31話 裃祭り
翌日、午前10時。
僕は実留の家で、浴衣の着付けを教わっていた。
「よし、こんな感じね。苦しかったりしない?」
「大丈夫だよ。ありがと、実留」
毎年、お祭りで浴衣を着ているらしく、手際がすごくよかった。
覚えないとなぁ、なんてぼんやり考えながら、実留の部屋の鏡で浴衣姿を確認する。
「そういえば、靴はどうするの?」
浴衣の心配だけしていたから、靴──下駄とかに関して、全く考えが及んでいなかった。
今から買いに行くのは大変だと思うのだけど、どうすれば。
「普通のスニーカーでいいと思うわ。あたしは毎年そうしてるから」
「そうなの?」
「ええ。子供のころに下駄で足が痛くなっちゃってから、あたしは毎年そうしてる」
なるほど、そんな経緯が。
「それに、お祭りって結構歩き回るから、スニーカーが案外適してると思うのよね」
「わかった、いつもの靴にする」
履きなれた靴なら、確かに問題なさそうだ。
「それで──お祭りまでもう少し時間あるけど、どうする?」
「どうするって言われても……あ、そうだ!」
実留に話しておきたいことがあったのを、思い出した。
昨日、神様から教えてもらったこと。神様からは『話してもいいよ』という許可は得ているし、伝えておこう。
「僕、1年後くらいに神様になるでしょ?」
「ええ、そうね」
「みんなとは違って、年を取らなくなっちゃうのかな、って思ってたんだけど、違うみたいで」
「違うの?」
不思議そうに、実留が訊いてくる。
神様の姿が今の僕と全く同じだという点から、僕も最初は年を取らないと思っていたのだけれど。
「自分の年齢を操作できるらしいから、年を取ることもできるみたい。あくまで疑似的に、らしいけど」
「そうなんだ。……改めて、すごいのね、神様って」
「ねー」
人間の僕たちからは、想像もつかない力を持っているのだろう。
「……ねえ、本当に大丈夫なの?」
「なにが?」
「その……神様になる、って話」
不安げな表情になる実留。
いや、これは不安っていうより、心配、って感じか。
「神様になってから数十年くらいなら、あたしたちが生きているだろうけど。そのうち死ぬだろうし、そうなったら一人になるのよ? 本当にそれでも──」
「大丈夫だよ」
もう決めたことだから、っていうのは関係ない。
「みんなと別れて何億年も一人で過ごすのは、大変かもしれないけど」
努に言ったことを、改めてまとめて実留に伝える。
「この街に住む人々の願いを叶えられるんだ。それに、僕が知らない世界を、いずれ知ることができるんだ。……多分、実留たちのことはずっと忘れられないだろうけど、──神様が言ってたんだ。『絶望したことはない』って。だから僕は──」
それを信じて、生きていくだけ。
「みんなと別れる悲しみも、乗り越えていけると思うんだ。……なんて、まだ神様になってないから、予想、なんだけどね」
「……うん、わかったわ」
結局まとまりきっていない言葉だったけれど。
実留は、納得してくれたようだ。
◆◆◆
午後4時。
裃祭りがスタートし、少し落ち着いてきたころに、僕と実留は祭りから少し離れた場所に設置されたベンチで休憩していた。
浴衣という、慣れない服装だからだろうか。いつもより少しだけ疲れがたまりやすかったのかもしれない。
「巡、大丈夫?」
「うん、なんとか。……楽しいけど、少し疲れたかも」
「うーん……ほら、ここに」
「え?」
右隣に座る実留が、自分のひざをぽんぽんと叩く。
え、もしかして。
「少し寝てなさい。花火まではまだ時間あるんだし」
「いや、でも……悪いし」
「何がよ。あたしが巡のことを好きなの、知ってるでしょ?」
「知ってるけどさぁ」
堂々と言えちゃうの、すごいなぁ、なんて思っていると。
肩をぐいっとひっぱられて、そのままぽすん、と実留の膝に頭が乗っかった。
「は、恥ずかしいんだけど……」
「あたしはちっとも恥ずかしくないわよ」
「ほかの人に見られでもしたら」
「残念、ここはお祭りから少し離れた場所だから、あんまり人は来ないわよ」
ことごとく言い返されてしまった。
実留には色々とお世話になってるし、本当に申し訳ないのだけれど。
「つべこべ言わずに、寝てなさい。花火の時間になったら起こしてあげるわ」
「う、うん。それじゃあ……ちょっと寝させてもらうね」
「ええ」
浴衣の上からでもほんのり暖かさを感じる実留のひざに頭を預け、僕はそっと目を閉じた。
本当に疲れていたようだ。遠くで聞こえるお祭りの喧騒も、そのうちうっすらとしか聞こえなくなってきた。
このまま、寝させてもらおう。
頬に何かが触れたけれど。
それを気にする間もなく、僕の意識は夢の中へと消えていった。




