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拒む者と与える者

 鈍い頭。鈍い身体。混濁した意識と失った平衡感覚。

 時間の前後も分からない。ただ、第一に感じたのは仄かにひりつく身体と、肌寒さだった。


─―僕は何時ものように剣の修練を行い、屋敷に戻って、それからは。


 思い出せない。完全な記憶の欠落ではなく、単純に頭が働いてくれない。

 とにかく僕はこのまどろみから抜け出すため、目を開ける事にした。


――ここは、どこだろう。

 

 窓の光はなく、白い石煉瓦に囲われた部屋。その広さは一般的な個人部屋程度はあるだろうか。天井は大人が二人分ほどの高さであり、息苦しさは感じない。明かりは無いわけではなく、銀の燭台に灯された蝋燭が仄暗い四隅を暖かく照らしていた。木製の丸テーブルと椅子が二つ置かれており、テーブルの上には陶磁製とみられるティーセットが置かれていた。そして今自分の正面には美しい装飾が施された銀の扉があり、その隙間の奥に登り階段が見える。

 牢獄にしてはやけに上品であり、客室にしてはあまりにも失礼だろう。そのような、ちぐはぐのイメージを想起させる部屋に僕はいた。

 何故を反復する頭を無視して、とにかく行動をと立ち上がろうとする。


「うっ……」


 しかし手足を何かに阻まれて尻餅を付いてしまう。腕に目を向けると着ていた綿のツイードの上から鉄製の腕輪が嵌められており、鎖は後方へと繋がれていた。正座のような今の体勢では見えないが、足もきっと同じ様に嵌められてしまっているだろう。

 じゃらりと鳴る鎖を垂らしながら、今自分が置かれている状況と、時間の前後を思い出そうとしていると、階段をこつこつと何者かが降る音が聞こえてきた。


 銀の扉を開錠し、彼女は入ってくる。

 冬の冷寒さえ感じる水色の髪を腰まで垂らし、その双眸は赫く鮮やかに、こちらを見つめて微笑んでいる。降る雪のように白い肌には、豪奢でありながら動きやすそうな黒いドレスを身に纏っている。見た目から少女であることを推測するのは難くないが、僕よりは少し年が上だろう。繊細ながら女性であることを主張し始めた身体は、きっと十代半ばから後半程度だと推測できた。


「御機嫌よう。ライヒアルト様。このようなご無礼、お詫び申し上げますわ……なんて、前置きは別にいいかしら」

 目の前の彼女は恭しい振る舞いを解いた後、悪戯な笑みで僕を見る。

「貴女が、僕をここに?」

 僕の問いに、彼女はそうよと微笑み答え言葉を続ける。

「申し遅れたわ。私の名はミゼル。ミゼル・クエースフォード──この家の長女よ」


 クエースフォード家。この町に住んでいるなら知らない者はいない。この町の領主を務める由緒正しい家柄だ。古くでは王都で死刑執行人を多く輩出していた家系であり、同時に民の厄を祓う神官のような役割も担っていたとか。

 この状況でその家名が出ることに驚きこそしたが、その他に僕は違和感を覚えていた。まず彼女の長女という言葉が妙に引っ掛かる。僕自身も下級とはいえ貴族の出で立ちではあるから、顔合わせとして連れられ集会に参加する事はある。もちろん領主たるクエースフォード家とも何度か(まみ)えることもあった。しかし長女はトーリアという名で、年も僕と同じくらいで髪も黄金色だったはずだ。目の前のミゼルと名乗った少女とは風貌が合致しない。


「……あなたが何者か存じませんが、領主様の家名を騙るのは許し難き行為です。しかも僕をこのような形で拘束して。これはクエースフォード家、並びにスーティラージュ家への反逆と受け取られても弁解の余地はありませんよ」

 僕は擦れた声に力を込めて言い放つ。きっとその声は震えていただろう。

「騙る? ああ、そう。そうだったわ。外ではあいつが長女なのね」

 ミゼルは合点のいったように呟く。

「なら、そうね。……どこにしまったかしら」

 彼女はドレスに付いたポケットを探る。その仕草で長い髪が棚引く紐のように揺れていた。

「……僕を、解放してください」

 僕は少し掠れた声で言った。しかしミゼルは無視してドレスのフリルを揺らし何かを探すだけだった。

「僕を解放しろ……っ!」

 怒りで自然に震える声で言い放つ。それでも彼女は無視するばかりだった。

 そして彼女の手が止まりこちらへと歩いて縛られた僕の眼前でしゃがむ。ふわりと少し甘く花の香りがした。

「やっと見つけたわ、これよ」

 彼女が手にしていたのは綺麗な銀の懐中時計だった。そして表面には金で縁取られた紋章が刻まれおり。

「クエースフォード家の、紋章……」

「そう。これで理解して頂けたかしら? 私こそがミゼル・クエースフォードであることに」

 

 その懐中時計は以前トーリアに見せてもらったものと同じに見える。霞んだ意識を数度奮い立たせ己に是非を問うがそれでも変わらない。彼女の物が贋物である可能性を考えたが、細やかに見る内にその考えは瞬いて消えた。しかし奪取された物であるとなれば話は別だ。相手は僕を拘束するような暴力的な人物なのだから、その線は有り得るだろう。だから、僕は刺激しないように表層上は従う事にした。


「ぐっ……。あらぬ疑いを掛けてしまって申し訳ありません。ですが、なら僕は何故領主様からこのような仕打ちを受けているのでしょうか。僕に咎があるというなら甘んじて受け入れますが……」

「咎? ないわよそんなもの。そう、そんなに知りたいのね。なら教えてあげるわ。あなたがここに居る理由、それは──」

「あなたの屋敷、放火されたのよ」


 彼女の声を聞いて意識が遠くなる。脈が大きく早くなる。呼吸さえままならなくなり視線がぼやける。僕は彼女の言葉を聞いていただろうか。だがそれでも放火という音が含まれていたのは耳が逃さなかった。今まで無視できていた肌のひりつきが熱を帯びていく。放火。なら何故僕はここにいる。父さんや母さんは何処にいるというんだ。


「……放火」

 僕はただ反芻するだけで精一杯だった。

「そう、放火。無残なものだったらしいわ。屋敷はほぼ全焼し、スーティラージュ夫妻は共々数箇所の刺し傷が有った上での焼死。息子は行方不明。犯行者は今だ不明。と町ではそうなっているわ」


 屋敷が全焼。夫妻が焼死。意識はむしろ明瞭になり、心にぽっかりと黒い穴が空いたようだった。全てが変わった、変わってしまった。帰るべき場所はもうない。その喪失感がやっと実感できる初めての感情だった。


「これは夫妻の、今では形見よ。あなたに渡しておくわ」

 ミゼルはペンダントと短剣をポケットから取り出し僕の眼前に置いた。母さんが肌身離さず付けていた、結婚の際に父さんが送ったという家族の写真が収められたロケットペンダント。そして父が新興貴族となった際に贈られた装飾が施された短剣。


 意味を持たせたくなかった言葉に実感が湧いてしまう。悲しみがやっと頬を伝った。


「僕を解放してください。……行かないと、行かないといけないんだ。どうしても、帰らないといけないんだ」

「駄目。刺殺の上焼死よ、状況で分かるでしょう? これはあなたの家、スーティラージュ家へ悪意を持った者の犯行よ。あなたもきっと殺されるわ。……それに、この館からは出られないしね」

「なら! なら僕はどうすればいいんだ! 誰も、誰も僕にはもう居ないんだ。父さんも母さんも……帰るべき場所さえも! そんな僕に君は自由まで奪うのか!?」


 止まらない涙が地面へ伝う。流すほど心の黒い穴は広がっていくばかりだというのにそれでも止まらない。一度流れ出でたものは決して戻らない。

 けれどそこに不意に、柔らかく暖かなものが身体を覆った。


「大丈夫、大丈夫よ。私、あなたとなら友達になれる気がしたの。だからここに連れてこさせたのよ」


 それがミゼルの抱擁だったと気付くのに少しの時間を要した。彼女の言葉の一々を解釈するだけの余力はもう残ってなかった。ただ暖かい。人の暖かみだった。


「僕が、君の友達に?」

「ええ、そうよ」

 

 ミゼルは僕の目を拭い優しく微笑む。

 これ以上考えるのをやめて彼女の言いなりになってしまおうかと考える。それはとても楽な選択肢。けれど僕の心に、穴とは違う何かが生まれていた。


「ねえ……」


 ミゼルが手を引く。

 唇に柔らかいものが触れる。それが彼女の唇であった事に気付くのにどれほどの時間を要しただろうか。それか時間は経っていないのか。母の口付けとは違うそれ。けれど僕は心のどこかで。


──ダメだ。


 心の底にある自覚できない拒絶が、不意に彼女の唇を噛んでしまっていた。ミゼルが静かに身を引き唇を離す。そこからは鮮血が滴っていた。


「……ごめん、ダメだ。僕は君の友達にはなれない」

「ふふっ、ファーストキスが血の味だなんて、私らしいのかしらね」

 彼女は自嘲に満ちたように言う。だけどねと彼女は僕の頬に触れ言葉を続けた。

「っ……!」

 反射的に呻いてしまう。柔らかい彼女の指に力が入り僕の頬を血が伝う。

「あなたは私を愛さなくてはいけないのよ」


 その彼女の言葉は呪文のようにも聞こえた。そして突然、そして徐々に体の全体が痺れたように動かなくなってしまった。


「ふふっ、動けないでしょう。私にとっては忌むべきものだけれど役に立つときもあるわ」

「な、にを……」

「手足、解いてあげるわ。それでは食事すら満足に取れないでしょう」

 彼女は動かない僕の四肢に触れ小さな鍵で解錠していった。全て外された僕は麻痺した重量を支えきれず倒れこんでしまう。


 意識すらも痺れてきたのか、遂に目の前が暗くなり始める。そんな僕をミゼルは重たげにベッドへ運んだ。もうこの意識も限界だ。全て何も考えなくていいように、夢の中へ。


「おやすみなさい、ライヒアルト」

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