襲来
CHAPTER 06(襲来)
数学の授業中だった。
丸めた紙が俺の机の上に飛んできた。
誰だよ。
紙の飛んできた方向を見た。
え、サキ?
サキが俺の方を向いて目で合図していた。俺は紙を開いてみた。
『結界が破られた』
何だって?
俺はもう一度サキを見た。
「こら、貴船、女子の方ばかり見てるんじゃない」
教師の怒号とクラス全員の笑い声が聞こえた。
「何だ、その紙は」
教師は俺の方へ歩いてきた、まずい、数学は教科も教師も苦手だ。
『火災発生。火災発生。四階化学実験室から火災が発生しました。全校生徒は速やかに避難してください。これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません』
突然、けたたましい非常ベルの音と共に、火災発生の校内放送が響きわたった。
「みんな落ち着け、慌てずに避難するんだ」
数学教師は急いで教壇に戻ると生徒全員に向かって言った。
生徒たちは不安な面もちで椅子から立ち上がると、避難訓練通りに順番に並んで教室を出ようとしていた。
「こっち」
教室を出るといきなり俺の腕を掴んで引っ張った者がいた。
サキだった。
「どうしたんだ?」
戸惑いながら訊く。
「あれはマリアの仕業。あなたはこっち」
サキは俺の腕を掴んだまま、生徒たちの流れと反対方向へ俺を引っ張っていった。
「どこへ行くんだ。そっちは…… 」
サキは校舎の入り口とは反対側へ向かおうとしていた。
「大丈夫、本当の火事じゃないから」
「何?」
避難のため階段を下りてくる生徒の流れに逆らいながらサキは俺を引っ張っていった。
やがて生徒の列が途切れた、と思ったら旧校舎だった。
ここは……
旧校舎の北端にくっついている建物だ。
「サキちゃん、待ってたよ」
屋上に出ると、既に大きなトートバッグを抱えたシャルが待っていた。
「シャル。やって」
サキが言った。
「うん」
シャルはトートバッグから太い銃身の着いた銃を取り出した。
グレネードランチャー?
シャルはグレネードランチャーを上空へ向かって撃った。
上空で爆発が起き、紙吹雪が広がった。
「何だ?」
「簡易結界」
シャルが答えた。
「簡易結界?」
「物理的な侵入は防げないけど、空気の屈折率を変えて音と光を遮断する。煙幕みたいな物」
紙吹雪をよく見ると、小さな紙切れ一片一片に護符のような模様が描かれていた。
「間に合ったか」
サキはそう言うと、持ってきたスポーツバッグから小型のサブマシンガンを二挺取り出した。
「サキちゃん、上!」
シャルの声がした。
頭上を見上げると大きな鳥のような物体が急降下してくるのが見えた。そいつはカラスを大きくしたような姿で、両目には赤い炎が宿り全身には怪しげな紫の光に覆われていた。
妖魔だ。
「こっちはまかせて」
シャルが武器をグレネードランチャーからショットガンに替え、銃弾を妖魔に向けて放った。
妖魔は不気味な叫び声をあげ四散した。
しかし、上空にはまだ数十匹の妖魔が飛び交いこちらを伺っていた。
「下からも来た」
シャルはサキに合図した。先日の夜中に襲われたのと同じ、狼のような姿をした妖魔が屋上のフェンスを飛び越え近づいてきた。
「ここを動かないで」
サキはそう言うと二挺のサブマシンガンを両手に持って妖魔に向かって走った。
銃弾を浴びて妖魔は消滅。
「サキちゃん、気をつけて!」
シャルはサキを狙って急降下してきた妖魔をショットガンで撃った。
「サンキュー!」
サキはシャルの足下に忍び寄る妖魔を撃つ。
フルオートで撃つ二挺サブマシンガンとショットガンの発射音。
シャルは空中の妖魔を、サキは下から来る妖魔を、次々と打ち倒していった。
しかし、妖魔の数は増える一方だった。
「キリないよー」
シャルがショットガンに予備のシェルを入れながら叫んだ。
「シャル、無駄弾を撃つな」
サキは妖魔が数匹固まっている場所へ跳躍した。
両手に持ったサブマシンガンで両側の二匹を薙ぎ払った。
正面の妖魔は後ろにジャンプし、体勢を整える。
しかしサキはすかさず銃口を前に向け、妖魔を倒した。
「後ろ!」
俺が叫んだ。別の妖魔がサキの背後から迫っていた。
サキは上体を後ろへ大きく反らし両手の銃を突き出した。
銃声が轟いて、妖魔は不気味な叫びを残して散った。
「うっ…… 」
俺はサキの戦いぶりに圧倒されていた。
と同時に、制服の短いスカートの中は抜かりなく黒いスパッツでガードされていることを知った。
「あぶない!」
シャルが叫んだ。気が付くと大形の鳥のような妖魔が俺に向かって鋭い嘴を突き立てようとしていた。
「!」
俺はとっさに両腕で防いだ。
銃声と衝撃は同時に感じた。
妖魔は俺の目の前で四散し消えた。
「遅れてごめんなさい」
屋上の入り口に、大型リボルバーを構えたマリアが立っていた。
マリアはグレーのタイトスカートに白衣。
「マリアちゃん、おそーい、もう弾がないよー」
シャルが言った。
「サキ、手伝って」
マリアはそう言うと背中に背負っていたケースから大型のマシンガンを取り出した。
サキはマリアに駆け寄ると、マシンガンの二脚を掴み肩で支えた。
マリアはマシンガンを構えると空中の妖魔に向かって引き金を引く。
凄まじい連続音と衝撃波が走った。
一連射で空中の妖魔の三分の一が消えていた。
「すげえ」
俺は思わず唸った。
続いてサキとマリアは反対方向を向き、残った空中の敵を一掃した。
「まだいるよー」
シャルの悲痛な叫びが聞こえた。
屋上と空中には、倒した数よりさらに多くの妖魔が集まっていた。
「どうして、こんな」
マリアも戸惑いを隠せなかった。
「どっからわいてくるのー」
シャルは半ベソで叫んだ
「…… 」
妖魔はいくら倒しても減る気配はなかった。
「やめてーっ!」
突然、女生徒の声がした。
「加茂川?」
屋上に現れたのは加茂川摩耶だった。
「なんで」
マリアが加茂川を見た。
苛立った目をしていた。
妖魔の一部が加茂川を見つけ、襲いかかろうとしていた。
「来るなーっ!」
俺が叫んだ。
しかし、加茂川はそのまま俺たちの方へ走り込んできた。
「え?」
「何?」
「だめ!」
加茂川の周囲の空気が青白く光った。
同時に稲妻が四方に飛び散りそれに当たった妖魔が消滅した。
「加茂川…… 、おまえ…… 」
加茂川もエクソシストなのか?
しかし、加茂川は力つきたようにその場に倒れ込んだ。
「お花が…… 」
倒れ際に加茂川が口にした言葉。
そう言えば屋上には加茂川が大切に花を育てているプランターがあった。
「誰か、加茂川を!」
俺は三人に向かって叫んだ。
しかし、三人とも目の前の妖魔と戦うことに忙しく、加茂川に近づくことすらできなかった。
「くそ!」
現在、マリア、サキ、シャルの三人は、俺を中心に正三角形を作り、俺を守りながら戦っている。
俺はその中から抜け出し、加茂川を助けるため走った。
「出ちゃだめ!」
シャルが叫んだ。
「暁さん、後ろ!」
マリアの声がした。振り返ると六本足の狐のような妖魔が今にも飛びかかろうとしていた。
「!」
鋭い牙が光った。俺は思わず腕で牙を防いだ。
『ギエェー!』
不気味な叫び声を残して妖魔が消滅した。
「何?」
俺は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
尾の長い烏のような妖魔が一度に数匹襲ってきた。
「うわーっ!」
俺は腕を振り回し、奴らの鋭い爪と嘴から頭を守ろうとした。
『ギャーッ!』
俺の周りで飛び回っていた妖魔が全て一瞬で消え去った。
「『聖なる血』…… 」
マリアが言った。
「え?」
俺は自分の腕を見た。いつの間にか出血していたようだ。右腕の上腕部分の肘に近いところが裂け、右腕全体が赤い血で染まっていた。
不思議と痛みは感じなかった。
右腕を振った。
血の飛沫が指から飛んで妖魔にかかった。
ほんの僅かな、一滴にも満たない血の飛沫で妖魔は消滅した。
「これは…… 」
「これが『聖なる血』の力」
マリアが呟いた。
「聖水? それよりすごい」
「すごい、始めて見た」
シャルが感嘆の声を上げた。
「逃げていくよ」
シャルが妖魔を指さした。
周りを取り囲んでいた無数の妖魔は次第に姿を消していった。
「加茂川…… 」
俺はプランターの前に立っている加茂川に声をかけた。
花は無事だった。建物の陰になっていたことが幸いし、被害を受けることがなかったようだ。
火事だというのに屋上の花を心配して来るなんて、よほどこの花に思い入れがあるのだろう。
それにしてもさっきのあの力。
加茂川の正体が気になる。
「チグリジアね。とってもきれい」
いつの間にかマリアが傍らに来た。
「あなた、怪我してるじゃない」
マリアが加茂川の腕をとった。妖魔にやられたのだろうか、左の手首から手の甲にかけて赤く痛々しいミミズ腫れが見えた。
「だ、大丈夫です」
加茂川は右手で左手の怪我を隠すようにして言った。
「でも、あなた顔色が…… 」
マリアが言うや否や、加茂川は頭を押さえてふらふらと倒れそうになった。
「すごい熱」
マリアは加茂川を支えながら言った。
「俺が運ぼう」
俺は加茂川をマリアの腕から受け取ろうとした。
「だめ、あなたは触らないで。それより自分の怪我の手当をして」
マリアは俺の手を跳ね退けた。
「え?」
マリアの意外な反応に俺は一瞬戸惑った。
マリアは加茂川を肩で支えながら校舎の中へ向かった。
「ちょっと見せて」
俺がマリアと加茂川の後ろ姿を見送っていると、シャルが俺の右腕をとった。
「もう血は止まっているけど念のため」
シャルはそう言うと、白いハンカチを包帯代わりに俺の腕に巻いた。
「あ、ありがとう」
「あとでマリアに消毒してもらって」
シャルは校舎の中へ入っていった。
「チグリジア、か…… 」
サキは何か言いたそうな顔をしていたが、俺の顔を見ると目を伏せた。
火事は四階の一部を焼いただけで消防車が来る前に鎮火していた。
俺たちが妖魔と戦っていた様子は火事現場からの煙とシャルの簡易結界によって校庭に避難した生徒の視線から完全に遮断されていた。
妖魔の姿は普通の人間には見えない。
しかし、後日、『学校の火事騒ぎの時、上空に無数の鳥を見たと』いう噂が立ったという。