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八月七日 (2)

 世の中には様々な繋がりがあって、それぞれ色も形も違う。特徴が全て違うから、また新しいものを見たくなり人は出会いを求めるのだ。見たことのないものを手に入れたいという、一種の欲のようなものではあるが、それがあるからこそ与えられた生に彩りが生まれる。だからそれは醜いものなどではなく、むしろ美しいものである。

 かつて『あのひと』はそういう趣旨のことを三善に話してくれたものだが、今このとき、三善は「この人物との繋がりは心底必要ない」と考えていた。『あのひと』が教えてくれたことに嘘偽りはないけれど、それが自分に該当するかどうかはまた別の話なのである。

「俺、お前のことなーんにも知らねえや」

「……そりゃあ、そうですね。初対面ですから当然です」

 ジョンに「とりあえず、腹減らねぇ?」と提案され、そのまま食堂まで連行された三善である。ちなみに彼は寝巻のまま連れ出されたため、目立つことこの上ない。何故自分はこのような晒し者のような扱いを受けているのだろうか。非常に微妙な心境である。せめて靴くらいは履きたかった。

 常日頃目立つ立ち位置にいる三善は、これ以上――自分のせいではあるけれど――変な目で見られるのは勘弁してほしいと心から思っていた。どうせ司教試験に合格した話も既に周囲には筒抜けで、のちのちジェームズ信者から面倒な嫌がらせを受けることになるのだろう。その労力をなぜ修行に活かさないのか、本当に意味が分からない。三善は思わず長々と溜息をついてしまった。

「お前も俺のことは知らないんだろ? 最近まで別の支部にいたからさ。ま、おあいこということで」

 朝から鍋物を食らっているジョンに度肝を抜かれつつ、質素な粥に手をつけている三善。その横には数種類のサプリメントが並んでいた。ちなみにこれは以前からの習慣で、彼の朝食はいつもこんな感じなのである。

 だが、あいにく目の前の巨漢はそれを潔しとしなかった。

「ちょっと待て。お前、それしか食わねぇの?」

「え? ええ、まあ、はい」

「栄養偏りすぎ、そもそもタンパク質ゼロってなんだよ。お前頭はいいんだから、その頭脳をちょっとくらい自分の身体のために使え。ちょっと待っていろ、せめて魚を追加しろ、魚」

 それを引き止める三善の言葉はジョンの耳に入らない。

 ずかずかと厨房の奥に行ったかと思えば、しばらくしてジョンは焼き魚を手に入れて帰ってきた。そして三善の膳の前にそれを置く。突如現れた巨大な焼き魚は、寝起きで食べるには明らかに胃に負担がかかりそうだった。

「食える時に食っておけ。だから背が伸びねぇんだ、チビわんこ」

「チビ言うな!」

「敬語! 年上を敬え!」

 ――やはりこの繋がりは絶対にいらない!

 三善は湧きあがる否定的な気持ちを無理やり胸の中に押し込むと、これだけは悪かったと思う「敬語」に関してのみ謝罪した。

「ま、悪かったと思って素直に謝れるのはいいことだよな。『前任者』の育て方がよかったんだろ」

 そして互いに食事を再開するのだった。今度は始終無言で、ただ食器がぶつかる乾いた音のみが響いている。

 ジョンがちらちらと様子を窺っている気配はあるので、おそらくタイミングを見計らっているのだろう。三善は敢えてその視線を無視した。

「……なあ。お前は今までどんなことをしてきた? あの黄色い狐と一緒だったんだろ」

 この男はひとに動物のあだ名をつけるのが趣味なのだろうか。

 三善は逡巡し、咀嚼していたものを胃に流し込んでから口を開く。

「ブラザー・ケファを知っているなら、彼の提出した監査記録を見れば分かるはずです。(わたくし)自筆の報告書でも構いませんが、おそらくその方が手っ取り早いし確実では?」

「確かに。あの坊主が書いたならそれを見た方がいいだろうな。で? 何かひとつくらい印象に残っていることがあるんじゃないか。聞かせてくれ」

 人の話を聞いていなかったのだろうか。そう訴えようと赤い瞳を彼へ向けると、同時に彼の鋭い視線とかち合った。もう臆したりはしないけれど、その眼光は正直心臓に悪い。

「質問の仕方が悪かったな。俺が聞いているのは客観的資料じゃねえよ。お前がいた場所、していたこと、それらをお前の言葉で知りたい。主観的要素が欲しいんだ」

「それを、」

 三善が今まで手にしていた散蓮華を置いた。

「あなたがそれを知って、一体どうなるというのですか?」

 それが答えだと言わんばかりに三善は立ち上がった。そして食器を片手にさっさと歩き出す。その顔には表情らしいものは何一つ浮かんではいない。微かに唇が震えていたが、それを他に悟られてはなるまいときつく結んだ。

 歩いて行くと遠巻きに誰かが声をひそめ話しているようだったが、三善にとってはそれすらもどうでもよかった。

 ただ、この場所から全てを排除してしまいたかった。自分すらも例外でなく。何もかも亡くなってしまえばいいと切に願う。

 ――どうして、『あのひと』はいなくなってしまったのだろう。

「ごちそうさまでした」

 奥にいる厨房担当に声をかけながら食器を下げたところで、ふ、と息を吐き出す。誰にも会いたくない、話したくない。どうでもいいと考えているこの思考すらも邪魔だ。

 そう思ったところで、ひょいと急に体が軽くなった。

「逃げるなチビわんこ。まだやることがあるんだ、バカたれ」

 ジョンだった。少年ひとりを持ち上げるくらい容易いとでも言いたげに不敵に笑ったところを、三善は肩越しに見つめることとなる。

 どうしてだろう、その表情が憎らしくて、悔しくてたまらない。今まで我慢していたが、もう限界だった。

 刹那、ついに三善が切れた。

「おれは逃げてない! 降ろせ!」

「はいはい。わんわん吠えても威力がないから黙ってついてこい。それと一人称はわたし、もしくはわたくし」

 全く相手にされていないところがまた悲しいところである。

 しばらくじたばたと暴れていた三善だったが、程なくしてすぐに降ろしてもらえた。

 なぜなら、彼らの目的地はすぐそこだったからだ。

 そこは本部中にある仕立屋だった。聖職衣を新調する場合、ここで一定の手続きを踏めば新しいものをオーダーメイドで作ってくれる。三善も何度かお世話になっているが、ここにやってくるたびに「小さい」と言われるため、可能な限り行きたくない場所として認識されていた。

 その一角、試着室に放り込まれ、三善は床に頭をしたたかに打ちつけた。

 文句を言おうと顔をあげると、当のジョンはここの職員となにやら相談し始めていた。

「……で、多分こいつはあと一年くらいで身長が伸びるから、一着だけサイズ変動できるようにカスタマイズしたやつを。それと、通常型で少し大きめのやつ……そうだな、一七〇センチの成人男性程度の大きさで構わないな。以上の司教用聖職衣を二セット位作ってやってくれ。それと外回り用のスーツ。今はどんな型が流行っているんだ?」

 カタログをいくつか出され、それを適当にぺらぺらとめくりながらジョンは首を傾げる。どうも納得がいかないらしい。これじゃあ七五三になるなと呟きながら。

 どうでもいい話だが、七五三ってなんだろう。三善の無知は半ば凶器である。

「ああ、スリーピースが一番まともかな。それで作ってやってよ。あとは指定の外套と、靴は白いのと黒いのを二足ずつ。タイは君のセンスに任せる。本人はそこにいるから、採寸お願い」

 間違いない、自分の話だ。その一言をきっかけに呆ける三善に視線が集中する。なんだか嫌な予感がした。ぞくりと寒気のようなものが走る。 

 知ってか知らずか、ジョンはニカッとさわやかな笑みを浮かべ、片手を挙げた。

「じゃあ、俺はあっちで待ってるから。できたら呼んでー」

「あ、ちょ、ちょーっ!」

 何てフリーダム! こっちには選ぶ余地はないんですかと主張したが、大人一同に完全に無視された。

 職員の一人にがっちりと羽交い絞めにされ、もう一人は手早く三善の寝巻を剥ぐと、しゅるしゅるとメジャーを巻きつけてくる。

 この時点で、もう三善はどうにでもなれと思っていた。どうせ自分の話など誰も聞いてくれないのだ。そういえばホセもそうだ。結構あの人も猪突猛進なところがあり、突っ走ったら最後誰にも止められない。トマスもその気がある。もしかしたら司教という人は、皆ある程度自分勝手なのかもしれない。

 自分も将来その『自分勝手』のひとりになるのかと思うと、暗いため息しか出なかった。


***


 本日発注した分は二週間後に仕上がるので、今日は裾上げしてもらった司教用の白い聖職衣を借用することとなった。肩帯だけは本人に与えられたものしか使用できないので、まだ三善はそれを首にかけていない。傷だらけの銀十字だけが胸元できらめいていた。

 あんなにもみくちゃにされるとは、思っていなかった……。

 魂が削れた思いをしながらジョンを探すと、なんと彼は近くのベンチに寝転がり鼻歌を歌っていた。間違いない、このひとは完全フリーダムな人間だ。自分とは相容れない場所にいるんだと三善は言い聞かせた。

「……ああ、終わったの?」

 三善の姿にようやく気が付いて、彼はゆっくりと体を起こした。そして三善の出で立ちを上から下までじっくりと見渡し、ゆっくりと首を縦に動かす。

「悪くないな。お前は肌が白いから、白い色が元々似合うんだろうな」

 中に着るひらひらした薄い生地、あれはなかなかに邪魔だよなー、とジョンは気さくな笑みを浮かべる。三善は一旦足元に視線を移し、ごにょごにょと歯切れの悪い声で何かを呟き出した。握る拳が小さく震えている。

「はっきり喋れ。聞こえない」

「その……ブラザー」

 未だ聞きとりにくい感じはするけれど、先程よりは大分よくなった。とりあえず聞くだけ聞いてやろうという意思はあったようで、ジョンも相槌を打っている。

「どうして、おれ」

「わたし、もしくはわたくし」

「……(わたくし)を、指名したんですか。かの『十二使徒』であるならば、きっとものすごい、絶大な力を持っているのだろうと思いますけど。でも。いくらなんでも色々と乱暴過ぎませんか。そもそも面識がないのに(わたくし)を指名する理由がないでしょう」

 そうか、お前には乱暴に感じるのかとジョンは呟いた。

 そして何を思ったか、突然指で輪を作り、ひゅぅん、と音を鳴らした。指笛だった。本で何度か見たことがあったけれど、実物はこれが初めてである。

 きれいな音だな、と三善は思った。

「別に、お前が乱暴だと思うならそうなんだろう。俺はそういう主観をストレートに言ってくる奴は好きだ。元々の専門分野が『それ』だからだろうが……。いや、違った。話はどうして指名したか、ということだったな」

 三善の問いを心底面倒に感じているようで、ジョンは己の首筋をさすりながら小さく唸る。

「初めに言っておくが、俺は普段からジェームズがどうとか、そういうしがらみは抜きで考えている。どちらを贔屓したいなどとは一切考えていない。これだけは理解してくれないか」

 三善は無言だった。それでいいと、無言の肯定をしているようにも思えた。

「率直に言う。お前にしかできないことがあった。だから拾い上げた。そうでなければ、後輩指導なんて面倒なもの、他の上手な奴にやらせるっつーの」

「あなたに高く買ってもらう理由なんかない」

「おっ、言うねえチビわんこ。でも社会勉強って大事だぞ。……あ、きたきた」

 ふと、ジョンが空を仰いだ。つられて三善もその方向を目で追う。

 白んで見えるはるか遠くの空から、何かがやってくるのが見えた。三善は赤い目を細め、それが何かを確認しようとする。あれは図鑑で見たことがある。確か、あの生き物は。

「――鷹?」

 そう、鷹だった。大きな翼をはためかせ、ひゅんと空を切る。鋭い足がジョンの腕に狙いを定めた。よしきた、とジョンも左腕を掲げ止まりやすいようにしてやった。風は向かい風。うまく止まってくれるはずだ。

 びゅ、と空を切る音が耳を劈く。視界を遮る大翼。

「……うわあ」

 鷹が彼の腕に降りてきた。意外と小さな体をしている。翼を広げているときはかなりの大きさだと感じていたのだが、きっとそれは大きく広げた翼がそう思わせたのだろう。

 あまりに珍しかったので、思わず三善は興味津々といった様子でそれを観察した。

「『生きている』ように見えるだろ?」

 ジョンも機嫌がよさそうな口ぶりで言う。まるで自分の子供を自慢をするかのような口ぶりだ。

 つられて三善もつい地が出てしまった。楽しそうに目を細めながら、きらきらした視線を鷹に向けている。

「うん! ……うん? ように見える(・・・・・・)って、どういうこと?」

「これ、A-Pの試作品。俺が造ったんだ」

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