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 シャステは快晴の城下町にやって来ると、周囲の花壇や出店、家々を見て久しぶりに、楽しそうに笑った。

 昼時に近いせいか、鼻腔をくすぐるよい匂いが周囲に漂っている。

「あまりはしゃぎすぎてはいけませんよ?」

 グラナートの声に頷きながらも、心はやはり浮き足立ってしまう。

 王城には高価なものがたくさんあるが、こうして市井に並ぶような品々には逆にお目にかかれない。

 金色の瞳を輝かせて周囲を見回すシャステに、声をかける少女が一人。

「……まぁ、あなたさまは」

「え」

 声をかけられたほうを向けば、そこにはアンネマリー・アメルン伯爵令嬢の姿があった、どうやら彼女も身分を隠しているようで、ドレス姿ではないし、目深に帽子をかぶっている。

 彼女もすぐにシャステの事情を察したのか、にこりと微笑むと友人のように手を振って近づく。

「こんなところで出会うなんて。少し、あちらの公園でお話をしませんこと?」

 アンネマリーの言葉に、シャステは戸惑ったが……しばらくして頷いた。

 こうして話しかけてくるからには、何かあるのだろう。

 彼女に手を引かれて連れて来られた公園は、みんな昼食にでも向かったのか人気が少なかった。

「ご無礼をお許しください、シャステ様」

「こんなところでそんなふうに接するほうが無礼よ、今のあたしは町娘なのだから、普通にしていて」

 シャステの言葉を聞いたアンネマリーは瞳を丸くして、けれどすぐに花が咲くような微笑みをうかべた。

「まぁ。それもそうでしたわね、レーベとの婚約破棄、彼の口から聞きましたわ」

「……そう」

 アンネマリーには話したのかと、シャステは内心少しばかり荒んでいた。

 やはり、彼にとってアンネマリーは特別なのだろう。

 できれば、グラナートの近くで話したいことではないのだが、アンネマリーが逃げられないように手を握っているのを見ると、彼女はどうしても話したいのだろう。

「なぜですの? 彼は本当にあなたのことを好いておりました。今だって、きっと心を引き裂かれる想いでしょう」

「それは……っ」

 シャステだって同じことだ。

 本当はレーベとずっと一緒に居たかった、あんなことにならなければ。

 アンネマリーはそんなシャステの心情を見透かしたかのように、穏やかな口調に少しの棘を混ぜて言う。

「わたくしは心配なのです、レーベが……自らの命を粗末にしてしまうのではないかって」

「え?」

 シャステは想定外の言葉に首を傾げた。

 どうしてそんなことに?

「予想もしていませんでしたか? あなたへのレーベの想いは、命を懸けられるほどのものだったのですよ? 数年前の……そのときだって」

 心臓の音がどくりと響いた。

 確かにそうだ、彼は命を懸けてシャステを守ろうとしてくれた。

 だが、だからと言って……。

 そこで、シャステは首を横に振る。

「だったら、これからはあなたが支えてあげればいいわ、あたしよりよほど適任なんだから」

 アンネマリーも魔力はあるだろう、つまりシャステのようにはならない。

 しかしその言葉にアンネマリーは愛らしい顔を怒りに歪めた。

「あなたはわたくしとレーベの関係を勘違いなさっていらっしゃるようですけれど、わたくしには心に決めたかたがおりますの。今日だって、本当はそのためにここに来たのですもの」

 意外な言葉に目を見開いているあいだに、アンネマリーは早口にまくしたてる。

「わたくし、今はあなた様になんの恨みもございませんが……レーベが命を落とすようなことがあったら、きっと、あなた様のこと……許しませんから!」

 そう言うと手をはなし、アンネマリーは背を向けて駆け足で去って行った。

「……ありえるかしら?」

 否定を求めてグラナートに問いかける。

 求められる答えは分かっていたのだろうが、グラナートは首を横に振る。

「あるかもしれませんね。レーベは、あなたのことを本当に大切に想っていましたから。逆にどうでしょう姫様、あなたが、レーベの立場であったら?」

 金色の瞳に涙をためて振り返ったシャステに、グラナートは苦笑をこぼして彼女の頭を撫でる。妹にするように。

「……だって、もしあたしが、あたしが……レーベを手にかけてしまったらどうするのよ? もう嫌なの、耐えられないわ」

「レーベはあのときよりずっと強くなりました。もう二度と、姫様を危険な目にあわせることもないでしょう。もちろん、きっと自分の身も守ることでしょう、あなたのために」

 グラナートがなだめるように言うのを聞いて、シャステは眼鏡をはずしてごしごしと手の甲で涙を拭う。

「……お父様に相談してみるわ。でも、レーベ……許してくれる、かしら」

 彼が本気で怒っていたのはよく分かっているから、どんな言葉をかけられてもいいと思っている、彼が、自分の身を大切にしてくれるのなら。

 それに、あまりにも身勝手であるのも承知している。

「彼はきっと許してくれますよ」

 グラナートの言葉を受けて、シャステは城への道を戻った。

 早くしなければと、心が急きたてる。

 もちろん、焦ったところで事態が急展開を見せるわけではないだろうが。

 父に会えるように伝えると、ほどなくして執務室に案内される。

「シャステ、随分と急だったが、いったいどうしたというんだ?」

「お父様、あたし、やっぱりグラナートとは結婚できないわ」

 シャステの言葉に、父は首を傾げ、続きを促す。

「……レーベとの縁談に……戻して欲しいの。我侭だって分かっているわ。無理なら、せめて……あたしを追放してほしいの」

 それを聞いた父はしばらく思案した様子だったが、首を横に振る。

「駄目だ、おまえの我侭で変えられることではない」

「っ」

 厳しい声音に、思わず肩が震える。

「シャステ、おまえはハーバールス伯爵の妻になるように。了承したのはおまえ自身だ、責任を持ちなさい」

「――お父様、せめて追放して」

 縋るように言うも、父は首を横に振る。

「シャステ、これはもう決まったことだ」

 ◇◇◇

 昼間の浮き足立った心はどこへやら、シャステはとぼとぼと執務室を出て、自室への道を歩いていた。

 ふと外を見れば、空は赤く染まりつつある。

「まぁ、シャステではありませんの」

 そんな彼女に廊下の先から声をかけたのは姉のフィエナだった。

 その傍にはレーベの姿もある。

「姉さま……」

 シャステが弱弱しくそう言うと、フィエナは首を傾げる。

「どうしたの? 元気がないわね。まさか、何かの病気ではないでしょうね? 熱は? 喉は痛くない?」

 そそくさと近づいてシャステの額に手をあてたり、喉に触れたりしているいつもどおりの姉に小さなため息を吐く。

「平気よ姉さま。怪我もしていないし、病気でもないわ」

 ちらりとレーベを見ると、彼の青い瞳もシャステを見つめていた。

 目があったことに驚いて、うしろめたさから思わずそらしてしまう。

「……まぁ、シャステ、もしかしてヴォルフレイア公爵と何かお話したいことでもあるの?」

「……それは……」

 目敏く感じ取ったのか、にこにこと微笑みながら言う姉に口ごもる。

 駄目だと父に言われた手前、もはや、何を話せばいいというのだろう。

「でもダメよ、シャステ。彼はもうわたくしの旦那様になるのですもの、独り占めしたいわ」

「――っ」

 めずらしく意地悪く笑った姉に、シャステは胸に手をあてて俯く。

「……分かっているわよ、姉さま」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

 それを聞くと、姉は扇で口もとを隠してグラナートに視線を移す。

「ハーバールス伯爵と結ばれて良かったわねシャステ、あなたが恋焦がれていた相手ですものね」

 シャステより、姉のほうがずっと美人だというのは自覚している。

 だからだろうか、胸が焼けるように痛い。

 本当は、レーベの傍に居たかったと。

「……姉さま、あたし、もう行くわ」

 淑女の礼をして立ち去るシャステを見送って、しばらく。

 フィエナは途端に真っ青な顔で口もとをおさえた。

「嘘とはいえ、あなたのことを旦那様だなんて呼ぶものではありませんわね……今になって吐き気が」

 しかしレーベはそ知らぬ顔で、遠くなったシャステの背を見つめていたのだが、その視界をサッと扇が遮る。

「あの子をいやらしい目で見ないでちょうだいっ!」

「あなたがそう過保護だから、ギルバート様と仲が悪くなるのですよ?」

 シャステは早くに母を亡くしたがゆえに、年の離れたフィエナと兄ギルバートはシャステの親代わりのように彼女に接していたが、二人の方向性は正反対で喧嘩が絶えず、結局シャステが二人と距離をとるようになり、必然的にギルバートとフィエナも疎遠になったというのは、有名な話だ。

「仲が悪くて結構よ! あのひとったら、シャステに護身術を身につけさせようなんてするんですものっ! いらないわよ! 危ないじゃありませんのっ! 何よりあの子の柔肌に傷がつくわ筋肉がついて抱き心地が変わってしまうわ……もちろん、それでもわたくしの愛は変わらないけれどっ」

「ギルバート様の考えは悪くないものだと思いますが? 私のような騎士をつけるのも嫌だとおっしゃるのなら余計に」

 厭味な表情で、冷静に返すレーベに、フィエナは親指の爪を噛む。

「護身術だけではありませんわよ、会議に出席させるべきだの、戦術を学ばせるべきだの、シャステは王子じゃありませんのよっ⁉ あの野蛮人!」

「その話も有名なので結構ですが、なぜ今日はあんな厭味な態度を取ったのです?」

 レーベの冷ややかな問いに、フィエナはまた扇で口もとを隠す。

「……だって、あの子ったらわたくしというものがありながら、あなたのことばっかり見ているんですもの! 妬けますわ、ちょっとくらい意地悪したくもなりますわっ!」

「……はあ」

 さすがにレーベは大きなため息をついた。

 彼としては複雑な心境だ、シャステとの縁談は破棄になったし、視線はそらされたし。

 それなのにこのポンコツ王女ときたら妹にやきもちを焼いている。

 なるほどシャステが距離を取りたくなるのも無理はない。

(それにしても、どうして王の執務室から出てきた……?)

 そのことについて疑問を覚えたレーベだが、考えてもしようがないとすぐに自らに与えられた任務、もといフィエナの護衛に戻る。

 この女性に護衛など必要あるのかは、正直分からないところだが……。

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