脱出
CHAPTER 14(脱出)
ドアをノックする音で目が覚めた。
「暁さん、起きてる?」
マリアの声だった。
寝ぼけ眼でドアを開けると緊張した面もちのマリアが立っていた。
「ちょっと、外を見て。あ、カーテンは開けないで、隙間から覗いてみて」
「何だって?」
俺は言われるままに窓に近づき、カーテンの隙間から外を覗いてみた。
「あれは…… 」
家の前の道路には黒いワゴン車が停まっていた。運転席と助手席には黒っぽい服装の男がこちらを伺うように座っていた。
例の連中か。
「いつから?」
俺は素早く窓から離れるとマリアに訊いた。
「判らない。朝起きたら囲まれてたの」
「囲まれた?」
「肉眼で確認しただけで、四台、この家の周りに停まってる。いつもならシャルが気が付くんだけど」
「どうして今日だけ…… 」
「加茂川さんのせいよ。あの人の魔族オーラで、連中の接近に気が付かなかったの」
「魔族だって?」
「タウの寺院」
「タウの寺院?」
「そう、サウスダゴダに本部がある悪魔崇拝の宗教団体よ」
マリアは小さなバッジを差し出した。それは昨日、サキが謎の男たちと格闘した際に手に入れた『TT』と刻印のあるバッジだった。
「敵の正体が判ったと思ったら、手遅れだったとはね」
マリアが首を振った。
「これからどうするんだ?」
マリアの目を見る。
澄んだ榛色。
「とりあえず、今日は家から出ないことね。全員学校は休み。私も休みの連絡入れとかなきゃ…… それから、今、シャルが本部と連絡を取って指示を仰いでいるところ」
「シャルが?」
本部との連絡はマリアの仕事だと思っていたので意外だった。
「精神感応で」
「精神感応…… 」
「電話とか携帯だと盗聴されるおそれがあるから、本部の能力者と直接交信してもらってるの」
「そうか、すごいんだな、シャルって」
「本人はあまり使いたがらないんだけど、今回だけは特別に無理してもらってるわ。あの子、いろいろ敏感すぎるから、交信の最中に余計なノイズ拾っちゃってかなり消耗するから」
「そうか…… 」
「それから、今言ったこと、私から聞いたって、シャルに言わないでね」
「え?」
「あの子、自分の能力のこと、人に知られるの嫌がってるから」
「ああ、解った」
シャルは自分の特殊能力のせいで子供の頃から辛い目に遭ってきたと聞いた。
他人から特殊な目で見られたくないのだろう。
「マリア、いる?」
ドアの向こうからサキの声がした。
「はい、ここよ」
マリアがドアに近づき、開けた。
「ここは撤収。マリアは午後三時までに第三京浜の都筑サービスエリアだって」
サキは有名な猫のキャラクターが印刷されたメモ用紙を差し出した。
「対象者二名と共に全員撤収、か」
マリアはメモを見て呟いた。
「対象者二名、って…… 」
俺はマリアに訊いた。
「もちろん、加茂川さんも含めてよ」
「撤収、ってどうするんだ。囲まれてるんだぞ」
「本部に何か考えあがるんでしょ。それに、連中だって昼間からドンパチするつもりはないでしょうし」
「ドンパチ、って…… 」
「もう六時間しかないわ。あなたも荷物まとめといて」
「荷物?」
「しばらく外泊になるから当面の着替えは用意しといて」
「外泊って、どこに行くんだ」
「判らないけど、たぶん、どこか秘密の施設に隠れることになると思う」
「秘密の施設か…… 」
「サキ、私たちも荷物まとめて撤収の用意よ」
「了解」
「それから、あくまでも万が一の用心だけど、これ」
マリアはサキに白い小箱を差し出した。
「…… 」
サキは難しい表情でそれを見つめる。
「何なんだ?」
俺はマリアに訊いた。
「対人用の実包。リボルバー用しかないけど」
「対人用って…… 」
「本当にこれを使うのは最後の手段だから…… 」
「…… 」
「さて、私はちょっと出かけてくるとするか」
マリアはそう言って部屋を出ようとした。
「大丈夫なのか? 囲まれてるんだぞ」
「シャルの簡易結界使えば、私一人くらい何とかなるって」
マリアとサキは部屋を出ていった。
秘密の施設?
俺たちはいったいどうなってしまうのだろうか。
漠然とした不安が心に重くのしかかっていた。
俺はそっとカーテンの隙間から外を見た。
「あ、駐禁取られてる」
「時間だ」
サキが呼びに来た。
俺は大きめのスポーツバッグに適当に衣類を詰め込んでいた。
「でも、どうやってここから出るんだ」
「大丈夫、迎えが来た」
サキが答えた。
あの、タウの寺院とかいう連中はまだ家の周りで張り込んでいるのだろう。
たとえ車で脱出しても逃げきれるのか?
「あ、そっちじゃない」
俺は荷物を持って階段を下りようとするとサキが制した。
「え? どういうことなんだ?」
「こっち」
俺の部屋の隣、2階のゲストルームへ案内された。
「みんな揃ったね」
部屋で待っていたシャルが窓を開けベランダに出た。
ベランダって、こんなところで何をするんだ?
逃げるんじゃなかったのか?
見下ろすと、俺の家を取り囲むように黒いワンボックスが三台、停まっていた。おそらく、裏にも停まっているに違いない。
「来た」
サキが空の一点を指差した。
「何だ? 飛行機か?」
空に浮かぶ黒い点が見えた。
それが次第に大きくなって、同時にヘリコプター特有の爆音が聞こえた、
ヘリコプターだって?
ヘリコプターは近づくに連れ、その異様な姿が明らかになっていった。
ずんぐりした胴体に二重反転ローター
ロシアのヘリ?
「シャルが先に上がって監視と警戒、大丈夫?」
サキが言った。
「うん、スパッツ履いてるから下から見られても大丈夫だよ」
問題はそっちじゃないだろ!
シャルは首周りが広く開いた白いTシャツに薄手のネイビーブルーのベスト、赤いタータンチェックのフレアミニスカート、サキはシンプルな白いブラウスに黒のトレンカ、加茂川は民族衣装風のチュニックに細身の膝丈ジーンズだ。
「次に加茂川さん、暁さんが次でボクが最後。荷物はまとめてロープで吊り上げるからそこへまとめておいて」
「了解」
シャルが答えた。
サキが合図するとヘリコプターは高度を下げた。
ドアが開き、縄梯子が下りてきた。
え? これ登るのかよ。
住宅街のど真ん中で大型ヘリがホバリングすれば、その騒音は凄まじく、近所迷惑この上ない。
周りの住民は皆窓を開け、中には通りに出て、何事が起こったのかと俺たちを注目している。
隣の中島さんの奥さんと目が合った。
気まずい顔で会釈すると、向こうはぽかんと口を開けたまま会釈を返した。
「タウの寺院」の連中は黒いワンボックスから降り、ヘリを指さして何か叫んでいた。
携帯でどこかへ連絡している者もいた。
「はいこれ」
苦労してヘリに乗り込むと、シャルからマイク付きのヘッドセットを渡された。
エンジンの騒音のため、ヘリの中ではヘッドセットがないと会話ができない。
「サキ、副操縦席について」
マリアの声だ。
操縦しているのはマリアなのか?
「了解」
サキは身をかがめてヘリの前方へ行き、副操縦士の席に着いた。
マリアもサキもヘリの操縦ができるのか?
こいつら、本当の歳はいくつなんだ?
ヘリコプターは高度を上げ西の方角へ向かっていた。
窓の外を見ると既に京浜工業地帯が後ろへ遠ざかり横浜の市街地が眼下にあった。
「…… はい…… 。了解…… 、大丈夫です」
マリアがヘッドセットを使って外部と通信していた。
次に、携帯電話を取り出し、メールを打ち始めた。
「どこへ向かってるんだ、俺たち」
メールを打ち終わった頃合いを見計らい俺はマリアに訊いた。
「伊豆大島よ」
マリアはにっこり笑って答えた。
「伊豆大島?」
追っ手から逃れるということで、なんとなくどこか遠く、北海道の原野とか沖縄あたりの無人島とかを想像していたのだが、以外と近場だった。
「大島には修道会の研修センターがあるの、そこでしばらく様子を見て安全が確認されたら日本支部のメインロッジへ来てもらうことになるわ」
「メインロッジ、ねえ。…… 、それより、さっきは何を話してたんだ、トラブルでもあったのか?」
俺はサキのパイロットとのやりとりが気になっていた。
「トウキョウ・コントロール…… 。航空管制がうるさく言ってきてね。あなたたちを回収するのに予定コースをだいぶ離れちゃったから。でも、国交省の上の方にメール打っといたからこれ以上何も言ってこないでしょう」
マリアはいたずらっぽく笑った。
「国交省の上の方、って…… 」
こいつらの勢力は公官庁にまで及んでいるというのか。