立っていた。
つまるところ、黒瀬教員はとんでも発言を校長自らに聞かせてしまったわけになる。
やっちまったと顔に書いてある黒瀬教員は、片手で顔を隠した。自分は関係ありませんと梨苑はそっぽを向く。しかしながら、逃げることなど許されずに校長の怒りは撒き散らされることとなる。
「貴様ら……厳重待機とは話を弾ませていいという意味ではないぞ!!」
「「…………」」
「そもそも、客人の前で一体何の話をしているんだ!!」
問題児を放っておく方が悪い。一瞬だけそういう考えが梨苑の脳裏を横切るが、それを言えば色々な意味で面倒なことになるため口にはしなかった。
けれど、校長の話の中で気になる言葉があった。
一体、客人の前とはどういうことだろう。校長に向けられていた視線と意識が少し横にずれる。するとそこには…………。
「昨日ぶりですね、先輩♪」
「お前……昨日の」
そこには昨日強姦されそうになっていた西園寺キリヱの姿が満面の笑みとともに存在した。




