表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終わった世界のエインヘリヤル ~世界が終わっても彼ら彼女らの物語は終わらないようです~  作者: 七詩のなめ
もしもの世界は異世界ですか? ~彼は英雄になることを拒否したようです~
14/38

後は任せてもいいですか?

 恭介たちが見えなくなってからすでに十分ほどが経過している。だが、依然として蟷螂には恭介が負わせた手傷しかなく、戦況は悪くなる一方であった。

 というのも、伊桜里には蟷螂を倒すための確実な一撃を持ち合わせてはいないのだ。そもそも、伊桜里のような戦闘員は《プランドラ》に対して有効な攻撃手段を持ち合わせているが、それは何も必殺の一撃にはなり得ない。

 《プランドラ》に対して傷をつける攻撃ができるというだけであり、なにも妥当できるわけではない。だからこそ、戦闘員は人数を集めて一体の《プランドラ》と対峙するのだ。

 故に、鋭く早い攻撃ができる蟷螂に伊桜里はこれといって攻撃が出来ていなかった。


「できることなら、その攻撃をやめてもらえると嬉しいんですけど……」


 苦笑いしながらそんなことをつぶやいてみるが、もちろん蟷螂に人の言葉は通じない。問答無用の横薙ぎ攻撃が放たれ、それを間一髪で避ける。

 一旦距離を取るが、その距離も虫特有の素早い動きで詰められて息つく暇もない。加えて生死の絡んだ攻防だ。伊桜里の体力は必要以上に削られていた。

 判断ミスは許されない。たとえ筋肉が悲鳴を上げたとしても動かなければ首が飛ぶ。まさしくすべての攻撃が必殺であるがゆえに、伊桜里の緊張は最高潮にまで達していた。


(このままじゃ埒が明きませんね……かといって、どうこうできるようなら戦闘員なんて名乗ってませんけど……ね!)


 無理矢理にでも距離を引き離すため、鎌の攻撃を避けた伊桜里は蟷螂の砕けた装甲を思いっきり蹴る。ADDによる身体強化が加わったおかげで、おそらく重量五十キロほどの蟷螂を十メートルほど蹴り飛ばす。だが、やはり素早い動きで再び距離を詰められる。

 蟷螂の攻撃は単調である。要はその攻撃速度が問題なのだ。あまりにも早すぎる。剣客けんきゃくが居合斬りをする速度、あるいはその倍か三倍か。その速度を出せるのは一重に蟷螂の節の多さだろう。


 人が瞬発的に速度を出すには究極的には一つの方法しかない。それは節々の連動である。足の指で地面を掴むためにはまず関節を曲げなければならないように、人が一歩前進するためには少なくとも前に出す足だけで四ヶ所の関節を動かさなければならない。

 そして、剣客の一閃にはほぼすべての体の関節が関係し、早すぎる一閃にはその全ての関節がほとんどタイムラグ無く動かされるという。

 もちろんそれだけでは成り立たない。関節を動かすための筋力だって必要だろう。しかし、こと速さに関して考えれば筋力よりも体の動かし方の方に比重が傾く。

 蟷螂の鎌の動きにはそれによく似たものが感じられる。蟷螂は人と違い外骨格を持つ。つまり、骨で筋肉を守っているのだ。加えて言うならば、昆虫の外骨格の中には体を動かすために必要な最低限の肉が存在する。

 これには体を軽くするという意味も含まれるが、それがまた厄介な話になる。

 蟷螂にとっては手だが、人間にとっては凶器になりうる鎌。通常の蟷螂であれば指を切断するほどの強度――つまりは鉄ほどの強度なわけだが――は持ち合わせていない。ただし、《プランドラ》になると話は別だ。目の前で威嚇をする蟷螂の鎌は、鉄を切断するほどの強度にまで高められ、なおかつ鎌の重量は鉄の重量のおよそ十分の一になる。

 軽すぎるが切れすぎる鎌を持ち、細身で全長は伊桜里の頭二つ大きいが重量は伊桜里と同じか少し多いくらいでその重量の殆どが筋肉という化け物。外骨格はダイヤモンドよりも硬く、鋼鉄よりも脆くない。


 冷静に蟷螂を観察して伊桜里が出した答えは無理ゲーだった。

 そもそも、みんなが逃げ切れた時点でもう伊桜里の仕事は終了している。であるならば、そうそうに撤退の準備をするべきなのだが、それがそうもいかない。

 まずは蟷螂の持ち前の素早さ故に。加えて、ここで逃げ出した際の後始末が面倒が故に。

 逃げられるかどうかが怪しいが、逃げられたとしてもここで《プランドラ》が発生したという事実は変わらず、おそらく討伐隊が編成されるだろう。その際、第一発見者である伊桜里がその討伐隊に編成されるのは必須。どう足掻いても逃げられないのだ。

 けれど、逃げ切れなければやがてやられる。というよりも、もう次の瞬間にはみじん切りにされていて然るべきだ。それほどまでに伊桜里の限界は近い。


(だーもう! 無理! もう無理です! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!)


 意図せずして伊桜里の目には涙が浮かぶ。しかし、体はせいに執着するように必死に蟷螂の攻撃を避けていた。息は上がり、思考が鈍っていくのを感じながらも、どうしようもない現状を変えられずに迫る死の重圧から逃れようと鎌に注目すればするほどに視野は狭まっていく。

 そして、ここはお世辞にもきれいな市街地ではない。瓦礫が放置された貧困街で、周りの注意を厳かにするとどうなるか。脆く崩れやすいコンクリートに足を載せた途端に崩れ去り、見事に伊桜里は体のバランスを奪われた。


(しまっ――――)


 そして、地面に尻餅をついて、全ての集中が切れる。けれど、なおも捉え続けていた鎌の矛先は依然として変わらず、伊桜里の首をめがけて振り上げられていた。

 これでは避けられない。ヒリヒリと痛いお尻を擦る時間すら無く、伊桜里の頭は切って落とされることだろう。振り下ろされた鎌を伊桜里は避けるように上半身をひねる。首は避けられた。ただし、その代償として横腹に浅く鎌が掠る。

 急に熱を持った横腹に叫ぶことすらしないで伊桜里は立ち上がる。そして、右手に力を込めると右手に赤い炎が灯る。それをそのままガラ空きの腹部へと叩きつけた。


「ど、どうですか……?」


 渾身の一撃だった。これ以上無いくらいに力込めて放った拳だったのだ。

 しかし、結果としては無傷。いや、ある程度のダメージはあっただろうが、致命傷にはなっていない。むしろ、蟷螂を挑発するようなものだ。おそらく、攻撃が当たる直前に蟷螂は背後へと大きく跳ねたのだ。だから、攻撃が分散されてダメージに反映されていなかった。

 乾いた笑いが漏れる。努力して、努力して、女だと笑われないように頑張ってきた伊桜里だったが、《プランドラ》には関係なかったようだ。

 疲労で体が重くなっていく。気を許してしまったことで、これまでごまかしていた筋肉の悲鳴で身動きができなくなっている。膝が笑い、腹部の痛みも相まって立っていることも難しい。

 今度こそ終わりだ。そう伊桜里は思っていた。


(あの子たちは大丈夫でしょうか……大丈夫ですよね。だって、あっちには恭介さんがいるんですもん)


 気がかりだったことは無くなった。時間稼ぎも十分だった。伊桜里は自分に倒れてもいい理由を探し始める。その理由を一つ、また一つと積み上げてまぶたがどんどん重くなる。

 ただ、それでも気を失わなかったのは一重に死にたくないという気持ちが邪魔していたのだろう。

 やがて、怒り狂った蟷螂が伊桜里に飛びかかるように跳ねる。あと数秒しないうちに蟷螂は伊桜里へと飛びかかり、体が動かなくなった伊桜里は成す術なく切り刻まれることだろう。

 妙に横腹が痛い。見ていないため傷の程度はわからないが、この分では見なくて正解だったかもしれない。きっと、考えているよりも多くの血が流れているはずだ。

 全ての力を出し尽くした伊桜里の姿はもうADD変身した後のものではなく、軍服姿へと戻っていた。そうこうしているうちに、蟷螂は伊桜里を押し倒し、止めの一撃と言わんばかりに鎌を振り上げていた。

 死を受け入れて、伊桜里はせめて痛くないようにやってくれと目を閉じて頭を上げて首を切りやすくする。だが、死の瀬戸際で伊桜里は声を聞いた。


「諦めるにはまだ早いんじゃないか?」


 驚いて目を開くと、目と鼻の先に蟷螂の鎌の切っ先が止められていた。その先には鎌の付け根を素手で掴んだ人物が腹立たしい笑みを浮かべながら伊桜里を見下ろしていた。

 驚きすぎて声を発する前に吐血する。口の中が鉄臭くなっているのに、それを無視して伊桜里はもう一度言葉を放つために口を開いた。


「恭介さん!?」

「おはよう、ご主人さま。と言っても、こんな場所で昼寝をするもんじゃないけどな」


 誰が昼寝をしているものか。そう叫びたかったが、もう伊桜里にはその力すら残されていなかった。ただ、なぜか恭介が来てくれたことに安堵した。なぜか、これでもう安心だと思ってしまった。

 なぜなら伊桜里は、本人が否定しようと恭介こそが五ヶ月前に自分を救ってくれた人だと信じていたから。

 そして、安堵した精神はすぐさま眠りへと落ちてしまう。

 まるで、あとは任せたと言わんばかりに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ