名無しの権兵衛さんはあなたですか?
日本帝国が有する最大の書庫がある。
そこには歴史書から専門書、はたまたかつての学生を苦しめたと言われる参考書等、現在ではあまり使われない本まで全ての完備した名実ともに最大の書庫である。
驚くべきはその書庫を一般開放している点だろう。確かに裏では情報開示の義務を謳う反政府組織の存在があったことは否めないが、それでも人類の三分の二が死滅した世でその判断は他国と比べて異彩と言わざるを得ない。
さて、そんな場所であるがゆえに、今を生きる者たちは滅多に足を運ばない。来る者と言えば、暇を持て余す老人か、研究熱心な者くらいだ。
その中に、御門恭介は山積みにした歴史書の一冊を手にとって読み耽っていた。
(ここ五百年の歴史を洗ったが間違いない)
一体全体どんな間違いがないのか。
五ヶ月かけて読み終えた歴史書、述べ百冊強。うち気になった文章、一文。
恭介は自分が元いた世界の歴史を大まかに覚えていた。だから、それと示し合わせるように歴史書を読み漁った。そうして見つけたのだ。この時代の転換点とも言える奇妙な一文を。
(宇宙からの飛来物……そこから採取された超希少金属《デウスニウム》)
おそらく、世界の歴史が変わったのはこれのせいだと、恭介は手に持つ歴史書を閉じる。
《デウスニウム》。宇宙から飛来した直径三メートルの隕石から採取された希少金属。その組成は地球に存在するあらゆる金属と合致せず、百パーセントの熱伝導、元の密度と比例しない延性、光すら放つほどの光沢を持ち、時に液体、時に固体へと姿を変え、常温で超伝導と絶縁体の切り替えが可能とあらゆる面で優れた特徴を持つ。そのため、当初これを発見したアメリカの学者団体により、神の与えし万能の金属と評して《神々の金属》と名付けられた。
閉じた本を積み重ねて恭介は目頭を抑える。今日はかれこれ六時間も連続で読書をしていたためか、流石に疲れが出たのだろう。
コーヒーの一杯でも飲みたいものだが、どうも人類の三分の二が死滅した世界ではコーヒーや緑茶は最高級品らしく、大した家柄どころか住所不定の恭介にはとてもじゃないが手は出せない。
別段カフェイン中毒でもないため、飲まないこと自体は我慢できる。だが、そろそろ家と、制度があるなら住民票を手に入れなければならない。この世界に来てちょうど五ヶ月。季節的には春か初夏だったようで家がなくとも比較的生活はできた。ご飯も近所のおばちゃんの善意で与えられ、餓死するようなこともなかった。
けれど、いつまでもこのままではいられない。いずれ冬が来る。善意がいつまで持つかわからない。なるべく早くこの問題を解決しなければ死は免れぬだろう。
「と言ってもな……」
この世界に知り合いなどいない。頼れる仲間もいない。
だいぶ改善されたとは言え、日本帝国の首魁たちも未だに混乱状態で制度的にもグダグダのようだ。そこに恭介のような存在自体があやふやな者が行けばどうなるか。
確実に打首だ。良くて敵の手先だと断じられて解剖される。
(実に難題だ。どこかに住所不定で身分証のない者を雇い、なおかつ安心安全な家を提供してくれる心優しい人はいないものか)
いるはずがない。
恭介はそう断じて息を吐く。
「お困りですか?」
不意な声に恭介は驚く。だが、その様子は微塵も見せない。元々静かな空間ということもあって、足音は嫌でも耳に入る。そのせいで自分に近づく存在に気がついていたのだ。もちろん、声をかけられるとは思っていなかったが。
眼球を動かして声の主を見つけた。女の子だった。
栗色の髪に笑顔が似合う幼さの残る顔。背丈は控えめに言っても大きいとは言えず、むしろ平均より小さいのではないかと思われる。しかし、それよりも気になったのは彼女が身につけている制服だ。
黒を基調とし、金で装飾されたワンピース。
恭介はそれを見たことがある。この日本帝国の戦力である戦闘員の誰もが着るもの。所謂軍服である。
つまり今現在、恭介に話しかけてきているのはこの国の武力ということだ。
「いえ、大佐殿の手を煩わせるような悩みではありませんよ」
胸に掲げられた紋章で彼女が大佐であることを突き止め、作り笑顔でやんわりとお断りする。
なぜ、大佐がここにいるのか。どうして話しかけるのか。その笑顔の裏に隠されたものは何なのか。
気になることは多々あるけれど、今の恭介は軍関係の者に見つかればお終いの立場にある。容易には話せない。
だというのに、大佐は引かない。果敢にも笑みを浮かべたまま恭介に声をかけ続けた。
「いえいえ。一般人の悩みを聞いて、不安を取り除くのが我々軍人の仕事ですので。どうぞ、話してください」
恭介の前に椅子を持っていき、その椅子に腰掛ける。満面の笑みは一周回って怪しささえある。
(厄介なのに絡まれたな)
作り笑顔は苦笑に変わり、ポーカーフェイスが崩れそうになる。
恭介は無理矢理にでもこの場を切り抜けようと、思考を巡らす。
大前提として大佐を怒らせるわけにはいかない。目立って顔を覚えられるようなことがあってもいけない。名前を聞かれてはいけない。住所を聞かれてはいけない。
怒らせず、目立たず、恭介がどこの誰なのかを気にさせない。そのような切り抜け方でなければいけないわけだ。
生唾を飲む。
無理に帰ろうとすれば怪しまれる。かといって、関係ない悩みを言って恭介自身がその返答に正しい反応ができるとも限らない。
(ここは近すぎず遠すぎない悩みを言って誤魔化すか)
ここまでの思考、三秒。四秒目には口が開き、当たらずといえども遠からずな悩みを吐き出す。
「それでは……少し家のことで悩んでいましてね」
「そうですか。それはお辛かったでしょう。住所不定では確かに不安にもなります」
「……?」
「あれ? そういう話ではありませんでしたか、住所不定で身分を示すことが出来ない名無しの権兵衛さん?」
今度こそ恭介は驚いた顔を見せる。当然だ。知るはずもないことを知っている大佐に驚きを見せないことなどない。そこには嫌な顔という副産物も含まれていたが、たしかに恭介は驚いていた。
そして、恭介は今の言葉を持って予想できる疑問の半分以上を解き明かす。
なぜ、大佐がここに……?
おそらく、恭介に会いに来たのだ。
どうして話しかけるのか?
おそらく、恭介に会いに来たのだ!
(ボン・キュッ・ボンな美女に追いかけられるならまだしも、こんなちんちくりんに追いかけられる筋合いはねぇぞ…………)
最悪の事態だった。
上記の解答が怪しい人物に話しかけたのであれば、言い訳はできる。しかし、最初から恭介に的を絞っているという話であれば、言い訳などできるはずもない。
彼女の満面の笑みが語る。《チェックメイト》と。
「あ、逃げるのはオススメしませんよ。次、私に背を向けたら指名手配しますから。それと私と戦うこともオススメしません。あなたなら私を倒すことは余裕かもしれませんが、私がある時刻までにある人物に会わないと、自動的にあなたを指名手配するように言いつけてありますから」
逃げ場はないよ。彼女は暗にそう謳う。雄弁と語る彼女の顔にはなぜか怒りすら感じさせた。
確かに逃げるために体重移動を行っていた恭介には急所を突いた言葉だ。彼女は見事に恭介をこの場に縛り付けることが叶った。
では、此処から先は彼女の独壇場だろうか。――否。
恭介はどっしりと椅子に腰を落ち着かせ、顔の前で手を組んで薄っすらと笑う。そして言うのだ。
「おめでとう。それで? 見事に俺を捕まえて、あんたは一体何を聞きたいんだ?」
「それがあなたの本性ですか……。じゃあ、名前から。いつまでも名無しの権兵衛さんと呼ぶのは呼びづらいので」
「いいだろう。俺の名前は――」
「本当のことを言ってくださいね?」
偽名を使おうとした恭介の先回りをする大佐。表情に出していた気がしない恭介はどうしてバレたのかわからない様子だったが、観念して本当の名前を使うことにした。
「……御門恭介だ。御勅使川の御に門と書いて御門。恭しく介入すると書いて恭介」
「おかど……きょうすけ……恭介さんとお呼びしても?」
「もちろん。好きに呼べばいい」
「じゃあそうさせてもらいます。私の名前は天王寺伊桜里。あなたが言うように日本帝国軍で大佐をさせてもらってます……エインヘリヤルとしての階級は一般ですけどね」
エインヘリヤルという言葉の意味は神話に描かれるエインヘリヤルとしかわからなかったが、言葉の真の意味をしる時間など存在しない。
恭介は歴史を調べることに忙しくて階級に関してはあまり詳しくはない。ただ、伊桜里の軍人としての階級がわかったのは軍服は違えど、その紋章に描かれたものは元の世界のままだったからだ。
こうしてお互いの名前を知った二人は、しばし互いを見つめ合う。スキを狙っていると言ったほうが正しいのかもしれない。ただし、それはこの場から逃げるためのスキではない。どう相手を丸め込むかという点でのスキである。
そういう話から言えば、恭介はすでに二回も伊桜里に負けている。一つは恭介を見つけ出されたこと。もう一つは本名を知られたこと。
ここから恭介に挽回のチャンスがあるとすれば、それはおそらく……。
「どうすれば穏便にここから出してくれる?」
「私の提案に了承していただければすぐにでも」
「断ったら?」
「全力で首を縦に振らせます。それはもう、私が持ちうる全ての力を用いた嫌がらせをして」
「一般市民を守るのが軍人じゃなかったのか?」
「そこに住所不定で身分を示せない人は含まれませんよ」
「違いねぇ」
「「あっはっはっは」」
((さて、どうしてくれようか))
二人の外と内の戦いは苛烈する。
しかし、恭介は何をするにもまず伊桜里が言う提案を聞かねばならない。
前提として恭介は伊桜里の提案を了承することでしか穏便に済ませることは出来ないのだから。
「それで? その提案ってのは?」
「はい。私のいぬ――――執事になってくれませんか?」
言い直したが遅かった。少なくとも「いぬ」に続く快い言葉など恭介は知らない。それが職業だとすればなおさら。
なおも満面の笑みは物語る。《王手》と。