18
青い瞳に映るのは確かな嫉妬と憎しみ。
レーベに、王は言った、シャステが受けいれなければ、破談にはしないと。
ということは、シャステがグラナートを選んだのだということ。
あの日、シャステを庇ったあの日の選択を悔いることはないが……だが、彼女の選択を許せもしない。
「うふふふふふ、荒れていますわねえ」
そんな彼に近づく女性が一人。
新しくレーベの婚約者になったフィエナだった。
頬に手をあてて真っ黒くにこやかに微笑むそのひとに、レーベは冷たい視線を向けたが、事務的に姿勢を正して礼をする。
「シャステがあなたを選んでくれると信じていたのでしょう? ねえ、ねえっ! 今、どんなお気持ちかしら?」
そっとレーベ顎を扇の先で無理矢理あげさせて、彼女は嗤う。
「わたくしの可愛い妹の心を、わたくしの知らないうちに奪い去っておいて、おいそれと幸福を掴めるなどと思わないことね」
「あなたはいい加減、妹離れをなさったらいかがです?」
レーベは至って冷静にそう告げた。
フィエナは要するに、シャステの心を奪い去って、さらに手までだしたレーベに復讐したかったのだろう。
いい機会がめぐってきたのだ。
彼女がどれほどシャステを溺愛しているかは、諸侯の知るところであるし、その愛の重さと言ったら狂気じみたものさえ感じるほどだ。
「愉快ですわっ、実に愉快っ、伯爵にあの子を委ねるのももちろん許せないけれど、あの子の愛を勝ち得たあなたに委ねるよりかはいいですものね」
「シャステがグラナートを本気で愛さない保証もありませんが?」
レーベが嘲笑をうかべて言うと、フィエナは扇で口もとを隠して言う。
「それはそのとき、考えればよろしいわ。差し迫って、あなたがあの子の夫になれずに終わったことはわたくしにとって僥倖っ! あなたを、魔力を持たないあの子の騎士になんてお父様がおっしゃった日には、きっと純粋なあの子を誑かすだろうと思っていたけれど、よもや本当にあの子の愛を奪うんですもの、自業自得というものだわ」
レーベは冷えた瞳をフィエナに向けるが、フィエナもまた嘲りを含んだ表情を隠そうともせずレーベに向ける。
これで結婚しろと言うのだから、王の判断とはいえ、本当なら拒否したいところだ。
それこそ、シャステが奪われた時点で、レーベからすればフィエナでなければ誰でもいい。
「シャステに嫌われるとは考えないのですか?」
レーベの言葉に、フィエナはフンと小さく鼻を鳴らした。
「わたくしはしつっこいあなたからあの子を助けてあげただけですわよっ! あの子もしばらくは複雑な感情があるでしょうけれど、聡い子だから、必ず自分の内で解決するでしょう」
レーベは内心で舌打ちをした。
どうせシャステの心が揺れていることを知っていて、王に提案したのはフィエナだろう。
こんな時期に提案されれば、シャステは断らない。
けれどそれでも、レーベを選んでくれるのではないかと、淡く期待していたのは事実であるし……実際のところ、はらわたが煮えくり返る思いだ。
今日までグラナートにはっきりと嫌悪を覚えたことはなかったのに、これからはもう同僚としてもうまくやれないのではないだろうかとさえ思う。
「ご愁傷様、ヴォルフレイア公爵。これからはわたくしがあなたを見張っていてあげるわ。二度とあの子にその薄汚い手で触れられないようにね!」
◇◇◇
あの日から、シャステの騎士はグラナート一人になった。
レーベとはもう半月くらい会っていない。
姉の傍に居るのは時折見かけるが、シャステも近づかないし、彼もシャステを見ることはない。
「……姫様」
ふと、何度か呼ばれた気がして顔をあげると、心配そうなグラナートの赤い瞳と目があう。
シャステは読みかけの本を閉じて、ソファーの背もたれに身体を預けた。
また、やってしまった……のだろう。
ここ最近、上の空になってしまうことが多いのだ。
理由は無論、レーベのことだが、自分で決めたことだ。
「ごめんなさいグラナート、ぼうっとしていたわ」
「姫様、やはり今からでも陛下にご相談なさったほうがよいのではありませんか? 私は何も問題ありませんが、姫様の身が心配です」
こんな調子では、新しい婚約者であるグラナートにも失礼というものだろう。
シャステは首を横に振る。
「いいえ……いいの」
小さくそう言ってもう一度かぶりを振ると、シャステはソファーから立ちあがった。
「グラナート、久しぶりにお忍びで城下町に行きたいって言ったら……」
ちらりと機嫌を伺うようにグラナートを見ると、彼は困ったように笑った。
「しようがありませんね。少しのあいだだけですよ?」
その返事にシャステは金色の瞳を輝かせた。
とにかく、姉やレーベの居るこの場所から少しでも離れたかったのだ。
少しのあいだだけでもいいから。
……シャステとフィエナはそう仲の悪い姉妹ではないが、しいて言えば姉の愛が多少重いくらいだった。
だが今や姉のその重い愛はレーベに向けられているのだろう。
そう思うと、シャステは心の内で小さく自嘲した。
自分で決めたことだというのに、未練たらしいことだと。
(あとでギルバートお兄様に会いに行くのもいいわね)
シャステは身支度を整えながらそんなことを考えていた。
兄とももうしばらく会っていない。
シャステよりよほど忙しい身分なのだからしようがないが。
「……よし」
白いワンピースに、リボンのついたつばの広い白の帽子をかぶり、金色の目立つ瞳の色を隠すように伊達眼鏡をかける。
そうして彼女は、とても久しぶりに身分を隠して王城を出たのだった。
その後姿を、城の二階から窓枠に頬杖をついて、憂鬱そうな顔でじっと見つめるレーベに気づかずに。




