回想メモ 五歳の頃の思い出
「おにーたまー!」
「おにーたま、じゃなくてお兄様な」
よてよて走ってきては頭ごとぶつかってくる妹ターニャ。愛くるしいことこの上ないが、俺とてただの五歳児、妹(三歳児)に体ごとのし掛かられると普通にしんどい。きゃっきゃと喜んでいる妹には悪いけど防壁魔術と肉体強化でリスクマネジメントさせていただいている。
両親のアンドリュー父さんとヨアンナ母さん、そして侍女のセルヴァンテはそんな俺を呆れた目で見ていた。魔術がばれた? いや防壁魔術は不可視フィールドなのでばれないと思うのだが。では一体何に呆れているのだろう。
一応ターニャに発音上気になった点を短く告げておく。
「それに『たー』じゃなくて『さー』だ」
「たー?」
「さー」
「たー」
「……ターニャ。お前も将来は詠唱術を使うことになるだろう。発音はその際かなり重要になる。音声的な意味文脈に全く頼らないならばともかく、音声的ミームを少しでも活用したいならば発音は正確に、だ」
「んー?」
「さー」
「たー」
ダメだ、てんで話にならない。
取り敢えず頬をぷにぷに触っておく。こういうちょっかいをかけるとターニャは「んんー」と嫌がるのだが、最近は慣れたのか頬を触っても俺から離れようとしない。むしろ俺の頬を触り返してくる始末。
まあいい。三歳児って言ったらこんなものだ。
「ターニャ。なあ」
「ターニャ!」
ほら、呼びかけようと思ったら「さー」「たー」の同じ言葉を繰り返すゲームの続きだと勘違いした妹に元気よく名乗られるし。
可愛い。癒される。どうしよう、どうしたらいいんだろう俺、と背後の両親に取り敢えず助けを求めることにする。
「父さん母さん、可愛いよこの子」
「はは、確かにそうだが、その言い回しはどうだか」
「貴方の妹でしょ? 他所の子みたいな言い方しちゃって、変な子ね」
何か両親に呆れられてる気がする。嘘だろ妹ってこんなに可愛いのかよ、三歳でこれとか十七歳になったらどうなっちゃうの可愛い。
「ジーニアスは時々訳が分からんな」
「息子っすよ息子」
「いやいや、詠唱術とか発音とか言い出すし、妹に可愛いよこの子とか言い出すし、お前も大概見てて飽きない子だ」
父に頭をなでられた。何故。
「飽きない子って子育て上の発言としていかがなものか」
「そう言うところだよ、ジーニアス。父さんはお前のことも可愛いと思ってるんだ」
「いやだから何故」
ダメだ、コミュニケーションが上手く言っていない気がする。と言うかさっきから視線が妙に生暖かい。いわゆる馬鹿な子を見守るときの視線だ。何でだろう、両親には賢いちびっ子(しかしアホ)を見守るような目で見られるのだが。
「……うーん、でも妹は可愛い。同じお腹から生まれてきたとは思えないぐらい可愛い」
ぽろっと、今先ほど思いついたことを口に出して明言化してしまった。その瞬間の空気が一瞬だけ張りつめたような気がしたのだ。
あれ、これ口にしては拙い発言だったのでは。
父は少しだけ真顔に戻っており、母とセルヴァンテはお互いに一瞬だけ目配せしていた。明らかに俺の発言に動揺している。俺は先ほどの迂闊な言葉をやや後悔しつつあった。
「……そうか、ジーニアス」
「ああ、ターニャ可愛いなあ、お兄ちゃん困るなあ」
「……いつか言うよ。それまで待っててくれ」
「……分かったよ父さん」
俺の下手くそな話のそらしかたはものの見事にスルーされ、父はどこか苦笑を浮かべながらいつか言うからと約束してくれた。
言いたくなければ言わなくても良いんですけどね、とは思ったが、それを口に出すのも変な話なので黙っておく。まあ何があっても気にしないけどね、と俺は心の中で呟いた。
「セルヴァンテ、気付かれたかもしれない。あの子はやっぱり賢い」
「……違和感を覚えないように魔術をかけたのですが、それもそろそろ限界かも知れませんね」
「かも知れないな。覚悟しておく。……聞かれたら全て話すつもりだ。二人の生い立ちのことは、ジーニアスにもティターニャにも知る権利がある」
「……。お勧めはしません」
「ああ。でもこれは、二人を育てるって決めた時点で覚悟していたことだとも。私とヨアンナの二人で何度も話し合って決めたことだ」
「……。そうですか」
「願わくば、あの子達には、事実を受け止められるぐらいに強く育ってほしいかな。……それまでの間はせめて、親らしくしないとな。……なあセルヴァンテ」
「旦那様。私の我が侭にお付き合いさせてしまいまして申し訳ありません」
「逆さ。君は、私とヨアンナの我が侭を叶えてくれたんだ」
「恨まれてもかまいません。覚悟は出来ております」
「そんな、恨むことなんかないさ。むしろ私は君に感謝しているんだ。……まあ、寂しくはあるかもな」
「……」
「その時が来れば、私はヨアンナを支えていくよ」
「……旦那様」
「ヨアンナもまた、同じ覚悟だろう」
「……」
「魂を生むことができない呪いか。何で私達夫婦なのだろうな、と悲しんだことはあったけども、でも、この五年間のことを思うと私は、幸せだったと思う」
「……」
「プシュケを口寄せるというのはそういうことじゃないかい。metempsychose、それともmetamorphoseかな。……結局、私とヨアンナの罪はそんなところに落ちるんじゃないかな」
「……罪だなどと仰らないで下さい。私が唆したのですから」
「そうであって欲しいな。きっと私のことだ、もしこの行為が決定的に悪いことであるとされている世界であったとしても、私は同じことを選んでいただろう」
「……」
「あの子達を見ると、そんな気がしてならない」
「……」
「そろそろ眠ろうか、セルヴァンテ。私もヨアンナの所に戻るよ」
「……はい、旦那様」