33話 『あたしの願い』
冬が過ぎ、高校2年の春も過ぎ。
季節は巡り、あたしが1年参りを始めた日から365日が経過した。
──1年参り、無事達成。
だというのに、神様はあんまり嬉しそうではなさそう。
朝で眠いからかな。いや、神様だから、一人一人の願いにあんまり執着してもしょうがないからかも。
……いやいや、この反応は違うか、やっぱし。
「やっぱり君は、僕のよく知る優しい実留だ」
「えへへ、どうも」
神様に褒められてるからっていうか、巡とおんなじ姿の人に褒められているから、少し嬉しい。
一方、神様はというと……困惑、に近い表情をしていた。
「今までの世界──僕が生まれた1周前の世界も含めたすべての世界で、そんな願い事をしたのは君だけだよ、『この世界の』端境実留」
「それって、この世界が特別だ、ってことですか?」
「君だけが特異だって言ってるんだよ、端境実留」
特異、ねぇ。
「君以外に妙な願い事をしてきた人間は、この世界にはいない」
「妙な願い、って失礼ですね」
「事実なんだ、何も失礼ではない」
──神と人間という立場に言及しないあたり、本当に巡だった人なんだな、と改めて感じた。
優しいからなのか、そういうものに興味がなくなってしまったからなのかはわからないけど。
「はっきり言おう、その願いは──叶えたくない」
「叶えられない、わけじゃないんですよね?」
「気づかなくていいことに気づくのが上手だね、端境実留」
「神様から褒めてもらえるなんて、光栄です」
嫌味には嫌味で返す。
──今更だけどあたし、神様に生意気なこと、言いすぎ?
「本題に戻るよ。その願いを叶えると、次の次の世界がどうなるか、正直僕にもわからない」
「だから叶えたくない、と?」
「叶えたくないのは世界よりも君のことを思って、だからだ。ねえ、端境実留?」
「はい?」
次に来る質問は、なんとなく想像がついている。
だから、食い気味に答えてやろう。
「それは、君が愛する人の──」
「あたしのためです」
「──ほう」
驚きと、困惑の声。
多分予想していた答えは、『巡のため』。
でも、違う。この願いは、あたしのための願い事。
「その願いは」
「独善的だってことくらい、あたしにもわかってます。でも、──だから叶えたい」
「……」
神様、困ってる。
切り札を使うなら、ここだ。
「願いって、そういうものでしょう?」
◆
重々しい空気、時間にして数十秒。
ここでこの願いが通らなければ、あたしがこの世界で生きる意味はなくなってしまう。
そういうこともわかっているから、神様はただうつむき、何も言わないでいるのだろう。
だったら、あたしから口を開こう。
「神様」
「……なんだい、端境実留」
「神様は前の世界で、前の世界のあたしのこと、どう思ってました?」
「……それは」
今までに見たことのない表情──唇を噛み、どこか辛そうな神様。
「神様は絶望したことはない、って言っていたと巡から聞きました」
それは多分、本当のことなのだろう。
でも。
「絶望しなかっただけで、悲しい思いはしたんじゃないんですか?」
「──やっぱり君は、僕のよく知る優しい実留だ」
二度目の台詞。
でも今度は、優しい表情で。
「僕は前の世界で、実留のことが好きだった」
「随分素直に言ってくださるんですね」
「嘘をついたところで、双方の心が傷つくだけだからね」
ほんと、優しすぎて心配になる、この神様。
「実留との別れは、辛かったし、悲しかったよ。最後に交わした言葉だって、鮮明に覚えているくらいには、大事な記憶なんだ」
目をつむって、宝物を愛でるかのように語る神様。
──最後の言葉、かぁ。
「神様、あたしは正直に言うと、神様のことも、世界のことも、あんまり大事じゃないんです。ただ、……巡に幸せになってほしいんです」
「神様にならずに、かい?」
「いいえ」
それは違う。はっきり否定する。
「巡が決めたことです、そこは心から応援してます。あたしが言ってるのは、その後のこと」
神様になれば、いくつもの幸せと──無数の悲しみが襲うだろう。
そんな巡に、ちょっとだけでも希望を与えられるのならば。
「この願い事を、叶えたいんです」
「ならばなぜ、『次の神になる』と願わない? この世界の僕の手助けをしたいのだろう?」
「言ったでしょう? 『巡の決めたことを、心から応援している』と。巡の人生の邪魔はしたくないんです」
「……そうかい」
そう呟くと、神様の身体が光りだした。
「後悔はしないね?」
ふわっ、と宙に浮き、あたしにとっては無意味な質問を投げてきた。
「当たり前です。この願いは──あたしの全てですから」
「……わかったよ」
神様の身体が、また一段と輝いていく。
「端境実留、この瞬間、君の願いは成就した」
──巡みたいに姿が変わったわけでも、弥勒沢姉弟みたいに不思議な力を得られたわけでもないけれど。
「ありがとうございます」
願いが叶った確信があった。
それはきっと、気のせいかもしれないけれど。
今はただ、その気になって、喜ぼう。
◆◆◆
「きっと、この世界は」
「はい?」
朝食までに帰るため、長い階段を下りようとしたところで、後ろから神様の呟きが聞こえた。
どうやら、あたしに向けた『独り言のような呟き』のようで。
「──ターニングポイントなのかもね、端境実留」
「そうなることを、願ってます」
「……さよなら、実留」
そう言って目をつむると、ふわっ、と神様は姿を消した。
きっと最後の言葉は、あたしに向けられたものじゃない。
でも、挨拶はしておこう。
「さよなら、神様」




