始まりの物語 2
今から二十年ほど前。たった一つの隕石によって世界は偶発的に、しかし決定的に終末の一途を辿った。
かつては世界最強と謳われたアメリカに落ちた隕石の名はアメリカの研究チームによって《神々の金属》と名付けられた。
その鉱石により、わずか一年半で人類史の滅亡を引き起こすことになる。七十億という数を誇った人類はその数を一パーセントにまで減らされ、住処の九割を失った。
そんな終わりかけの世界でも、未だに人類は生きている。今まさに反撃の狼煙を挙げんが如く。
その狼煙となるべく日本帝国が設立した《学校》と呼ばれる戦闘教育機関《ヴァルキュリア》に梨苑は所属するのだが……。
同じく《ヴァルキュリア》に所属していると思われる少女、しかも年下の少女にこてんぱんにされていた。
「変態変態変態!!」
「町中で変態変態叫ぶものじゃないぞ……主に俺の威信に関わる」
数分して痛みが引いてきた梨苑は微かに残る痛みを感じつつ、未だに自身を襲ってきた男たちと同様だと勘違いしている少女に挽回のチャンスを狙う。
だが、挽回云々より話に取り合ってくれないためどうにもし難い。警戒が厳重すぎて近づけやしない少女にはてさてどうしたものかと悩んでいると、少女の後ろで腰を打って動けなかった男たちが時間経過で回復したらしくゆっくりと立ち上がる様子が伺えた。
せっかく助けたのに再び追いかけられた挙げ句、再度捕まってしまったと慣れば助け損だ。なんだったら、蹴る殴るをされただけ大暴落というところだろう。
仕方がないので面倒だが助けきろうと重い腰を上げるが、そこに少女からのハイキックがお見舞いされる。
「立つな、変態!!」
「ぐげぇ…………俺は、お前を助けようとしてるの! わかる!? オーケー!?」
「黙れカス! 中学生に欲情するとかありえないよ!」
「カス!? おま、助けようとしてる善良な男子高校生に向かってカス!? イカれてんじゃねぇのか!?」
そもそも男に襲われていた少女に、自分は優しい男だから触ってもいいよねみたいな近づき方では拒絶するのもうなずける。けれど、ろくに人を助けたことがない梨苑にはその是非がわからないのだ。
対する少女も怒りと恐怖で周りが見えていない。今まさに立ち上がった男たちが少女に襲いかかろうとしているなど知りもしないだろう。
このままでは最悪の続きだ。ともすれば共犯にされかねない。それでは本当に損である。
どうにかして男たちを無力化しなければならない。しかし、少女は取り合ってすらくれないし、まして立たせてすらくれない。
悩みに悩んだ挙げ句、梨苑は一つの事実に気がついた。
少女は梨苑と同じ《学校》に通っている。それに梨苑を無力化する攻撃性を持ち合わせているではないか。つまるところ、戦えないというわけではない。加えて、今は怒りで我を忘れているようで、先程までの襲われるだけの少女ではなさそうだ。
であれば、梨苑が男たちをどうにかしなければいけない道理はない。
そう、少女に全てを任せてしまえばいい。
そうやって悪巧みが終了するや、梨苑は少女の背後にいる男たちに向かって叫ぶ。
満面の笑みを添えて。
「おい! 後ろから掴んで締め上げろ!!」
「さ、せ、る、かぁぁぁぁああああ!!」
おおよそ人体にある全ての水が振動する音が響く。裏拳による頭への直接攻撃は、音からして頭蓋骨を粉砕したかもしれない。人が変わって続く踵落としによる肩への攻撃に加え、膝で顎を打ち出すという殺人でもしようとする勢いの攻撃で男たちの二人がやられる。
残りの一人は落下の衝撃で足と腰をやられたらしく立ち上がれてはいなかった。これにて全ての男たちが無力化されたわけだが、少女の怒りの形相は最後に梨苑を捉えていた。
両手を上げ、自分はもう何もする気はないという意味を込めて少女を見る。が、少女は怒りの形相を変えずに近づいてきて、梨苑の顔を覗き込むように眺めた。
さらには視線を下に向け梨苑の着衣を確認すると、我に返ったように慌てて敬礼した。
「こ、高等部……!?」
「やっと気がついたのか……」
全身に響く痛みを我慢して梨苑はまず、敬礼したまま冷や汗をかいている少女に向き直る。
そして、頭を掻きながら少女が落ち着きを取り戻してからの第一声に何を話そうかと考えて、無難なところで妥協する。
「俺は殻之杜。殻之杜梨苑だ」
「殻之杜先輩…………ぶ、無礼なことをしてしまい大変申し訳――」
「いや、謝罪はいい。俺も不用心に助けたのが悪かった。今度からは困ってる君を見つけたら二度と助けない。それよりも」
一息。
今にも泣きそうな少女は内心で困り果てた梨苑のことなど全く考慮していなくて、心底嫌そうな息を吐いた梨苑に触れようとすらしない。
それほどまでにこの時代の先輩後輩というのは身分の差が大きいのだ。けれど、梨苑はそこまで自分に畏まらなくていいと思っている。
なぜなら、梨苑は《学校》でも最も不真面目なサボり魔。畏まられるところがあるのならぜひとも教えてもらいたい。それをよく理解しているから。
故に梨苑は珍しく爽やかな笑顔をして、少女に向けてこの言葉を放つ。
「君の名前は?」
「は、はひっ……はい! わ、私の名前は西園寺キリヱです。キリヱというのはカタカナで、ヱはわ行のヱです!」
「西園寺……もしかして日本帝国七十二家の一つである、あの《西園寺》か?」
「は、はい……」
日本帝国七十二家。世界滅亡の際、日本にも多大なる影響を及ぼした災害にて日本を立て直した七十二の家柄は日本が日本帝国と名を変えた現在、上級貴族として名を連ねることになった。上級貴族は所謂エリートの道が決められた生まれからして高貴な存在である。それは法の七割を決められるほどの権力を持ち合わせるが……。
その家柄の一つである《西園寺》は規律を重んじる由緒正しい家柄のはずだ。少なくとも金でのし上がった他の家柄とは違う。
そんな生まれであるはずの少女……もとい西園寺キリヱが男たちに強姦される五秒前だったとは。
おそらく面倒事に巻き込まれたに違いないと、梨苑は心の内で舌打ちをする。
高貴な存在を知ってか知らずか襲うなど、命知らずにもほどがある。そもそもこの時代に学生を襲うなどありえないのだ。学生とは戦闘を主に習得した連中のことで、いわば戦闘のプロを目指すやつらの総称でもある。
誰がそんな危ないやつらに好き好んで襲う必要があろう。であれば、話は簡単だ。この西園寺キリヱによって気絶、あるいは瀕死に追いやられたやつらは皆、最初から西園寺キリヱを狙っていたのだろう。
そして、高貴な生まれの幼気な少女を初めから狙っていたのだとしたら、それは金目的かそれとも西園寺の家への交渉材料に使おうとしていたと考えるべきだ。
ここまで考えたのならあとは何も考える必要はない。
だって、この時点で十二分に面倒事であるし、それに片足を踏み入れてしまったのは間違えようもない事実なのだから。
これから起こるであろうちょっとした事件に今から頭痛に悩まされながらも、梨苑はこの場を後にしようと颯爽と歩き出そうとする。が、それを許さないと西園寺キリヱが会話をつなげた。
「あの……できればこの事は《学校》にはご内密にしていただけると……」
「ああ、ぜひともそうしたいね。俺はまだ平穏無事に生きていたいから」
「えっと……多分無理だと思います…………よ?」
「は?」
驚いて見たくもない西園寺キリヱの方を見ると、西園寺キリヱは申し訳無さそうに人差し指でそちらを向けと示す。その方を見るや、落下の衝撃しか食らっていなかった男が満面の笑みで通信機をぶら下げていた。
その通信機の先ではきっと、西園寺キリヱを強姦、あるいは誘拐しようとしていたであろうこの者たちの仲間がいる。もしくはリーダーか。
どちらにせよ、名乗りを上げてしまった梨苑はもう逃げられない。
どこにも発散できない怒りを、なかば八つ当たりのように笑っていた男にぶつけ、持っていた通信機を木っ端微塵にしてやる。
もう一度視線を西園寺キリヱに戻すと、何度も何度も頭を下げて謝り倒す姿が大きく写った。
「ごめんなさいごめんなさい! ホントもう、なんて謝ればいいのかわからないですけど、ごめんなさい!」
「ああ、もういいよ。残り少ない人生を有意義に使わせてくれ……」
「そうはいきません! ご迷惑を掛けたのなら、それの倍以上の謝礼をしないといけないのが我が家の家訓です! 何か望みはありませんか? 私ができることなら、なんでもします!」
今すぐ目の前から消えてくれ。そう言葉にしようと考えたが、西園寺キリヱのなんでもという言葉に梨苑の思考は完全に停止する。
梨苑には十歳の頃からたった一つだけ願いがあった。それがこの西園寺キリヱに叶えられるか否かはわからない。けれど、不意に言葉になってしまう。
陰険で憂鬱が形になったような梨苑は黒い笑みを浮かべながら、純真無垢なお嬢様を汚すように近づき、そうして願った。
「じゃあ、俺を殺してくれないか?」
「……………………はい?」
聞き間違えたような、疑問に思うような、もしくは少しだけ恐怖を感じたような、ともかく好印象ではない顔で西園寺キリヱは聞き返す。
殻之杜梨苑の望み。それは己の破滅。死というこの世からの開放。または神が与え給うた細やかな幸福だった。




