01
初夏の夕暮れを迎えた緑豊かなエルテリア王国の謁見室で、少女は大声を張りあげた。
「あ、あ、あ……あたしがあいつと結婚⁉」
雪のような色白の肌に腰のあたりまである艶やかな長い黒髪。金色の瞳を持つ、髪と同じ黒いドレスの少女、シャステ・フィリ・エルテリア第二王女は大袈裟にあとずさり、玉座に居る父を見あげる。
それに彼女の父である国王は小さなため息を吐いて頷いた。
「そうだシャステ、おまえももう年頃だからな。ヴォルフレイア公爵に嫁いでもらう」
シャステにとって問題なのは嫁ぐことではないのだ、そうではなく、相手があの……。
「お父様っ! ヴォルフレイアって、あのレーベのことでしょう⁉ 仲が悪いの、ご存知でしょうっ⁉」
そう、相手があのレーベであることが大問題なのだ。
よりにもよって、彼だとは。
「おまえの護衛騎士だろう」
「そうよっ! 何度変えてってお願いしてもお父様が変えてくれなかったから今もしようがなく、しようがなく! 護衛にしているの! あいつだって、あたしなんかの護衛本当はほったらかしていたいに決まっているわ!」
シャステの大きな声に思い切り眉を寄せて、王は首を横に振る。
「いいかシャステ、おまえは王族だ。その責任は分かっているな?」
彼女は白い頬を赤く染め、華奢な拳を握って叫ぶ。
「分かっているわよ! だけどわざわざレーベにしなくたっていいじゃない! あんなやつ以外だったら親子ほど年の離れた男に嫁いだっていいわ!」
「シャステ、これはもう決まったことだ。おまえがなんと言おうと覆ることはない。それに、魔力を持たないおまえには強い夫が必要だろう」
父の言葉に彼女は拳を握り締めて歯を食いしばった。
シャステは王族としては稀なことで、魔力がまったく無い。
平民でさえなかなかそんな者は居ないというのに、だ。
そのため、自分の身を守ることさえままならないので、長生きしたければ強い男に嫁いで守ってもらうしかないのだ。
なので、我侭なのはもちろん分かっているし、父が自分のことを思ってくれているのも分かる。
だが、それでもレーベだけは嫌なのだ。
しかし、父がこうも言い切るからにはもう上層部で決定したことなのだろう。
「お父様の意地悪っ! 最低だわ! 何もあんなやつにしなくたっていいのに! もう知らない!」
シャステは踵を返すと、早足に謁見室を飛び出した。
息を切らしながら大きな音をたてて扉を閉め、そのまま駆け出そうとするのを呼び止める声がひとつ。
「あんなやつ、あんなやつ、って……いくらなんでも失礼なんじゃないの?」
そこには金色のきらびやかな短い髪に青い瞳、白い騎士の制服を着た天使のような、少年っぽさの残る青年。
「……レーベ、盗み聞きなんて最っ低。ていうか、あなた全部知ってたんじゃないでしょうね!」
そう、彼こそたった今、シャステの婚約者として告げられたヴォルフレイア公爵、レーベ・フォン・ユティシアであり、シャステの護衛を務める青年である。
公爵という立場ながら、その剣と魔術の腕を買われてシャステの護衛にと王が選んだのだ。
レーベは厭味な笑みをうかべて小首を傾げてみせる。
「さあ? どうかな、知ってたかもしれないし、知らなかったかもしれないけど……なんにせよ、おまえがどう思ってるのかはよく分かったよ」
なるほど分かっているなら話は早い。
シャステは金色の瞳を細めると腕を組み、薄桃色の唇を開く。
「破、棄、し、て」
容赦なく、きっぱりとそう言い切ったシャステに、レーベはあきれたようにため息を吐く。
「王の命令だよ? できるわけないだろ、こっちだっておまえなんか貰わされて迷惑なんだからさ、少しはぼくに気をつかえないの?」
「あなたのほうがあたしを気づかいなさいよ! あなたなんかの妻にならなきゃいけないあたしのほうがよほど不幸だわ!」
これだからレーベだけは嫌だったのだ。幼い頃から一緒に居るのだが、どうにも犬猿の仲である。
いつからだったか、レーベと居るとなぜか胸がもやもやして、嫌な感情が渦巻くのだ。
溶けない氷のように、ずっと変わらない苛立ちのような、怒りのような、悲しみのような不快感。それに加えて彼もこの調子なので、喧嘩をするなというほうが無理というもので。
父もそのことは知っているはずなので、さすがにレーベだけは選ばないだろうと思っていたのに現実はこうだ。
「あなた以外だったら、おじいさんに嫁いだって良いっていうのに!」
シャステの言葉に、レーベは眉を寄せて嫌々そうに言う。
「いくらなんでもそれは聞き捨てならないんだけど。ひとのことを汚物か何かみたいに言って、おまえの本心はそうじゃないだろ?」
そこで彼は青い瞳を細めると、嘲笑をうかべて腰に片手をあて、もう片方の手でシャステを指さす。
「おまえはハーバールス伯爵家の長男と結婚したかったーが本心なんじゃないの?」
「なっ……なななななっ」
その言葉に、シャステは白い肌を耳まで赤く染めて、レーベを睨みつける。
一方、レーベは面白くないという顔で、姿勢を戻して言う。
「ほらやっぱり、グラナートのことが好きなんだろ?」
「ま、さかっ、まさかっ! グラナートはあなたと同じ護衛じゃない! す、すすす好きだなんて思ったことないわっ!」
レーベはそこで、シャステから視線をそむけた。夕日にきらめく海のように青いその瞳は、どこか遠くを見ているようにも思える。
「……ほらやっぱり。あーあー、嫌だ嫌だ。ぼくはせいぜい地位に隔てられた二人の邪魔者ってところだろう? 反吐が出るね」
「……あなたこそ、あたしじゃないひとが良かったくせに」
ようやく落ち着きを取り戻して、シャステが不満そうに言うと、レーベの青い瞳がもう一度彼女を見やる。
「さあ? どうだろうね。おまえに教えてやる義理なんかないよ。ま、とにかく……これからは婚約者としてどうぞヨロシク」
「……ぐ」
シャステはまた拳を握り、レーベを睨みつけたのだが彼は一足先に歩きだす。
「ほら、さっさとしてよ。置いて行くよ?」
一度だけ振り返った彼の言葉に、シャステは怒鳴って返す。
「置いて行けばいいじゃない!」
「……仕事なの、こっちは。おまえみたいに遊んでばっかりのお姫様とは違うわけ。手間をかけさせるなって言ってるのが分かんないの?」
背を向けたまま冷たく返ってきた言葉に、シャステはまた眉を顰めて、けれど歩きだす。
レーベはシャステの護衛であり、身の回りの手助けをしてくれる存在だ。
本来メイドに任せるような仕事も、彼が担うことがある。
シャステはちらりとレーベを盗み見て、不満そうに言う。
「誰が遊んでばっかりよ、あなたの目は節穴なの? 言っておくけど、あなたに守られているこっちだって仕事、なんだからね」
並んだ二人分の影が廊下に落ちる。
レーベのすぐ隣まで来ても、彼はまったくシャステに視線を向けなかった。
青い瞳はどこか遠くを見ているように感じる。
その先にあるのは、いるのは……いったい誰なのだろうか。
(ほら見なさい、レーベだってあたしにそんな感情ないのよ……それなのにお父様ったら……)
遠くに見える城下町を見やって、シャステは俯いた。
もしも自分が姫という立場でなかったら、もっと自由に愛するひとを見つけることができたかもしれないのに……と。
けれどそこで疑問が頭をもたげる。
(愛するひと……愛するひと……?)
たとえばさきほどレーベが言ったように、グラナートとか……だろうか。
けれどなぜかしっくりこない。
疑問を感じながらもシャステはレーベと並んで廊下を歩いて、部屋に戻った。