第二話
マナ・コントロールの訓練はとても難しかった。何故この世界の魔術師はあんなに簡単にマナをコントロール出来ているのだろう、さっぱり分からない。
頭をひねりながら、周囲の空間から手のひらにマナを集めてみようと力を込めてみたが、何か予想以上に集まらない。何故だ。
周囲のマナの流れを読む。密度の感知は完璧だ。五感をフル活用し、空間のエネルギーの揺らぎを鋭敏に掴み取る。
禅スピリットを以ってすれば、空間に広がり渡っているマナを把握することなど造作もない。オリエント・ジャポニズムの言葉を借りるなら『朝飯を出すまでもない』って奴だ。
今の俺は限りなく明鏡止水だ。
色即是空、空即是色、万物はエネルギーにしてエネルギーは万物。梵語で記述された高度な物理言語、ブッディズムに従いマナを操る。
結果は……微妙であった。
いや、もちろん五歳児にしては破格のマナ・コントロールだとは思う。何せ場所も正確、形状も正確、殆ど思うがままに操っているのだから。
しかし、何というかコントロールできている量が少なすぎるのだ。
少ないというのは、周囲の五歳児と比較してというわけではない。周囲の五歳児なんかからすれば俺は天上人だろう。普通の五歳児が十人束になっても俺には敵わないだろう。
操っている量にしたって「え、ジーニアス様何でこんなにマナを操れるんですか……」と侍女のセルヴァンテがドン引きするぐらいのレベルである。
そういう意味ではなくて、今の俺はマナを集める効率が悪い。
前世での俺の感覚から言うと、周囲からマナを10集めるつもりで力を込めたのに3も集まらなかった、というような感覚なのだ。
何故かは知らないが、何か方法を間違っているとしか言えないような抵抗を受ける。何処かで力の無駄遣いをしている可能性が高い。
だが、一体何を間違えているのだろう?
マナ・コントロール。
それは、大気中に漂っているエネルギー体『マナ』を操って、任意の場所に集めることである。マナはもちろん、魔術の根源である。どんな魔術を使うにしても、マナを操ることが出来なければ、発動することは出来ないってやつだ。
マナといっても一口にすべてこれ、というものではなく幾つか種類がある。例えば体内を巡っているマナを『プラーナ(生気)』と呼んだり、『オド(体内魔力)』と呼んだりするようだ。
しかし俺からすればそれはどっちも同じである。区別する理由は特にない。
一つ言うことがあるとすれば、体内マナと外界マナの関係だ。体内マナを用いて、外界マナをコントロールし、それを集めることでより効率よく大魔術を発動することができるのだ。折角周囲からマナを集められるのだから、自分の体内のマナだけで魔術を発動しようとする馬鹿は中々いない、ということだ。
無論、外界マナを一度にどれだけコントロールできるかという量は、体内マナの多さと相関的に増加する。体内マナの量が貧弱であれば、一度に操作できる外界マナの量もそう多くはならないのである。
故に、魔術師たちは自分の体内マナ保有量、『魂の器』を広げようと日々瞑想に励んだり魔物を狩ったりしている。涙ぐましい努力だと思う。いずれ俺も自分の『魂の器』を広げる必要があるだろう。『マナ容量』とか『MaxMP』と言い換えたほうが分かりやすいかも?
だが、俺はまず『魂の器』を広げる作業よりも、マナ・コントロールの技術を習熟しようと考えていた。何故ならば、マナ操作能力とマナ容量には相関関係があるからだ。
そりゃそうだ。マナを上手に操作できる技術があれば、マナをたくさん蓄えてキープし続ける能力も自動的に伸びるってものだ。つまりマナ操作に明るくなれば、マナ容量も自然と伸びるので一挙両得。
瞑想にも効果があることは認める。しかし、俺にとって瞑想は現段階では最適解ではない。ゆえにマナ操作の訓練なのだ。
そう、マナ操作の訓練なのだが。
「いやー、さっきからどうにも上手くいかねえ……」
やはり俺がマナをコントロールしようとしたとき、何故か知らないが上手くかみ合わないのだ。何でだろう、理論的には完璧なはずなのに。現代魔術に基づいたマナモデルで操作しているというのに。
いっそ現代魔術を諦めたほうがいいのかもしれない。
この世界のロートルな魔術理論に従って、四属性(火、水、風、土)+二属性(光、闇)の六元モデルでカテゴライズした方が上手く行くんじゃないか、とすら思ってしまうほどだ。
しかし俺は何となくそれに抵抗感がある。間違っている理論を信じるなど、どうしても生理的に受け入れがたいのだ。
さて、ここで突然だがクイズを出そう。
マナは六属性である、○か×か。
ちなみにこの問題、この世界の魔術師は全員○かと思いきや、そうではなかった。一部×を答える人間もいる。
曰く、「氷属性がある!」「雷は?」「音属性というものがあってだね」「花属性があるのよ」「竜属性があるのじゃ」「虫属性を知らないかい?」「おお! これぞ! これぞ神属性!」「クハハハハッ! 魔属性に焼かれて消えろ!」「何時の時代も言葉が紡いだ。言理の妖精語りて曰く、言葉属性とな」「人類を超越した魔術……次元属性だ」「見せてやろう、時属性を」「――無属性、だ」etc.
全員酷い。
父の書斎にあった本に俺が脳内で適当なセリフを振り分けただけだが、それ抜きにしてもまあ酷い主張だ。生き物入ってるじゃん、正気かよ。
ちなみに正解は×、マナの属性が六つとか、そんなはずがある訳ない。
俺の解釈では無数の属性に分解できる――が、無駄にカテゴリを増やしても非効率的なので、大体『四次元』『十次元+一次元』『二十六次元』で解釈するのが望ましい。
この世におけるマナとは、空間のエネルギーに他ならない。空間は時間的に揺らいでおり、絶えず正のエネルギーと負のエネルギーを産んでは対消滅させる。
全体を通してエネルギー総和を一定に保ちながら、様々なゲージ粒子(場をゲージ変換して量子化した物)のプールとして働くのだ。
現代魔術において、「マナ」という名の空間のエネルギーは二つの理解に従って解釈される。
一つ、マナは空間の量子量であるというもの。空間の持つエネルギーを、ゲージ変換することによってゲージ粒子として解釈し、それらを魔術師は操るのだ。
ゲージ粒子というのは、この世の力・形を司る媒体粒子のことであり、この世の力は全て「重力、電力、弱い力、強い力」の四つに還元される(力の伝搬はボース粒子の交換で表される)。
魔術師たちがどのようにしてこの世界に力を働きかけているのかというと、このゲージ粒子を元にした現象変換に他ならない。
そしてもう一つ、マナの働く次元。
M理論において精力的に研究がなされた「多次元ブレーン」によって、マナの次元を説明しているわけだ。
皆も、もしかしたら「素粒子論」「超ひも理論」「メンブレーン理論」などを聞いたことがあるかも知れない。粒子、ひも、ブレーンの解釈の異なりを大雑把に言うならば、この世の中を点で解釈するか、ひもで解釈するか、膜で解釈するか、という話だ。
〇次元を粒子、一次元をひもとおけばp次元-ブレーンで解釈できるので、俺はブレーン理論を利用している。
この理論では都合上、カラビ=ヤウ多様体(複素多様体の一種)を扱うため、この世の中を十次元+一次元で解釈し、十一次元モデルで理論を推し進める。
(正確に言うと、元々は宇宙の挙動を26変数で解釈しようとしたためこの世は26次元、という理論が生まれたのだが、超対称性によって10程度にまで圧縮出来るようになった)
カラビ=ヤウ多様体は双対性から、偶数次元の複素多様体として取り扱われるのが都合がいい。そのため余剰次元のうち六次元が、カラビ=ヤウ多様体の次元とおかれているのだ。
長くなったが『マナ』というのは、その十次元に存在するのだ。
実空間である四次元空間と、カラビ=ヤウ多様体の六次元空間との両方に、マナは存在する。
ここでもし私たちが、カラビ=ヤウ多様体に存在するマナを扱いたくはないというのであれば、この我々の住む四次元モデルでマナを扱えばいい。
しかし、もしも更に次元を拡張するのであれば、少なくとも取り扱う次元の数だけはマナの種類を仮定する必要があるのだ。例えば十次元のマナを扱いたいならば十次元モデルで考えるべきなのだ。
さて、答えを出そう。
マナの種類は、『空間のエネルギーという観点では一つ』、『属性(という言葉が正しいかは分からない)という観点に立つと、取り扱いたい次元の数だけたくさんに分解できる』が答えだ。
都合上、俺がよく扱うモデルを説明しておこう。
『四次元の実次元モデル』『六次元の余剰次元のカラビ=ヤウ多様体モデル』『取り扱うための一次元(使わなくてもよいが、計算の都合上時々使う。コンパクト化された微小円である)』を追加した規範モデル。
『四次元のみ(残りの次元は線分へ押しつぶされてしまう。南無)』の簡易モデル。
『面倒くさいので26次元全ておいた(この世界の対称性が前世のモデルで適応できるか分からないため)』というマナ解析用モデル。
一番よく使うモデルは、簡易モデルだ。
というか現在は簡易モデルで精一杯だ。
空間にエネルギー(マナ)を与えたときの応答で、ほぼ無視できるほど影響の小さい余剰次元なぞ、扱ってられるかって話だ。
なので現在は簡易モデルでマナを操作しており、時々規範モデルやマナ解析用モデルもちょくちょく試してマナを操作している……のだが。
「……納得いかねえ」
なのに。
今俺の手には『火属性マナ』が集まっている。
試しに六次元モデルを実行してみたら、何か上手くいってしまった。
何だよこれ、六属性モデルが正しいというのだろうか。
いやそうではない、別に俺のモデルが間違っているというわけではなさそうだ。空間(という名のエネルギー変換器)のゆらぎを通して次元解析すると、確かに十一次元モデルで十一パラメタに分解されている。二十六次元モデルなら二十六パラメタに分解されている。電磁力と重力も含めて全て魔法で観測した。エネルギー計算を行うと、まあまあ一致していた。
つまり俺の解釈は正しい。
火属性マナは複合エネルギーだ。複数の属性のマナが組み合わさって出来たものであり、この世を構築する最小単位なんかではなかったのである。
何がこの世の属性は六属性だ。
土って何だよ土って。風と火の違いってなんだよ、温度か?
等と内心で悪態を吐いてみたはいいものの、現に今俺の手元には火属性マナが集まっている。これは曲げられない事実だ。きっとこれには理由があるに違いない、と考えてみる。
恐らくだが、火属性マナが簡単に手元に集まったのは『皆が火属性マナを信じているから』であろう。
現代魔術では、マナのエネルギーは『人の信じる力を投影したオカルティックなもの』であると解釈されている。
人の持つアストラル体の営み、精神の鼓動、空想力こそが魔力の根源だ。
イマジネーションは世界を塗り替える。
恐らく、この世界においても同様に『人がそう信じているから』『そう魔力が働いている』のだろう。
やるせない話だ。
つまり、人々の認識にそぐう『六属性モデル』の方が、たくさんの人々のイマジネーションの力を借りている分魔術的バイアスを受けて強化されているそうだ。
俺の方がマナについて詳しい知識を持ち合わせているはずなのに、何か損している気がする。
無論、理論的に間違っていない方法でマナをコントロールしている俺の方が、マナ操作をより一層『美しく』達成しているのだが。
きっと魔術を制御する際「この要素のマナを減らしたい」とか「魔術の属性を途中で柔軟に変化させたい」とかいう場面に直面すれば、俺の手法のほうが利便性がいいのだろう。
にしてもやや不服ではある。
「お! 綺麗な火属性マナだな! 凄いじゃないかジーニアス!」
「どうしたの貴方? ……嘘!? この子ったらもうこんなに綺麗なマナを使えるの!?」
「ああ! やっぱりヨアンナの子だ、凄くセンスがある! この子はきっと天才になるよ!」
「いいえ、この学問肌はきっと貴方の血だわ! ああどうしましょ、今日はお祝いしなきゃ!」
などと不機嫌な表情で火属性のマナを見つめている俺を両親は発見し、テンションが上がっていた。
きっとこの二人には俺がやるせない気分に沈んでいる理由は分からないだろう。