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静寂と束縛


──孤独。


 ベッドの中の心地。この温もりでさえ仮初で、心はひたすらに寒く。少し眠れば薄れるのではと思ったが、むしろそれは変わり様のないもので反芻する度その深さを自覚させる。涙の枕は既に乾き、それが過ぎた過去のように振舞う。心の内に淀むものを見ない振りをして、目先にある純白の天蓋はただ僕を包むだけだった。


 重い身体を起こして部屋に立つ。白すぎる部屋。繋がれていた際に見えなかった後方は、この天蓋ベッドやクローゼットにドレッサー、カーテンで仕切られ洗面所や浴槽の一角まで用意されている。

 何かないかと少し埃を被ったクローゼットを開く。そこには赤、白、黒。色とりどりのドレスが収められていた。サイズは統一性がなく、子供用に小さく仕立てられた物もあれば、僕よりも高く女性の背丈に仕立てられた物ものある。床には小さな木箱が置いてあり、そこには名前が刻まれていた。


──カリスト・クエースフォード。


 また、知らない名前。貴族の集会へと出る際の礼儀として、この町や周辺の貴族の名前は覚えさせられたが、それでも記憶にはない。しかも町の領主の家なんて、繋がりの強い貴族の家が相手なら尚更だ。

 

「あら、淑女の衣裳を漁るなんて良い趣味ね。それとも巷ではそれが普通なのかしら」

 

 嬉とも呆れとも付かぬ声が部屋に響く。

 僕は慌ててクローゼットを閉め振り返った。すると長い水色の髪を揺らしフリルのあしらわれた白いブラウスと黒いスカートを着た少女、ミゼルが何やらバスケットを持って扉を解錠しているところだった。何やら美味しそうな香りがして、思えばここに来て何も口にしてなかった空腹を刺激する。


「ミゼル・クエースフォード……」

「ええ、そうよ。御機嫌ようライヒアルト。名前、覚えてくれて嬉しいわ」

 ミゼルはスカートの裾をつまみ上げ、こちらへ笑みを投げる。

「ふう、やはりこちらの方が動き易いわ。ドレスなんて引っ張って来ても普段着ないもの。少し肩が凝ったわ……」

 ふりふりとその場で彼女は回ってみせる。バスケットの中の香りもそれに乗ってふわふわと漂ってくる。

「昼食にしましょう。パンしかなかったのだけど、食べられるわよね?」

 ミゼルは手に持ったバスケットをテーブルに置いて言った。

「……ああ、ありがとう。頂きます」


 彼女と共に椅子に座り、香ばしいくるみパンを手に取り食べる。狭い喉を通り腹を満たす。彼女はそんな僕に微笑んでただ見つめるだけだった。

「お茶もいかが? あまりがっつくと喉を詰まらせるわ」

 少しぎこちなくも慣れたような手付きでカップにお湯が注がれる。華やかな紅茶の香りが鼻をくすぐる。

「見様見真似だから味は保障できないけれど、どうぞ」

「……ありがとう、ございます」

 陶器の触れる音と咀嚼音。そして少しの沈黙が流れ、僕は言葉を投げる。

「僕はいつになったら解放されるんですか」

「駄目よ。言ったでしょう、夫妻は他殺だって。貴方はここに居るのが一番安全なのよ」

 彼女はきっぱりと強い語調で僕に言う。

「なら、その犯人が捕まったら解放して頂けるのですか」

 僕の問いにミゼルは答えない。ただ、微笑むまま。その裏に何を思っているのか、推測するだけの材料を僕は持ち合わせてなかった。

「……保護ということなら感謝します。でも、この状況といいこの部屋といい僕の目には奇妙に映るんだ、……そして君自身も」

 彼女は少し思案したように。

「そう、そうね。確かに外から来たあなたには奇妙かもしれないわ。けれど、狼と共ならば吠えねばならぬとも言うでしょう? これから慣れていけばいいのよ」

「これから……? ミゼル。君は僕をどうするつもりなんだ。君の言っている事は分からないよ……」

「ふふっ」


 彼女は席を立ち、こつこつと僕に近づく。そして。

「っ……」

 白く冷たい指先が頬を、傷をなぞりそして首筋へ。妖しく、輝くような赫い双眸は心を吸い込むように僕を見つめる。

「あなたはここから出ることはないわ。……嬉しい、嬉しいわ。今のあなたは私と同じだもの」

「何を、言って……」

 その眼は仄暗い部屋の中で妖星のように輝き、歪め揺らめく。


 心の底から、嬉々として笑う彼女が分からない。僕を閉じ込めて喜ぶ彼女が分からない。僕はこうも混乱しているというのに、彼女はそれの何処に喜びを得ているのか。


「ライヒアルト。私はやはり、いいえずっとあなたを求めていたわ。あなたなら、あなたなら……」

「やめてくれっ!」

「きゃっ」


 もう、限界だ。僕は衝動のまま彼女の腕を振りほどく。空のカップが落ちて砕け散る。彼女はバランスを崩して倒れてしまった。

「ミゼル。君が僕に何を望んでいるかは知らない。けれど、僕は……きっとそれに答えられない」

 倒れた彼女に手を貸し、それでも僕は扉へ向かう。鍵を持った彼女が部屋の中に居るという事は、今扉の鍵は外されているという事だ。

「……僕は帰るよ。きっと、僕にはまだ帰るべき場所があるはずだから……」

 言い聞かせるように、母のペンダントを握る。ポケットの中で、短剣に触れる肌が布越しに冷たい。

「待って……! あなたも私を……」

「……さようなら」

 言葉を遮るように僕は扉を開いて石の階段を駆け上がった。




 駆け上がったその先は、暗く黒い部屋だった。地面には赤いカーペットが敷かれ、天井には白い硝子のシャンデリアが吊られている。置かれている家具は先ほどの白い部屋とそう変わらず、その違いはこちらには暖炉がある事と、陽光を遮る黒く分厚いレースのカーテンが存在する事だった。ミゼルの言葉から察するに時間帯として今は昼間のはずだが、光は薄く暗闇に慣れた眼を刺激しない。寧ろ、部屋の黒によって先ほどの白い部屋よりも暗く感じる。僕は部屋を一瞥しドアを開く。


 風にはためくカーテン。窓より差し込む陽光が眩しい。通路は見覚えのあるような風景で、それは確かにクエースフォード家の城館内のように見える。しかし、一部様式が古く、手入れが行き届いていながらも生活感のないそれは僕の知っているそれとは異なっていた。

 その違和感に耐えかねて僕は窓から外を覗く。そこには。


「っ……!」

 思わず声が洩れてしまう。優しく照る太陽の元に、見覚えのあるクエースフォードの城館が遠く見える。深く繁る森の先に町と思しき景色があり、それは更に遠くにあった。

「なら、ここは一体……」

「クエースフォード家の旧館よ。今はもう使われていない筈のね」

 淡々と呟く声に振り返る。陽だまりの通路にさわやかな風が吹いて、彼女の長い髪は流れる水の如く揺られていた。

「……ミゼル、君は何者なんだ……?」

 彼女は自嘲のように微笑み、そして言葉を放つ。陽に照らされた白い肌は光の中に消え入りそうで。


「私はミゼル・クエースフォード。死により秘匿された忌み子。そして家に縛られた……哀れな籠の鳥よ」

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