ラックブレイカー
CHAPTER 13(ラックブレイカー)
川が激しく流れている。濁流だった。
その濁流に流されている人影があった。
加茂川摩耶だった。
俺は必死に手を伸ばし、加茂川を濁流から引き上げようとしていた。よく見ると川の中には怪物たちがうごめいていていた。加茂川を狙っている。
「早く、手を」
加茂川は手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。
「よし。引き上げるぞ」
俺は満身の力を込めて、加茂川を濁流の中から引き上げ、抱き寄せた。
「あ」
次の瞬間、加茂川の体は砂のように崩れ俺の腕の中からこぼれ落ちていった。
「摩耶!」
目が覚めた。
俺はベッドの上で考えた。
加茂川を守るつもりでこの家につれてきた。
しかし、それは加茂川にとって最善の方法だったのだろうか。
君を守る、なんて啖呵を切ったものの、俺の『聖なる血』そのものが加茂川を命の危険に晒しているのだ。
何のことはない、加茂川にとってこの世で一番危険な存在は俺自身なのだ。
日曜日は俺と加茂川と修道会の三人が揃って遅い朝食を摂った。
「これ、ナポリタン? おいしい。誰が作ったの?」
シャルが言った。
「…… あの、私です」
一瞬の沈黙の後、加茂川が小さな声で言った。
「あ、そう…… 。でもマリアちゃんやサキちゃんより料理うまいかも」
「ありがとう」
シャルの言葉に加茂川は恥ずかしそうに微笑んだ。
マリアとサキは複雑な表情だった。
とにかく、加茂川の料理がうまくて良かった。
シャルは論外としてもマリアとサキは決して下手ではないのだが、二人とも料理のレパートリーが少ないのでそろそろ飽きてきたところだ。
「で、今日は?」
全員がリビングに移って食後のコーヒーを飲んでいたとき、シャルが訊いた。
「せっかくの日曜だけど、今日は家の中でおとなしくしてましょう。昨日の今日だから…… 暁さん、いいでしょ」
マリアは全員に聞こえるように言った。
「俺は構わないけど」
俺は答えると加茂川を見た。
加茂川は黙って頷いた。
「シャルは武器のクリーニング、いつでも使えるように準備しておいて。それからサキは食料の買い出しね」
「おっけー」
シャルが答えた。
「食料なら後三日分はあるけど」
サキが言った。
「一週間分はストックしておいた方がいいかな。それから水は多めにね」
「解った」
「あ、俺も手伝うよ。荷物持ちなら男の方がいいだろ」
俺はサキに言った。
「申し出はありがたいけど、暁さんはこの家から出ない方がいい」
マリアが言った。
「ボク一人で大丈夫だから」
サキがそっけなく言った。
「あ、サキちゃん。ポッキーの限定品とたけのこの里のキャラメル味、あったら買ってきて」
とシャル。
「遠足行くんじゃないぞ」
サキが呆れ顔で答えた。
「あ、それからバナナも」
「人の話を聞け!」
玄関のチャイムが鳴った。
全員に緊張が走った。
「俺が出るよ」
俺はソファから立ち上がって言った。
「気を付けて」
マリアが俺の背中に言った。
サキがそっと俺の後から着いてくるのを感じた。
「貴船暁さんですね、お荷物お届けにあがりました」
玄関のドアを開けて姿を現したのは宅配便の配達人だった。
「あ、はい」
「ここにハンコかサインお願いします」
差し出された伝票に俺は言われるままにサインをして返した。
リビングに帰って宅配の荷物を調べた。
荷物は大きめの封筒だった。
「どこから送られてきたの?」
マリアは警戒するように訊いた。
伝票の差出人には出版社の名前があった。
「あ、これ、たぶん…… 」
俺は荷物を開封しかけた。
「大丈夫なの?」
マリアは心配そうに訊いた。
「やっぱり、当たったんだ」
中から出てきたのは洋画の新作DVDだった。以前、ダメもとで送った雑誌の懸賞が当たったのだ。
「雑誌のプレゼントが当たったみたいだ」
俺はDVDをマリアの方へ向けた。
「暁くんて、こういうのよく当たるの?」
シャルが横から覗き込むように言った。
「いや…… 」
小学生の頃、始めて応募した雑誌のプレゼントに当たったことがある。
以後、それに味をしめてプレゼント応募を続けているが、それ以来当選したことはなかったのだ。
「あ、これ見たかったやつだ。暁くん、後で一緒に見よう」
シャルが体をくっつけるほど近づいて言った。
シャンプーのいい匂いがした。
加茂川を見た。悲しそうな顔でこちらを伺っていた。
「痛っ」
突然、シャルの後ろの壁から額が落ち、シャルの頭を直撃した。
「大丈夫か」
俺は頭を押さえてうずくまっているシャルに言った。
「…… 」
「血は出てないようだ」
サキがシャルの頭を見て言った。
「変だな、これが落ちるなんて」
俺は落ちた額を拾い上げながら独りごちた。
額は壁にねじ止めされた丈夫な金属性のフックに掛けられていた。
しかし、そのフックが壁から抜け落ちていたのだ。
「あ、また誰か来たようね」
マリアが言った。
玄関のチャイムが鳴っていた。
リビングのテーブルの上には数え切れない量の宅配便の箱が積み上げられていた。
「すごいね、これ全部プレゼント当選したんだ…… 」
シャルが半ば呆れ顔で言った。
賞品の内容は雑誌やCD、ゲームソフトからノートパソコン、はたまた米とかカニ缶まであった。米やカニ缶はおそらくお袋か親父が応募したものだろう。
「何で急に…… 」
「やっぱりね」マリアが加茂川に向かって言った。「あなた、ラックブレイカーね」
「ラックブレイカー?」
俺はマリアに訊いた。
「簡単に言うと、疫病神」
「おい」
俺はマリアを睨みつけた。
「…… 」
加茂川は下を向いて俯いてしまった。
「ラックブレイカーっていうのは、その名の通り、幸運を破壊するという意味。解りやすく言えば身の周りの人間を不幸にしてしまう能力ということね」
「その言い方は、ちょっと酷すぎないか」
俺はマリアの言い方に反発を覚えた。
「怒らないで」マリアは俺の言葉を笑顔で制して続けた。「ラックブレイカーの本当の能力は、確率を操作できる事なの」
「確率?」
「今は無意識に能力が働いてい発動されているからネガティブな方向へ力が働いてしまってるけど、力をコントロールできればポジティブな方向へ確率を操作することができるはずよ」
マリアは加茂川へ微笑みかけた。
「そんなこと…… 」
加茂川は意外そうな顔つきでマリアを見返した。
「花壇のお花が大きく育ったり、暁さんの応募したプレゼントが当選したり、おそらく、加茂川さんが好意を持っている対象には良い方向で確率変動が起こっているでしょ」
「…… 」
加茂川は赤くなって目を伏せた。
「そうか。屋上で妖魔を撃退した攻撃は、確率操作でエネルギーの高い空気の分子を一カ所に集めてプラズマ化させたパワーだったんだ」
シャルが突然声を上げた。
「あれは、本当に無意識に…… 」
加茂川は小さな声で言った。
「マックスウェルの悪魔、か」
サキがぽつりと言った。
加茂川は『悪魔』という言葉に少し反応した。
「とにかく、あなたはもう少し人生をポジティブに考えれば人生明るくなるかもね、って、なんか人生相談の締めみたいになっちゃったけど」
マリアは笑った。
「あ、ありがとうございます」
加茂川は頭を下げた。
「そうだ、今度宝くじ買ってみない、一億円当たるかもよ」
シャルが言った。
「…… 」
「それから、確率変動っていうのは最終的にはプラマイゼロで、無から有を生み出す訳じゃないの。使い方を誤るととんでもないしっぺ返しが帰ってくるかもしれないから気を付けてね」
マリアが付け加えた。
「は、はい、気を付けます」
一方その頃、シャルはサキのハリセンを真剣白刃取りで受け止めていた。