一章 後編
放課後になった。平均的な体格で少し髪が長めの男子生徒と体格がよく短髪の男子生徒が教室で話をしていた。
早乙女火鼠と片桐玲だ。その会話は『After World』という最近二人がはまっているネットゲームについてだった。大変盛り上がっているようで、ときどきどちらかの熱く語りすぎたことによる大声が誰もいない廊下に響きわたっていた。そんな火鼠と玲が、たまに通る人の奇怪なものを見るような目など気付くはずもなかった。ましてや、通る人にも気がつかない人たちが、じっとただ待っているだけの人に気付く訳が無かった。廊下からずっと二人の話をずっと聞いている少女、校門の前に一人で立っているいる少女のことなど。
火鼠が家に帰ろうと言い出したのは下校時間に指定されている時間の三十分前だった。そんな時間になっても、帰らずに待っていた二人の少女の思いは本物なのだろう。その後の二人の少女の行動は、幸か不幸か二種類に分かれてしまったが。
廊下で待っていたほうは、勇気がだせずに思わず隠れてしまい、もう一方は待ったことが報われて無事に目的を達成した。
火鼠が玲歩いていると、校門でずっと待っていた少女、白露優那が歩いてきた。優那は、客観的に見て感情の起伏が激しい。だが、昼休みの変化はあまりに激し過ぎた。あの時の顔が、そんな恐かったのかなと火鼠は密かに反省していたのだった。
「ごめ――」
「先輩。先程はすいませんでしたっ」
悪いことしたかもしれないという自覚はあったので先に謝ろうとしたら、優那が勢いよく頭を下げてきた。先を越された。
「私、それは言ってはいけないってわかっていたはずなのに...」
猛烈な勢いで謝り始めた優那を見て思わず笑ってしまった。しかし、優那には自分の声で聞こえていないようだった。このままにしておくと、三十分は平気で頭を下げていそうなので止めることにした。
「気にしてないから」
「ほんとですか?」
こっちを見上げてきた。すこし、潤んだ瞳の上目遣いの威力はかなり高かった。
「――う、うん」
「今の間は何ですか?」
思わず可愛いと思った、などとはさすがに面と目かって言えなかった。小さく頭を下げてわずかに間を稼いだ。
「ほら、ほんとはこっちから謝る予定だったのに優那の勢いに圧倒されちゃって」
「そういうことにしておいてあげます」
彼女の感性はかなり鋭い。それとも、ただあざといだけなのか。
対人の思考ゲームは負けたことがほとんどないという噂を度々に耳にする。相手が強ければ強いほどに。「可愛い」と思っていたことまで読まれているかはさすがに分からないが、こちらが先に謝ろうとしたことは確実に気づいているだろう。そのうえで、先に謝ってきたのだ。昼休みの時に、一瞬で落ち込んだのは感性が鋭すぎるせいかもしれない。ここで、なぜ間を取ったのかを聞かないあたりが彼女なりの気使いなのだろう。
「また、回った頃に会いましょう。せーんぱい」
やっぱりあざとい。
歩いていく優那を、見送っていると隣からカメラのシャッター音が聞こえた。
「お前、今まで俺の存在忘れてただろ」
「い、いたね。そういえば...」
優那のペースにのまれて、すっかり忘れていた。
「玲も玲だぞ。いままで気配消してただろ」
「なんのことかなぁ」
はぐらかされた。これ以上言及しても、答えが得られないことが分かっていたので火鼠は力なく息を吐いた。
「いちゃいちゃしやがって」
いままでの会話がなかったかのような振る舞いだ。
「だからって写真撮ることないだろう」
僕は一度切り
「盗撮ニハ一日以上三十日未満ノ拘留マタハ千円以上一万円以内ノ罰金、マタハソノ両方ガ科セラレマス」
『NO MORE映画泥棒』
「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」
右手の人差し指を立てて言った。
「バレてっから言ってんだよ」
「ところで、お前あいつに気があるのか?」
いままでのふざけた態度が嘘のような変わり身の早さだ。
「なんでそうなるんだよ。話逸らすなよ」
あきれた声でそう言った。
「そうだな。それって、許可がなかった場合だろ。俺はあいつにたのまれ...あ」
「あってなんだよ」
「そんなことはどうでもいい。で、本当のところはどうなんだ?」
玲は笑っていた。明らかに、何かを企んでいる顔で。きっと写真を頼まれたという情報もわざと言ったのだろう。
「さっきからふざけすぎだ」
火鼠の言葉に若干怒りがこもっていた。
「ごめんって。でも火鼠、いい加減どっちか決めろよ」
玲が諭すように言ったので、火鼠は何と言えばいいか分からなかった。
「とりあえず、帰るか」
玲がそう言って歩き出したので火鼠もつられて歩き出した。
「今日もいつもどうり、な」
「おう」
「寝るなよ」
「おまえもな」
そんなたわいもない会話を最後に玲と別れた。
早乙女火鼠は『珀雷のアリス』として『After World』にログインした。『After World』は、竜によって滅ぼされた後の地球が舞台のFPSだ。西暦2010年前後の世界であることがステージから見て取れる。
アリスは、酒場の様なところの五人用の円卓を一人で占領していた。いつもの四人用ではなく。そして、いつもは集合時間である深夜零時の五分前にログインしている。しかし、今日はその約一時間前からログインしていた。『真紅のメアリー』に火鼠がリーダーを務めるスクワッド『Fairy Tails』の説明をするためだ。こういう時に一人きりというのは、大抵想像が悪い方向に向いてしまうものだろう。この時の、火鼠を例外ではなかった。メアリーに初めて会った時の言葉遣いを思い出して後悔していた。誰かに手伝って貰えばよかったと。
火鼠はネガティブな気持ちでPCの前でうつ伏せになって待っていると、後ろから声をかけられた。あれ、時間まで後三十分近くあるはずだけど。
「今日は早いんだ」
抑揚にかける声が聞こえてきた。『仙烙のロミオ』だ。ダンジョン内でも頼もしい彼が居る、というだけで気持ちが楽になった。
「ロミオもいつもはこんなに早くログインしてないよね」
「リーダーがログインしていたから」
普段よりも口ごもった声で言った。ログインしてからまだ五分なんだけど。しかし、そのことについては触れなかった。触れてはならないと直感が告げていたからだ。
「これから、メアリーに『Fairy Tails』内のルールとかを説明をするんだけど手伝ってくれない?」
「うん、いいよ」
「サンキュ」
心からの感謝を込めてそう言った。それから間もなくメアリーの姿が見えた。何事も無く説明を終えた。しかし、本当の試練は説明の後に待っていた。沈黙という名の。
丁度日付が変わった頃、メンバー全員が揃った。
「今日も全員か。徹夜明けなのに相変わらずだな。健康に悪いぞ」
「それ言えるやつここにはいないから」
そう言ったのは、玲のアバターの『双赫のアラジン』だ。
「ですよねぇ」
アラジンの言葉に同意を示したのは優那『霰翠のジュリエット』だ。ロミオも小さく頭を動かし同意を示した。だが、この時はもう一人のメンバーの存在を忘れいた。そう、メアリーが十分以上も口を開いていなかったからだ。
気まずい沈黙の後にはさらに冷戦という例えがよくあてはまる無言の睨み合いのようなものが待っていた。