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「シャ、ス、テ! お話しましょうっ」
やって来たのは姉のフィエナで、シャステはこの気恥ずかしさから逃れられるという安堵と共に、どっと疲れを感じた。
姉があまりにシャステを溺愛しているものだから、社交界でも有名な話になってしまっている、恥ずかしいかぎりだ。
さらに言えば、シャステへの溺愛ゆえに兄のギルバートとフィエナの仲が悪いことまで有名になってしまっている、だからシャステは二人と距離を置いたのに、兄に会いに行ったがためにフィエナの暴走が再発したのだろう。
シャステが「もうお姉様もお兄様も大嫌い!」と宣言して距離を置いて以来、反省したのか傷ついたのか、シャステとは距離を置いていたというのに。
「帰ってお姉様」
バッサリそう言い切ったシャステに、フィエナは嘘か本気か涙をうかべて言う。
「ひ、ひどいわっ! シャステは本当におねえちゃんのこと嫌いになってしまったの……? ヴォルフレイア公爵とはそんなに仲睦まじそうにすごしているのに、ずるいわっ」
「な……っ、仲睦まじくなんかないわよ! なにを言うのお姉様!」
「じゃあ、お姉ちゃんともお茶してくれるわよね?」
いったい何が「じゃあ」なのだろう。
シャステはめまいを覚えながらも、近づいてくる姉にもう一度言う。
「帰って、お姉様ともお兄様とももう一緒にお茶なんてしないわ。個人的なことでは」
「まぁ! ギルバートお兄様には会いに行っていたじゃない。シャステ、本当はおねえちゃんだけ仲間はずれにしていたのじゃないの?」
「は⁉ 違うわよ! ギルバートお兄様には武術を教えてもらおうと思って……」
それを聞くなり、フィエナはカッと金色の瞳を見開いた。
「ダメよ! そんなことしたらシャステの細いのに柔らかくて触り心地が最高のお肌や筋肉が荒れてしまうじゃない!」
「……帰って、お姉様」
白い目で姉を見ても、まったく通用しない。
気にしていないの以前に気づいていない。
兄のギルバートはいろいろと気づいてくれるのだが、姉に関してはシャステのことになると壊れたオルゴールのようになってしまう。
美しいひとなのに、非常に残念な女性に変貌した挙句、話が通じず一方通行なのだ。
「ね、お茶にしましょシャステ」
「聞いてる?」
シャステが冷たい声で言っても、姉はまったく聞いていない。
それどころか、さっさと自分でお茶の用意を始めてしまう。
「お姉様、帰ってったら……!」
シャステがさらに言うと、彼女は途端に傷ついたような顔をした。
「シャステ……おねえちゃんのこと、嫌い?」
「うぐ……」
それに罪悪感を感じたシャステが言葉に詰まると、姉は悲しげな顔で涙を拭う仕草をする。
「そうよね、シャステはポンコツ……ギルバートお兄様のほうが好きなのよね、おねえちゃん……頼りないもの」
「わ、分かったわよ、ちょっとだけだからね!」
シャステのすぐ傍で、レーベはあきれたような顔をした。
こんな分かりやすい演技に、しかもギルバートのことに関してひどい言葉まで言いかけていたこれを信じてしまうのだから、シャステの傍にはやはり自分が居なければと。
とはいえ、シャステとフィエナのお茶会を止める必要もないので、今回はとレーベは黙認した。
「まぁまぁまぁ! おねえちゃん、嬉しいわシャステ!」
「もう、お姉様は座っていて。あとはあたしがやるから。あ、レーベはもう下がってくれていいから」
レーベにそれを告げるときだけ、妙に恥ずかしさを感じてシャステは早足で彼から離れると、姉が使おうとしていた茶器に手を伸ばす。
「いつもありがとう、ヴォルフレイア公爵」
レーベが部屋を出る間際、フィエナがニコリと微笑んでそう言ったが、それがお世辞というよりは、敵意を含むものであることを彼は理解していた。
「いいえ、当然のことです」
そう言って部屋を出たレーベは、小さくため息を吐く。
フィエナがレーベを敵視しているのは昔からだ、シャステの前ではしおらしく振舞っているが、レーベだけであれば化けの皮が剥がれる。
などということは露知らず、シャステは姉にお茶を用意すると対面のソファに座った。
「それで? どうしたのよお姉様」
「シャステとお茶をするのに理由が必要なの?」
心底不思議そうな姉の言葉に頭痛を感じながら、シャステが言う。
「わざわざこんなところまで来て、自分でお茶を淹れようとするんだもの。何かあったのかと思ったわ」
「何もないわ? シャステと一緒にいたいだけなの。夕食も一緒に食べない? それから、久しぶりにおねえちゃんと一緒にお風呂に入りましょうか」
「お姉様、あたしもう子供じゃないのよ?」
じとっとしたシャステの視線を受けても、彼女は蕩けるような微笑みをうかべている。
「まぁ。妬けちゃうわ、ヴォルフレイア公爵やハーバールス伯爵とはいつも一緒で、仲良しで、このあいだなんて伯爵の作ったクッキーをおいしそうに頬張っていたのに」
「ちょ……ちょっと! どこから見ていたのよ⁉」
姉がこうなのは昔からだが、いくらなんでも最近はと思っていたのに。
「あなたのことならおねえちゃん、なんだって知っているわよ?」
うふふっと笑った姉に、シャステはげんなりとソファーに背を預けた。
姉がこうだから、兄が怒るのだ。
はっきり言ってしまえば、姉が異常で兄が正常であるためだ。
「もう……お姉様? あたしもう子供じゃないんだから、いい加減ほうっておいてほしいわ。もうお姉様に守られなくちゃいけないような、そんな年じゃないのよ。感謝はしているけれど、お姉様にはお姉様の人生があるんだから」
魔力を持たないシャステを陰で馬鹿にしたり、意地悪をしたりする命知らずな貴族も居たが、いつの間にかそのすべてがシャステに近づくだけで青ざめるようになっていたのは、姉が裏でカタをつけていたからだと今は知っている。
「まぁ……嬉しいわシャステ! おねえちゃんのことを心配してくれるのね⁉」
身を乗りだした姉に、これはいけないとシャステは無表情を作って言う。
「間違えたわ。迷惑なの、とっても」
「ええ……? じゃあ、少しだけ、すこーしだけ、我慢するわ」
「たくさん我慢してくれていいのよ? というより何も我慢せずにあたしのことほうっておいてくれるだけでいいんだけど」
姉との会話というのは始終こんな調子だ、昔から。
そんな会話をしながら夜を迎え、フィエナは追い出されるようにシャステの部屋をあとにした。
扉の前には、いまだにレーベの姿があり、途端にフィエナは金色の瞳に侮蔑の色を宿し、扇で口もとを隠して言う。
「あらまぁ、ご苦労様ですこと」
レーベはただ静かに礼をしたが、フィエナはそれで止まらなかった。
「職務に忠実と言えば聞こえはいいけれど……あの子の騎士なんて建前ですものね、あなたの場合」
「フィエナ様、早くお戻りになられたほうが良いのでは? このような場所で、私のような者を相手にするよりも」
レーベの言葉に、フィエナはふんと小さく鼻を鳴らした。
「下心を持ってあの子に近づくのなら、容赦しませんことよ。あなたは……今のあの子にとって害でしかないのだから。まぁ、わたくしにとってはあの事件より以前から害でしかなかったけれど」
それには何も答えず、レーベはじっとフィエナの言葉を聞いていた。
「いいこと? 嫌がるあの子に無理強いなんてしようものなら、報復してさしあげるから」
それだけ言って、フィエナはその場を去った。
「無理強い……できるものなら」
レーベは小さく呟いて、自嘲気味に嗤った。




