奇跡の確率
CHAPTER 25(奇跡の確率)
「消えた? 魔族の因子がか?」
我が家のリビング。
ケガの具合が比較的軽かった俺とマリアとシャルは一足先に我が家へ戻った。
事件はおおむね解決したとはいえ、聖モニカ修道会は本部だけでなく各地の支部もすべて閉鎖された。
そのため、ケガをして入院しているサキを除いたふたりは、まだ俺の家に居座っているのだ。
「マリア、あの時、俺の血まみれの手で加茂川の手を握った。でも加茂川はなんともなかった」
「悪魔の雷撃は肉体ではなく魂を直接攻撃する物よ。そのとき、破壊されたのが魂の中の魔族の因子だけだったら」
マリアが答えた。
「でも、そんな都合の良いことが…… 」
「確率操作…… 」
「そうか、確率操作ならそんな奇跡みたいなことができるのか」
「そう、それ以外考えられない」
加茂川は自分に向けられた悪魔の攻撃を利用し、自分の中の魔族の部分だけを吹き飛ばすことに成功したのだ。
あの時シャルの言った『賭』の意味はそういうことだったのか。
「それじゃ加茂川は…… 」
「今は普通の人間ね。魔族の因子を失ったということは、確率操作者としての能力も失っているでしょうから」
「あ、誰か来たみたい」
窓の外を見ていたシャルが言った。
家の前に黒塗りの高級車が停まっていた。
急いで玄関から出てみる。
「加茂川?」
後ろのドアが開いて出てきたのは加茂川摩耶だった。
「ケガはもう大丈夫なのか?」
俺は加茂川に聞いた。
「ええ、おかげさまで」
「よかったら上がってお茶でも…… 」
マリアが言った。
「ありがとうございます。でも、両親が待っているので」
「両親?」
加茂川は両親と離別していたのは?
「父は昔、事業に失敗して幼い私を親戚に預けて失踪していたんです。でも、10年以上かけて事業を立て直し、母とも復縁して私を迎えに来てくれたんです」
加茂川は今までに見たことのないような明るい表情で言った。
「そうか、それはよかったな…… 」
「でも…… 」
加茂川は少し目を伏せた。
「両親と暮らすにはちょっと遠いところへ引っ越さなきゃならないんです」
「転校するのか…… 」
「はい、せっかく皆さんと仲良くなれたのに残念ですが…… 。でも、向こうへ着いたらメールしますね」
「ああ、頼む」
「あ、あたしもメールするね」
シャルが言った。
加茂川はシャルに向き直って言った。
「シャルさん、ありがとう。悪魔の雷撃を受けたとき、時間遅延の魔法をかけてくれなかったら、魂の拡散を防げなかったかもしれない」
「う、うん。あれは、あたしがヘリコプターから落ちそうになったとき、上昇気流を作って助けてくれたお礼だから」
シャルは照れながら答えた。
「でも、それとこれとは別」
「!」
そう言って加茂川はいきなり俺の首に腕をかけ、唇を合わせた。
「あ、あーー!」
シャルが叫ぶ。
「私もファーストキスだから、これでおあいこ」
加茂川は俺から離れるとシャルに向かって笑顔で言い放った。
「ぐぬぬ…… 」
歯がみするシャル。
「それじゃ、皆さんいろいろありがとうございました」
加茂川はそう言って玄関の外へ。
車に乗り込む際にもう一度笑顔で俺に手を振った。
「暁君、すぐに子供作ろう」
シャルが俺の腕を取った。
「どうしてそうなるんだ!」
「いいかげんにしろ!」
誰かがシャルの後頭部をハリセンで叩いた。
ハリセン?
いつの間にか、中学生くらいのショートカットの少女が立っていた。
白いTシャツにデニムの短パン、むき出しの生足にスニーカー。
ぱっと見には男の子に見える。
「あら、サキ。早かったのね。退院は来週くらいって聞いてたのに」
「サキだって?」
確かに、言われてみれば面影はある。
しかし、今の姿はどう見ても12歳か13歳くらいにしか見えない。
「もう、サキちゃんたら容赦ないんだから」
シャルが頭をさすりながら言った。
「これはいったい…… 」
驚く俺にマリアは微笑みながら答えた。
「これがサキの本当の姿。実年齢12歳のね」
「実年齢?」
どういうことだ。
「サキがホムンクルスだってのは前に言ったとおりだけど、今までの姿はサキのDNAを使って培養した細胞を秘術を使って人間の形に定着させた姿だったの。設定年齢17歳で」
「…… 」
なんか判ったようなわからんような……
「それで、悪魔の攻撃を受けたとき、そのホムンクルスの秘術が消滅したのね」
「しかし、それだけで…… 」
「もちろん、普通だったらその時点で細胞はバラバラになって死んでしまったでしょう」
「それじゃ…… 」
「シュミット神父の開発した第5世代のホムンクルスはiPS細胞のような多能性幹細胞を魔術によって人間の形に固定した物なの。魔術が消えれば元の細胞の塊に戻ってしまう。でも偶然にすべての細胞が人間として完全な姿になるように分化した状態で固定されたとしたら…… 」
「偶然、て」
「人間の細胞は全部で37兆個以上と言われてるから、確率からするととんでもない数字ね。まさに天文学的な」
「加茂川の能力か」
「やっぱり、そうね…… 」
しかし、サキの実年齢が12歳だったなんて……
「わーいロリっ子だ」
シャルがサキに抱きついて頭をくしゃくしゃになでた。
「やめろ暑苦しい」
「おっぱいも小さい」
「うるさい、すぐに大きくなる」
「ホムンクルスでなくなったということは」
「それも病院で調べてもらったの。完全な人間でもう不老不死ではないわ」
「そうか…… 」
「その代わり子供を産むことができる」
マリアの言葉にサキは僅かに頬を赤らめた。
「あ、サキちゃん、今エッチなこと考えたでしょ」
とシャル。
「黙れ、万年発情期に言われたくない」
「暁君、12歳とエッチするのは犯罪だからね」
「おまえの頭はそれしかないのか!」
サキがシャルをハリセンで叩いた。
12歳になってもハリセンはデフォなんだ……
「あ、また誰か来たみたい」
家の前に車が止まる音がした。
「誰だ、今度は…… え?」
黒いワンボックスだった。
「タウの寺院か?」
ワンボックスの後部ドアがスライドして中から妙齢の女性が飛び出して来た。
「春香!」
?
「え? うそ…… 」
シャルが絶句した。
「春香!」
女性はそのまま走り込み、シャルを抱きしめた。
「ママ…… 」
ママだって?
「春香って…… 」
「シャルの本名よ」
マリアが答えた。
「本名?」
「私たちが普段使っているのは洗礼名なの。職業柄、本名を知られると色々まずいことがあるから」
「そう、なのか…… じゃあ、君たちも」
「私もサキも本名は別にある…… 秘密だけど」
マリアは笑った。
「10年くらい前でしょうか、記憶を失って行き倒れになっていたのを我々の施設で保護していたんです」
「栗本さん」
相変わらず黒ずくめの栗本が傍らに立っていた。
「それが先週になって突然記憶が戻ったようで、聖モニカ修道会に問い合わせたところ、娘さんがここにいると」
「ママ、会いたかった」
「ごめんね…… 、ごめんね…… 」
「う、うえーん…… 」
涙でぐしゃぐしゃになったシャルの顔
「こんなに大きくなって…… 」
抱き合いながら泣いている母娘を前に、マリアも栗本ももらい泣きをしていた。
「それで、これからどうするんだ」
俺はマリアに訊いた。
「修道会の宿舎はもうすぐ再開されるから私たちはそちらに移る予定。でもバチカンの指示は現状維持なので私とシャルは学校に残ることになる。保険医の契約も残ってるしね。さすがにサキはあの姿では高校生は無理だから修道会の施設に入ることになるでしょう」
「そうか…… ちょっと寂しくなるな…… 」
「だったらあたしはこの家にいてあげようか」
シャルがこちらを振り向いていった。
「断る!」
「加茂川さん、最後の力でみんなが幸せになるように望んだのよ…… 」
マリアが感慨深げに言う。
「加茂川が…… そうか…… 」
加茂川本人は家族が元通りになったし、サキは人間に戻った。シャルは行方不明だった母親が見つかり、マリアは…… あれ?
「でも君は…… 」
俺はマリアに言った。
「うふ。私はこれ」
そう言いながらマリアは左手を顔の高さに掲げた。
左手の薬指には銀色に光るリングがあった。
「あーっ、マリアちゃんそれって…… 」
シャルが絶叫した。
「本物よ」
「相手は誰? あたしの知ってる人?」
「ふふ、まだ秘密」
「付き合ってた人がいたのか」
「いい人なんだけどちょっと優柔不断でね。このままズルズル行くなら神の子を産んで聖母になっちゃうぞ、って言ったら慌ててプロポーズしてくれたの」
マリアはすてきな笑顔で言った。
「こんな絵に描いた大団円になるなんて、加茂川の確率操作の能力ってすごかったんだな…… 」
「ええ、まさに奇跡に近いわね」
「奇跡の確率、か…… 」
『自分が不幸だと思ったときは、全世界の人々がもっと幸せになって欲しいって願います。周りのみんなが幸福になれば、そのうちの少しでも、私に幸せを分けてくれる人がいるかもしれないから…… 』
追記
俺の両親が温泉土産を山ほど抱えて伊豆大島の保養施設から帰ってきたのは、それから一週間後だった。
完




