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始まりの約束 1

 当たり前な日常。変わらない風景。安穏たる日々はいつまでも続くと思っていた。

 だが、そんな理想は粉微塵にまで打ち砕かれた。

 平和に溺れ、安寧の中で過ごしていた人々はついぞ思い出す。


 死を忘れることなかれ。人は必ず死ぬのだ。

 無残にも、冷徹にも、無関係に平等に。聖なる生、及び聖なる死を以て死神の鎌は首を断つ。

 時計は針を推し進め、人類史の終わりを刻んでいく。


 では、死に見放された者は果たして人類か。はたまた人外か。

 死ねぬ呪いを持って、かの者はこの全く救いようのない終わりかけの世界を生きていた。







 悲劇を好む作家でも、本物の悲劇が起これば恐怖と涙で顔を歪ませ、こう叫ぶに違いない。


「話が違うじゃないか! わ、私は――」


 扉一枚隔てた向こう側の部屋では今まさに悲劇の真っ最中だった。というのも、扉の向こうには子供に教養を与える収容施設、所謂ところの《学校》の校長が顔を青くして叫んでいると思われる。

 それをとてもつまらなそうに扉の前で聞いている少年は殻之杜からのもり梨苑りおん。殻之杜などという聞くだけで怖気づきそうな名字と梨苑などという女っぽい名前に心底嫌気が差していた少年は、日常の九割を不満そうな顔で過ごしている。

 ともあれ、校長が悲劇に魅入られているのは梨苑のせいではない。梨苑はただ《学校》のサボり過ぎによる反省文ならぬ始末書を届けに校長室に訪れただけなのだが、どうやら笑顔で渡せそうな雰囲気ではない。


 しかし、これを時間にしてあと五分以内に提出しなければ梨苑は退学となってしまう。

 果たして扉を開けて知らなくていいことを知るべきか、あるいは知らぬ存ぜずを貫いて学生という身分を棒に振るべきか。

 しばらく考えた末に、梨苑は扉を開いた。


「あのぉ、反省文を――」

「夫とは別れてくれるという話だっただろう!? 何故未だに――」

「失礼しましたー」


 痴情のもつれなら校長室以外でしてほしい。

 扉をあけると、新しい世界の扉まで開かれそうになったが、梨苑は迅速かつ心を無にしてできるだけ現実と切り離した状態にて校長室を後にする。大人の世界は大変だ。そのような感想とともに、時間ギリギリに提出が叶った反省文を思って午後の授業をサボる用意をする。


 《学校》の生徒なら誰もが持っている配給されたデバイスを操作して、梨苑は現在位置を中心としたマップを開く。そして、昨日と一昨日行った場所を思い返して、今日はどこへ遊びに行こうかとマップを凝視する。

 数分の後に行く場所を決めるや、デバイスをしまい歩みだす。目的地は特になく、方向だけ決めてそっちへひたすら歩く。そういうサボり方が今日日の梨苑の暇つぶしだった。


 そうやって背後で鳴る授業開始のチャイムを聞きながら意気揚々と梨苑は足を進めていった。

 今日向かった場所はあまり繁盛していない商店街だ。人影もまちまちで寂れたという表現が正しい。

 どうしてそんなところへ向かったのかと言われれば、特別な理由などありはしない。ただ、マップ上で気になったからやってきた。理由らしいものはこの程度である。

 されど、どれほど寂れた場所でもちょっとした事件は起こる。そして、人が少なければ少ないほどにその事件に関わる確率は上がるのだ。例に漏れず、梨苑は手近な事件に巻き込まれることになる。


 壁の修復作業に建てられていた足場に人が走っている。身なりから作業員でないことは明らかで、しかも何やら追いかけられているようにも見える。

 これで追いかけているのが黒服なんてベタなものだったら、さぞ高貴な存在が商店街の足場を伝って逃げているのだと考えられる。だが、小汚い服に不安定な足場を歩くことに慣れすぎた様子を見るに少なくともボディガードとかではないだろう。

 さらに、そんな小汚い連中が追いかけているのは梨苑が通う《学校》の中等部生が着用することを義務付けられている制服を着た少女だった。


 これはただ事ではない。サボりなどという人道から外れた行為の常習犯であるさしもの梨苑でもその程度はわかる。しかして、わかるからと言って助けると同義ではない。

 この世には見て見ぬ振りという素敵な言葉があるわけで。もちろん、それが座右の銘だと言っても過言ではない梨苑は、己が信じる人生の規範に物を言わせて目の前の理不尽から全力で目を逸らそうとしたわけで。


 されど忘れてはならない。人は他人の悲痛の叫びを聞いた時、助けるか加わるかの究極の二択を迫られるということに。


 残酷にも人は他人の不幸を無視できるほど利己的な生き物として作られてはいなかった。

 そうして、少女の声は寂れた商店街に響き渡る。言葉としては曖昧で、吠えるにして理知的で、それはまさしく人の不幸を声にしたものだった。

 だから、梨苑は選んだ。


「ったく、しょーがねぇな」


 足場の上で捕まった少女は男たちによって制服を引っ張られる。おそらくは暴力にまかせて破り捨てようとしているのだろう。そんなことに夢中になっているから、きっと彼らは不安定な足場にいることさえ忘れているに違いない。

 梨苑が足場を思いっきり蹴ると、グランと足場は大きくしなって揺れ始めた。その揺れが少女と彼らに到達するまでそう時間はかからない。

 足場が崩れはしなかったが、足場にいた人は等しく空中へと投げ出された。それは少女や少女を襲っていた彼らも例外ではなく、三メートルはあろうかという高さから放り投げられた彼らの中から、梨苑は少女だけを器用に捕らえてみせた。

 ほかの男たちはというと地面に腰を打つなりして、ある程度の手傷を負ったようだ。


「っとと……重っ」


 女性に対して重いというのはご法度だろうが、高さ三メートルから落ちてくる五十キロほどの重りをキャッチしたと考えれば、仕方がないと言えば仕方ない。

 お姫様抱っこで腕に収まっている少女に目を向けると、少女は濡れた犬のように丸まっており、まさか自分が高さ三メートルから投げ出されたとわかっていなさそうだ。

 警戒されたまま怯えられて、ともすれば暴力が飛んでくるのを避けたかった梨苑は心の隅で面倒だなと想いながらも声をかけることにした。


「大丈夫か、おじょーさん?」


 梨苑の言葉が届いたからか、怯えていた少女の目が開かれる。そうして、梨苑と少女との目が合うや、少女は今にも泣き出しそうな目をして口ずさむ。


「……………………………………イヤ」

「ん?」

「イヤァァァァアアアア!!」


 鳩尾みぞおちに肘が突き刺さり、膝で顎を打ち上げられる。その反動で梨苑の手から逃れた少女は空中で体を捻って打ち上げられた梨苑の頭に回し蹴りをお見舞いし、梨苑は見事助けた少女にコテンパンにされた。

 少女は驚異的なバランス力で地面に着地すると自分の体を抱きしめるようにして、梨苑を睨みつけて叫ぶ。


「えっちスケベ変態痴漢強姦童貞!!!!」

「ど、童貞は、関係ねぇだろ…………」


 辛うじて意識はあったが、この瞬間ほど人助けを悔いたことは後にも先にもないだろう。

 ズキズキと痛む鳩尾と顎を想いながら、梨苑は憎たらしくも青い空を見上げながら、大きく息を吐いてこの世の理不尽に愚痴る。


「勘弁してくれ……」

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