目覚めた彼は英雄ですか?
長い夢を見ていたように感じながらも目を覚まし、自分が眠っていたことに気がつくよりも先に、忘れていた過去を思い出したことの衝撃に打ち震えていた。
そして、そばで待機していた魔霧をにらみつける。
「お前……最初から俺を知って――」
「そのことについては君の過去にある通りだ。僕は君の導き手。あるいは可能性を提示する者。今はそれくらいでいいだろう?」
「なんで、俺はこの事を忘れていたんだ?」
「忘れるようにシステムを組んでいたからさ。君に注入したナノデバイスは僕が造った最新型のADDでね。活性化させるのに二つの条件がつけられて、なおかつシステムを組むことができる」
「それで俺の記憶をいじったと?」
「ああ。でも仕方ないことだったんだ。君に、選択肢を与えるためにはね」
おそらく、魔霧の言う選択肢とは人間であり続けるか。あるいは英雄として奉られるか。この二つの選択だろう。そして、恭介は過去を思い出してしまった。これが意味することは、状況が読めていない恭介にもわかる。
(記憶を取り戻した。本来なら必要のないと断じられ、消されていたはずの記憶が。ということは、もう俺の選択肢は……)
戦えと言われている。そして、恭介は戦うことを選択したのだろう。故に記憶を取り戻した。戦う力を引き出すためのキーワードは手に入った。そして、手にしたものはあまりにも面倒が過ぎた。
恭介は空を見上げながら、危機が迫ってきているというのに空はどうしてあんなにも青いのだろうと考える。きっと、そこに理由など無い。空は、人の営みに関係なく青いのだ。恭介はそういう生き方をしたかった。誰に干渉されるでもなく、ただ自分の思ったとおりに生きたかった。
まだ引き返せる。だが引き返さない。引き返すということは、この選択が誤りだったと認めることだったから。この選択が誤りだと断じれば、恭介の今までの人生を否定することと同じだったのだ。
それを許せるほど、恭介は大人ではなかった。
突然拍手が起こる。もちろん、魔霧がしたものだ。
恭介が魔霧の方を見ると、おめでとうと言わんばかりの見知ったニヤケ顔でこういうのだ。
「君はやはり君だった。世界を救うと言って力をつけて、本当に守りたかったのは理不尽に打ちひしがれる少女だ。君の目には世界なんて写っちゃいない。君の目に映るのは、この世界で生きる人達だ。努力に努力を重ねて、なおも理不尽に敗北するそんな人達だ。君がしたいのは世界を救うことなんかじゃなく、世界に叩き潰される人たちを救済することだったんだ」
いつか見た悪友の輝ける目に似た目つきをする魔霧に舌打ちをして、恭介は起き上がる。
そして、厭味ったらしく吐き捨てた。
「熱弁どうも。それで? 俺はどれくらい寝てた」
「ほんの数秒だよ。まあ、記憶を見ていたのなら長く感じるのも仕方ないけれどね」
「そうか。じゃあ、行ってくる」
そう言って、恭介は右手を振った。同時に、自分の体の異変にも気がつく。
恭介の右腕は粉砕骨折しているはずだ。蟷螂の強固な鎧を砕く代わりに、右腕を粉砕したのを恭介は自分自身で理解していた。だというのに今、恭介の右腕は元に戻っており、かつ痛みすら感じない。
これはどういうことなのかと、魔霧に問い詰めようとするが、魔霧はさも当然のように言う。
「言っただろう? 君に注射したのはナノデバイスだ。しかも最新型のね」
「それが?」
「最新型のナノデバイスは僕自身が君に合わせてデザインしたものでね。性能は従来のナノデバイスの数十倍を誇る。ただ問題があるとすれば、これの元になったものがADDでね。つまるところ、適応者じゃなければ扱うことが出来ないんだよ」
「専門用語はいい。要点だけを簡潔に話せ」
時間がないことも相まって、恭介の言葉には怒気が含まれていた。
ゆえに、やれやれと首を振りながら研究者の顔になっている魔霧は作品の良さを全く理解していない一般人の要求に応じるかのように恭介の要望通りの説明に入る。
「簡単に言えば、性能としては5つ。ウイルスと細菌の完全除去。体内外と骨の傷害痕の即時回復。血流加速による人体加速及び強化。システムの書き込みによる付加効果。そしてこれが目玉だけれど、このナノデバイスにはADDとしての機能もある」
「ナノデバイスなのに、ADD?」
「そう。しかも、ただのADDではない。二重ロックのADDだ。1つ目のロックを解除しなければ、他のADDが使用できないし、ナノデバイスの本来の性能も発揮されない」
(なるほど。てっきり俺自身がADDに適応していないと思っていたが、原因は魔霧が注入したナノデバイスのせいだったのか)
合点がいった恭介は続けてロックの解除について尋ねる。
「それで? ロックの解除の仕方は?」
「簡単さ。1つ目のロックの解除は君が誰かを救おうとすればいい。そうすれば自動的にロックは外れるはずだよ」
「じゃあ、2つ目は?」
「それはもう君が知っているはずだ」
言われて、おそらくそれだろうというものを思い出す。
ADDは活性化させる際に、合言葉を要する。伊桜里以外がADDを使用しているところを見たことがないから断言は出来ないが、例えば《変身》という言葉が必要なのだろう。それにより、声紋認証か何かでADDが活性化されるらしい。
全てを理解して、恭介は立ち上がる。どこも体に異常は見られない。それどころか、快調すぎて怖いくらいだ。これも全ては魔霧が注入したナノデバイスのおかげだろう。
体が軽く感じるのは1つ目のロックが解除されているからに違いない。
誰かを――今回であれば伊桜里を――救おうとする心のおかげか、1つ目のロックが解除されているのだろう。あとは2つ目のロックをどうにかするだけだ。
早速解除しようとしている恭介に横槍は入る。
「最後に聞かせてくれないか?」
「……なんだ?」
「君は世界を救うのかい?」
世界を救えるのか、という質問であれば幾分答えやすかった。だが、この質問は世界が救えることを前提として、それでも世界を救うのかと問われている。
はたして、恭介は世界を救うのだろうか。その気概が恭介にはあるのか。
答えは否である。恭介は世界を救わない。誰かを救うようなことがあったとしても、世界を救うような英雄にはならない。たとえ、その力があったとしても。
しかし、今回に限っては救ってもいいかと思っていた。ただし、伊桜里を救う手前ではあるが。
「どうも伊桜里は俺のご主人さまなんでな。あいつが世界を救おうとするなら、俺が手を貸さないわけにはいかないだろ?」
「世界は二の次とでも?」
「ついでに救ってやるさ。俺は英雄にも勇者にもならないが、ご主人さまが望むものくらいは手伝ってやってもいい。まあ、俺みたいな悪人に世界が守れるとも思えないけどな」
言って、恭介は歩き出す。足取りは軽く、心に迷いは感じられない。
曲がりなりにもご主人である伊桜里を助けるために、恭介は面倒だと思いつつも向かうのだ。
やがて、元来た場所へとたどり着く。そこには、敗北寸前の伊桜里の姿が目に映った。しかし、恭介の足は急ぐことをせず、ただ余裕綽々と戦場へと舞い戻る。




