プロローグ 現代魔術は異世界をクロールするか?
本を読みながら、俺、ジーニアスはおぼろげに理解していた。
この世界の魔術は、俺の知っている魔術ではないと。
この世界の魔法の法則は実に雑多で多様であった。体系として整理整頓はなされておらず、どういう法則性なのかという研究も殆ど進んでいない。
強いて言うならば、『魔術協会アカデミア』と呼ばれるグループが作った『アカデミア魔術体系』と呼ばれる概念が、薄く広く認知されている、という程度であった。
魔導書『アカデミア魔術体系』によると、魔術は一般に五つに分類されるという。
一つ目、【伝承】。儀式魔術、精霊魔術がこれに該当する。
一定の儀式的な行為、あるいは精霊との契約によって、直接魔術をこの世に降ろす。他の魔術と異なって、直接神秘をこの世界に投影するという意味で、他を逸して最も位の高い魔術である。
使われる魔術は、その殆どが隠匿されており、そしてその殆どが神秘に匹敵する。
カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第一世界、アツィルト界(流出界/一つの大いなる物が生まれる世界)に対応する。大いなる物に直接アクセスすることを目指した、神降ろしの魔術とも言える。
二つ目、【音律】。詠唱魔術、音楽魔術、などがこれに該当する。
魔力を言葉に乗せて、魔術的に意味のある事象を音に紡ぎ、この世の現象を操作する魔術だ。詠唱する言葉はルーン文字だったり世界語だったり、あるいは言葉などなくても音だけでもいい、などと特に指定はない。魔力を込めて紡がれる音色、律動、意味が、声の精霊リピカを共鳴させて世界を塗り替えるという。
カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第二世界、ブリアー界(創造界/一つの大いなる物が分裂して個になる世界)に対応する。一つの大いなる旋律を紡ぐことで魔術たらしめんとするものだ。
三つ目、【象徴】。魔法陣魔術、舞踊魔術、などがこれに該当する。
魔法陣魔術では、魔力を込めて刻まれた魔法陣や刻印に魔力を流すことで、指定された通りに魔術が発動する。刻まれる図形やモチーフには意味があり、それらの組み合わせでどのような魔法になるかが決定する。ある意味では最もダイレクトに世界を『描き換えて』いる魔術だろう。
舞踊魔術の場合は、どのように肉体で踊るのか、という形とで魔術が紡がれる。踊りの一つ一つにも意味が内在しており、それらの組み合わせで魔術が発動する。
どちらも『形』に意味があり、その『形』の意味から魔術が発動する仕組みとなっている。
カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第三世界、イェツィラー界(形成界/個々が意味を付与されて形を身に纏う世界)に対応する。個々の意味に更に意味を重ね掛ける、かなり重厚な魔術だという。
四つ目、【物質】。錬金術、魔道具、などがこれに該当する。
魔術触媒を介在させることで、魔術により物質を操作する技術だ。他の三つと異なり、意味による魔術操作がなされない。
どちらかというと化学や工学に寄っているこの技術は、魔術の中でも最もグレードが低い卑しい存在であり、そして同時に魔術の中でも最も便利なものである。
カバラのセフィロトの樹の四世界でいう第四世界、アッシャー界(物質界/形を身に纏った物がひしめく我々の世界)に対応する。物質の性質を利用して神秘を模倣する、魔術から最も遠い魔術である。
五つ目、【異質】。上記の体系に入らない魔術がここに該当する。
例えば使い魔を用いる契約魔術、遙か古代に生み出された古代魔術、などなどだ。
これらは体系を異にする魔術としてこの五番目に放り込まれているだけなので、かなり雑多な魔術となっており、他四つと異なり体系として成立はしていない。
この五つの魔術の種類体系は、今現在この大陸【命と大地の船】の魔術の共通認識となって魔術師に理解されている。
さて、ここまでを読んでの俺の感想だが。
はっきり言おう。
無茶苦茶過ぎると。
まず何で世界を四つに分類したんだコイツ? 流出界と創造界の違いって何? 形質界って何なの、ゲージ粒子で言う形を司るフェルミ粒子のプールのことかな?
そして世界が四つに分かれたとして、何でそれが魔術の四体系に関係してるんですかね? 魔術ってあれですよ、マナエネルギーを用いて別の形にエネルギーを交換することですよ。物質界とかそんな四つの世界の成り立ちとか関係ないんですけどねえ。
大体、カバラ数秘術のセフィロトの樹だなんて昔に研究し尽くされた関数モジュールでしかない。現代魔術師的には『モジュラー変換して得られるトポロジーの位相次元が三次元、ハウスドルフ次元が四次元となる、ツリーダイアグラム型リ・ヨーク写像』となっている。
フラクタル構造を持つため、意味増幅が簡単で、しかも歴史的コンテクストの重さからかなりの効用を持つ強力なパブリックドメインなのだ。
効率が悪いことに目を瞑れば、直感的で分かりやすいデザインとなっているのも評価できる。
以上、セフィロトの樹とはそういうものなのである。
現代魔術の解析によると、四つの世界とか鼻で笑うような空想でしかない。何それって話だ。対称性の数だけ世界があるんですが何か? 分かっているだけで五つかな? コンパクト次元を考慮するならもっと増えるんだが?
更に言うと、魔術の体系分けがナンセンスだ。
正直、伝承プロトコルを使おうが、音律プロトコルを使おうが、象徴プロトコルを使おうが、物質プロトコルを使おうが、何を使おうがとにかくまずは『系統等価関数』の算出からスタートだ。それがなければ何も数学的操作が出来ないではないか。馬鹿じゃないの?
それに魔術回路素子/状態方程式を置かないのもおかしいよね? 本当に解析する気あるの? システムの入出力から構成素子を推定しないで全体を論じるつもりだったのかな? まあその方法も一応出来るけど、解析手法として線形近似とかすらされた痕跡がないんだけどこれは何故かな?
正直、頭が痛くなる。だってコイツら魔術について思い付いたことを書き殴っている感じがしてならないのだ。解析しろよって話だ。
時々「お、良いね」となるような考察がちらほら見えるのだから、理論化すればもっと上質な魔術体系に昇華するはずなのに、残念ながら学問が追いついていないらしい。
残念だ。実に残念すぎる。
「これは、正直あれだ。魔術について体系を整えるだけで千年近くは魔術の歴史を進めることが可能だ、ぶっちゃけ」
これはもうあれだ。学問の体をなしていない。僕の考えた最強の思い付き、みたいなもののごった煮だ。
このままでは、魔術は暗黒の停滞期を迎えるだろう。
「いいだろう、変えてみせる。現代魔術で改革する。無駄に魔術師を浪費するような旧体系魔術を理論化して、世界に現代魔術を席巻させてやる」
俺は静かに決意した。
この命にかえてでも世界を変える、というほどの大望ではない。しかし、俺がもしも磐石な社会的地位を手に入れて命を狙われるような危機から身を守れるようになった暁には、その時は現代魔術をこの世界に息吹かせるつもりだ。
数理的手法により魔術を解析。
魔術デバイス印刷技術により自由自在に魔法陣を投影射出可能。
マナマテリアル操作技術により機械工学的アプローチで魔工学魔術を実行。
拡張空間シミュレーターにより擬似現実を模倣。
学習知性と計算機科学により最適理論をアウトソーシング。
突き抜けるまでの汎用性と一般化。未知の神秘体系は全て解析対象として物理現象に零落。魔術は神秘ではなく既にツールにしてアプリケーション。
魔術を編むのは個々のセンスではない。ポントリャーギンの最適化理論だ。
現代魔術は異世界をクロールするか。
それは、俺の命題にして、挑戦だ。