30話 至り、成る前に
弥勒沢家での一件から少し日が経ち、8月中旬。
夏真っ盛り。遠く──裃地区から聞こえてくるのは、お祭りの準備の忙しなさ。
明日は、裃地区でお祭りが開かれる。
そんな中。僕は、裃神社に来ていた。
理由は単純明快。神様に呼び出されたのだ。
『神様になってからの知識を教える』なんて言われたから、カバンにメモ帳とボールペン、水筒を入れて階段を上ってきたのだ。
──なのだけれど。
「その3、基本的に、1年参りの願い事を神様が勝手に変えることはできない。──こんなところかな。覚えたかい?」
「まあ、はい」
その1から始まり、その3までで終わった。
いくらなんでも少なすぎないか、この授業。
「こんな暑い中、外に長時間いるのは大変だろう?」
「まあ、そうですけど……」
僕のことを心配してくれているのだろうか。
しかし、こんなに少なくて大丈夫なのだろうか、知識。
目の前の神様──僕と全く同じ姿の──は、僕の不安げな感情を読んだようで。
「大丈夫だよ、高宮巡」
ふわっ、と宙に浮き、僕の目をまっすぐに見つめる。
「神様になってから、イレギュラーは何度だって起こる。それに対応していくことで、知識は勝手に増えていく。──君だけの神様になればいいのさ」
「僕だけの神様、ですか」
なんだかとってもポエトリー。
でもまあ、なんとなく理解はできる。僕だけの神様、かぁ。
「さ、この辺でお開きと行こうか」
「あ、あの!」
「なんだい、高宮巡」
相変わらずフルネーム呼びなのは、違和感があるけれど、今は考えずに。
「僕はいつごろ、神様になるんでしょうか」
「ああ、それを話していなかったね。じゃあ、その4」
やっつけ気味に、その4が追加された。
「端境実留の1年参りが終わったころに、神様を交代するつもりだよ」
「実留の1年参りが終わったら、ですか」
「ああ。……端境実留の願い事は、どうやら君には知られたくないらしいからね」
──知られたくない、と言っても、もうなんとなくわかっているのだけれど。
「男になる、というのが願いではないんですか?」
「少し前までは、そうだったんだけどね。願いを変えることができるのは、十分理解しているだろう?」
「はい、色々ありましたから」
過去に行った時のことと、努のことがあったから、理解はしている。
「神様として、忠告しておく。端境実留の願いが何かということは──」
「詮索はしませんよ。プライバシーに関わることですからね」
「それが得策だね。それじゃ、これでお開きで。またね、高宮巡」
「はい、神様」
ふわっと浮き上がり、神様は姿を消した。
さあ、僕も家に帰ろう。
◆◆◆
残っていた宿題をすべて終えて、ぼふん、とベッドに倒れこむ。
「神様、かぁ」
なんとなく呟いたその言葉で、ほんの少し、心がきゅっとなった。
1年後、僕は神様になる。
神様の話では、自分の年齢を変えることはできるらしいから、みんなと同じように年を取ることもできるらしい。
でも、死ぬことはない。それはつまり。
「人間じゃなくなる、ってことだよね」
後悔は、現状全くしていない。
神様は『絶望したことなどない』みたいに言っていたけれど、みんなと別れる時も絶望しなかったのだろうか。
その頃には、もうみんなとは疎遠になっていたりするのだろうか。
それは寂しいな、なんて思いつつ、スマホをいじっていると、画面に着信のマーク。
実留からだ。何の用だろう?
「もしもし、実留?」
『あ、巡! ねえ、明日って1日空いてる?」
「1日? うん、空いてるけど」
午後にお祭りがあるから、それに行こうとは思っていたけれど。
実留の用事があるのなら、そっちが優先だ。
『じゃあさ、お祭り、一緒に行かない?』
「うん、行く。……でも、お祭りって午後からだよね?」
『午前中に、お祭りに着ていく浴衣を一緒に選ぼうかな、って思って』
ああ、なるほど。
僕は女ものの浴衣を(当然)持っていないから、ちょうどいいかも。
でも。
「浴衣って、もう少し早めじゃないといいのがなくなったりしない?」
『まあね。だから、あたしが着ていた浴衣をあげようかな、って』
「実留の? ありがたいけど、身長が……」
僕は実留より少しだけ背が低いのだ。
そこが懸念点だったのだけど。
『あたしが昔着てた浴衣、あげようかなって思ったの』
「ああ、そういうことなら……お言葉に甘えさせてもらうよ」
『決まりね! じゃあ明日の9時ごろ、あたしの家に来てくれる?』
「うん、わかった。……うん、うん、それじゃあね」
電話を切り、もう一度ぼふん、とベッドに倒れこむ。
少しだけ、顔がにやけているのを自分でも実感した。
「明日、楽しみだなぁ」
神様になる云々は、お祭りへの期待で上書きされ、忘れていた。
女子になって、初めてのお祭り。
明日は精一杯、楽しもう。




