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 ……ようやくシャステが眠りについた頃、レーベは扉の前で小さなため息を吐いた。

 もうすぐグラナートと交代の時間だが、シャステを一人にしておくのも心配だ。

 何も言えない、言えるはずもない。

 自分が傍に居るのだって、きっと本当は良いことではないと分かっている。

 それでもレーベはどうしても、シャステを守るという役目を他人に譲りたくなかった、彼女の傍に居る権利を、奪われたくなかった。

 それがどれほど危険であるかも分かっているのに。

 『あの時』王が、なんでもレーベの願いを叶えようと言ったときに願ったことは、シャステの護衛から外さないでほしいということだった。

 婚約の話は想定外だったが、それが一番シャステのためになるだろうという王の判断――彼女の父としての判断だったのだろう。

 それを内心とても喜び、そして同時に、ひどい罪悪感にも襲われた。

 今のシャステはレーベを嫌っている、それはしようがない。

 レーベからすれば、あのときのことなど気に病むことはないと彼女に言ってやりたいのだが、それも叶わない。

 彼女の過剰な嫌悪感の理由も知っている、それはレーベが彼女に優しくすればするほど酷くなるものであるのも知っている。

 だがそれでも、レーベはシャステを愛していた。それなのに、シャステはレーベに好きなひとが居るのだろうと言う。いったい誰と勘違いしているのか。

(アンネマリーあたりだろうけど……)

 レーベは暗くなった廊下で揺れる、魔術で生成された赤い蝋燭の炎をぼんやりと見つめる。

 アンネマリーが聞いたらきっと大笑いするに違いない、あの純粋なお姫様のことだから、きっとレーベとのことを勘違いするだろうと以前口にしていた。そのとおりだったとしたら最悪だ。

 レーベはまた小さくため息を吐いて、そっと自分の唇に触れる。今朝触れたシャステのぬくもりが、いまだに残っているように感じられた。いったいどれほどの間、彼女にこうして触れられなかっただろう。

 本当は優しくしてやりたいのに、本当はもっと触れたくて、一緒に居たいのに。

(グラナートのほうが良いんだろうな……あいつは)

 それもよく分かっているのに、それでも諦めがつかない。シャステは嫌われることで婚約破棄にならないかと思っているのだろう、きっとレーベがこんなふうに考えているとは思ってもいない。

 それが憎らしくもあり、けれどあれは自分の油断と力不足が招いた事態でもあったので、シャステをあまり責めようとも思わない。

(あのときのことなんて……ぼくは、気にしてないのに)

 けれどもしも立場が逆だったらどうだろう?

 レーベはシャステに何も変わらないで接することができただろうか?

 きっとできない。だから、やはりシャステを責められない。

 そもそもあの過剰な嫌悪の理由は、シャステがレーベを大切に想ってくれていたからだ。そのことにまた一つ、ため息を吐いたときのこと。

「今日はため息が多いですね、レーベ」

 やって来たグラナートを見て交代の時間かと察する。

 本当は、魔術に縁のないグラナートだけに護衛を任せるのは不安だが、かといってレーベも休まずに居られるわけではない。

「……ぼくだって、悩みがあるんだよ」

「ええ、そうでしょう。姫様とは仲直りできましたか?」

 グラナートはあのときのことも知っている。だからレーベはきつい口調で言った。

「あいつに余計なことを言わないでくれよ? もしも思いだしたら……どうなるか分からないんだから」

「もちろんです。あなたたちのことですから、私が口を挟むようなことではありません」

「おまえは根が良いやつだから不安になるよ」

 言いながら、レーベは扉から離れる。

 グラナートは嘘も腹芸も得意だろうが、シャステやレーベのことを妹と弟のように思っているのか、二人に対してだけはどこか本音が出やすい。そこが心配なのだ。

「姫様はもう、思いださないのでしょうか……」

 寂しそうなグラナートの呟きに、レーベは青い瞳をそちらに向ける。

「……思いださなくていいことだ。シャステにとってつらいだけのことなら」

 立場が逆なら、レーベだってきっと忘れてしまいたいほどのことだろうから。

 一生、もう二度と、微笑んでくれないとしても……それで彼女が苦しまずにすむのならそれでも良かった。

(いや、結局ぼくと結婚することは……シャステにとっては苦しむことか)

 自嘲気味に心の内で呟いて、レーベは休もうと城内にある部屋に向かう。

 その背に、グラナートが優しい声で言う。

「よく休んでくださいね、いざというときに動けるように」

「分かってるよ」

 グラナートは良いひとなのだろう。

 それでもシャステの無邪気な笑みを向けられる彼に、レーベは複雑な感情があった。

 だからか、今日も少々返事がそっけなくなる。

 甘えているのは分かっているのだが、どうしても抑えきれない嫉妬があった。

 二人がそうして交代する頃。

 シャステは夢の中にあった。

 そこは真っ暗で何もない場所だったが、また頬を伝う涙の感触がリアルに伝わってくる。

『どうして……あたし……?』

 夢の中の自分が小さく呟く。

 その手を濡らし、滑り落ちていくのは生温かい紅の液体。

 そして、握っているのは銀色のナイフ。

 恐怖から声も出ない。

 嫌な汗が背筋を伝って落ちて、がちがちと歯が音をたて、震える身体から力が抜けていく。

『シャステ、無事か?』

 誰かの声がする、機械の音声のようになってしまって、それが誰のものかは分からない。

『ぼくは大丈夫だ、だから――』

 ――これは、誰の血なの……?

 ――あたし、誰かを、刺した……?

 ――……なぜ?

 誰かがきつく自分を抱きしめている。

 けれど、そのひとの白い制服には赤い色が広がっていく。

 ――あたし、誰を、誰を、誰を、誰を、誰を……⁉

『大丈夫だから……シャステ』

 刹那、弾けるように彼女は悪夢の淵から目をさました。

 飛び起きれば、じっとりと嫌な汗で夜着が濡れている。

「……あたし」

 夢だろうか? それとも、現実にあったことだろうか?

 現実に起きたのだと思えるほど、あまりにも実感の伴う夢なのだ。

 窓の外を見れば、朝方なのだろう、昇り始めた太陽に薄っすらと霧がかかっている。

「……そんなはずないわ。だって、誰かを刺したりしていたら……あたし、とっくに牢の中のはずだもの」

 かぶりを振って、けれどもう眠る気にもなれずシャステはベッドから降りた。

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