外伝:フィエナとギルバート
それは数年前のこと。
「このっ、ポンコツ妹!」
「このっ、ポンコツ兄!」
同時にテーブルを叩き、同時に席を立ち、同時に叫んだのはフィエナとギルバートだった。
ひやひやしながら傍に控えていたメイドたちがビクッと肩を揺らす。
ここはギルバートの私室、午後のうららかな陽射しの中、殺伐とした空気が部屋を満たしている。
先に口を開いたのはギルバートだった。
「いいかフィエナ! シャステには自分の身を守る力が必要だ! それにあの子が魔力を持たないことに劣等感を覚えているのは知っているだろうっ! その分、別の分野で力を発揮すればいいと教えてやらなければならん!」
ギルバートのもっともな言い分に、フィエナは扇の先を兄に向けて怒鳴る。
「護身術なんて身につけさせたところで相手が男や手練の暗殺者であれば意味などありませんわっ! 悪い虫、いえ、騎士が二人もついたことですし、その必要はないでしょうっ⁉ だいたい、会議に出席させるですって? あの子は王子ではなく王女ですのよっ! 狸ジジイどもにいじめられる可哀想なシャステをどうっして予想できませんのクソ愚兄!」
「それを乗り越えることがあの子に必要だと言っているんだっ!」
「そんなもんお兄様が一人で矢面に立たされていればいいじゃありませんのっ! 幼いあの子が心に傷でも負ったら可哀想ですわっ! だいたいあのジジイどものいやらしい目にあの子が映ると思うとそれだけで全員処刑にしたくなりますのにっ!」
フィエナは年よりも大人っぽく、妖艶で肉感的であり、そういう目で見る男は少なくないが。
ただし、残念な美女であることも有名なことなのであまり近づいてくる勇気ある者も居なかった。
「フィエナ、おまえの言う狸ジジイよりおまえのほうが、おまえが一番、あの子の教育によくない」
冷静に、いたって冷静にそう言ったギルバートに、フィエナは扇で口もとを隠して言う。
「んまぁ、自分はあの子の教育にいいようなことをおっしゃるのねぇ。シャステは庇護されこそすれ、お兄様と並び立つ必要なんてありませんわ。馬鹿みたいな魔力を有しているお兄様はいいでしょうけれど、今だって、お兄様の目を掻い潜ってあの子を痛めつける愚かな者たちがおりますのに」
「なにっ……本当かフィエナ!」
驚いたギルバートに、フィエナはフンと鼻を鳴らす。
「ほら見なさいな! お兄様はなんにも分かっていませんのよっ! あの子はわたくしが庇護してあげるくらいでちょうどいいんですの! 分かったらすっこんでいなさいまし!」
「……ぐ。それは知らなかった、が、だからと言っておまえにシャステを任せておくことはできない! いいかフィエナ! おまえの部屋自体も問題だ! あの子が見たら卒倒するに違いない!」
なぜ今、二人がギルバートの部屋に居るのかと言ったら、フィエナの部屋ではギルバートの精神がもたないからだ。
彼女の部屋は壁という壁に妹の赤ん坊の頃から今に至るまで、なお、継続して写真が貼りつけられている。
母性愛という言葉ではすまされない異常者の部屋なのだ。
「なんの問題があるって言いますのよ! 可愛い可愛い妹の成長記録じゃありませんのっ!」
「一枚や二枚写真たてに飾ってあるくらいならな!」
それはギルバートの部屋にもある。
フィエナ、シャステと共に撮った一枚だ。足元まで映っていないが、ギルバートの足はフィエナに思い切り踏みつけられていた思い出がある。
「あらまぁ浅い愛ですこと」
「浅、く、て、結、構、だ!」
フッと哀れむように嗤ったフィエナにギルバートは頭痛を感じて額に手をあてた。
「とにかくフィエナ! おまえの教育はシャステによくない!」
「お兄様だってよくありませんわ!」
再び喧嘩が始まろうかというとき、第三者の声が割りこんだ。
「……嫌い」
ぼそりと、小さな少女の声に二人がそちらを見れば、俯き気味のシャステと、そのうしろにはあきれたような顔のレーベが居る。
何をしているんだろうこのひとたち、という顔だ。
「お兄様もお姉様も喧嘩ばかり! もう大嫌い!」
シャステの怒鳴り声にまず真っ先にめまいを起こしてソファーに座りこんだのはフィエナだった。
「シャステ、おまえ、いつから……」
ギルバートとしては、彼女の存在を察知できなかったことのほうに驚きがある。
やはり、シャステには才能があるのでは? と少々考えてしまう。
「もうお兄様ともお姉様とも、公の場以外で口、きいてあげないっ!」
そう言うなり駆けだして、シャステは部屋を飛び出して行ってしまった。
そのあとをレーベが追いかけていく。
「そんな……おねえちゃん耐えられないわっ、シャステ!」
フィエナの言葉が虚しく響くが、メイドたちは皆内心で無理もないと思っていた。
なぜならこのような喧嘩は日常茶飯事で、今日が初めてでもなければ、一度や二度でもないからだ。
以来、シャステは本当に二人と口をきかなくなった。
すれ違っても礼をするだけで、他人のように接する。
それにギルバートは少々傷つき、フィエナは精神的にまいってしまうほどだった。
反省、というより、これ以上シャステを怒らせると城を出て行きかねないと思った二人はその後疎遠になっていたのだが……。
「フィエナ、ヴォルフレイア公爵と婚約したとはどういうことだっ!」
ばんっといつかのようにテーブルを叩いたギルバートはしかし、以前と違って本気で怒っていた。
一方、着席したままのフィエナは涼しい顔で言う。
「まぁ、何か問題でも? シャステが否と言ったからよ。代わりが必要でしょう? 狸どもが黙っていないわ」
「――父上もおまえも何を考えているんだ? こんな結婚、誰のためにもならないではないかっ!」
ギルバートの言葉に、フィエナは歪に嗤う。
「誰のためにも? 嫌ですわお兄様、ついに脳みそまでポンコツになりましたの? 貴族の結婚とは……本来、取引でしょう?」
「フィエナ、おまえ……」
低いギルバートの声にもフィエナは動じず、悪女のように笑うと席を立った。
「それではお兄様、ごきげんよう」




