1-6
「とりあえず、ひかりはこれで大丈夫だと思うんだけど……」
「ねぇ、亜由美ちゃん、友香ちゃん。ひかりちゃんは、どうしてこんなケガをしたの? パトロール中に何かあったの?」
「それがね……」
友香が答えようとしたとき、ソファの上でひかりがうなり声を上げた。背伸びをするように両腕をのばすと、ゆっくりと上体を持ち上げる。
「ひ、ひかり!?」
「ひかりちゃん、寝てなきゃダメだよ!」
ひかりは莉子たちの声を無視して立ち上がり、不安げな視線を辺りに彷徨わせた。
「……お姉ちゃん! お姉ちゃんはどこ!? 早く助けに行かないと!」
「ひかり! みずほさんのことは、真麻さんに任せなきゃダメなんだって!」
「や……やだ……。あのままじゃお姉ちゃんが……お姉ちゃんが殺される……」
ひかりは首を振り、乱れた髪をさらにぐちゃぐちゃにした。
「お姉ちゃんを……助けないと……」
「ひかり、落ち着いて! お願い!」
ひかりは近くにあった友香の箒を掴むと、開けっ放しになっていた窓に向かおうとした。亜由美が背後から羽交い締めにすると、ひかりは体をくねらせてもがく。友香はなんとかこの場に引き止めるために、ひかりの腕を必死に引っ張っていた。
「ひかりちゃん、ダメだよ! あなたが行ったって……ダメなんだから!」
今のひかりには、どんな説得も、どんな抵抗も通じない。視線の端で亜由美と友香の姿を確認した途端、ひかりは右手に魔力を溜め始める。
それに気づいた亜由美は、顔を青ざめさせながら、ひかりを押さえる腕の力を強めた。
「ひかり! やめなって!」
亜由美の言葉に従うことなく、ひかりは力を解き放った。
「きゃあっ!」
ひかりが亜由美へと手を翳した瞬間、ヒュン、と鋭い音がした。亜由美が勢いよくリビングの端へと転がり、友香の体も床に叩きつけられている。
邪魔する者がいなくなり、窓から出ようとしたひかりの足下に、莉子が両手でしがみついた。
「ひかりちゃん、行っちゃダメだって! ひどいケガだったんだから、寝てなきゃダメだよ!」
「莉子ちゃん、邪魔しないで!」
「やだ! ひかりちゃん、おかしくなってるよ! いつものひかりちゃんに戻ってよ!」
「うるさい!」
ひかりが箒の柄で叩いてくるが、莉子は彼女の足首をがっちりと押さえ込む。そして視線を左右に動かした。
(あ……あった!)
友香が倒れている近くに、<眠りの種>のビンが転がっている。
(お願い! こっちに来て!)
ひかりの攻撃に耐えながら、莉子は指を鳴らした。<眠りの種>のビンはそれに応え、床からぴょこんと跳ね上がると、一直線に莉子のもとへとやってきた。
その間にも、ひかりは両手に力を溜めている。それをこちらに向けようとしたとき、莉子は思い切ってひかりの足を取った。バランスを崩して倒れたひかりに馬乗りになりながら、莉子はビンから<種>を一粒取り出し、ひかりの口をこじ開けた。
抵抗するひかりの顎を持ち上げ、<種>を飲み込ませる。大きく喉が動いて数秒も経たないうちに、ひかりは脱力して瞼を下ろし、静かな寝息を立て始めた。
「これで大丈夫……だよね?」
莉子はほっとして、さっきの亜由美に負けないほどに表情をゆるめた。部屋の隅で体を起こした亜由美は、全身の痛みに顔を歪めながらゆっくりと近づいてきた。
「莉子の<眠りの種>は、相変わらず効果抜群だね」
「そうかな? でも、私にはこれしか能力がないから……」
「十分だよ、これで。莉子ちゃんの<種>のおかげで、たくさんの睡眠障害の人たちが助かっているんだもの」
起き上がった友香に優しく肩を撫でられ、莉子は照れたように笑った。魔女としては落ちこぼれであるものの、こうやって褒められるのは悪い気はしない。
合コンや母の罵倒で傷ついた心が癒されるのを感じながら、莉子は二人と一緒に眠るひかりをソファへと運び、毛布をかけた。
たったそれだけの作業だった。なのに、これまでの騒動の疲れが一気に出たのか、三人ともずしんと体が重くなるのを感じていた。
「莉子ちゃん、ごめんね。大騒ぎしちゃって」
友香が謝ると、莉子は首を振った。
「大丈夫だよ。それにしても……ひかりちゃんは一体どうしたの?」
その問いには、亜由美も友香も、なぜかすぐには答えようとはしなかった。
莉子がキッチンに向かい、コーヒーを入れる準備を始めたときにも、二人は黙ったままだった。莉子が三人分のコーヒーを淹れ終えて、リビングに戻ってきたとき、亜由美がやっとのことで口を開いた。
「ひかりのお姉ちゃん……みずほさんが、破魔女になったことは覚えてるよね?」
「うん。それって一昨年のことでしょ? 破魔女になった直後に、みずほさんは行方不明になったよね?」
「そう。そのみずほさんがね、東京に現れたの」
「えっ!」
みずほは莉子よりも二つ年上で、強い魔力をコントロールできる優秀な魔女だった。大きな目がとてもキュートでみんなに好かれていたし、大人の魔女たちには、
「いずれは大魔女になるだろう」
と大きな期待をかけられていた。
その上、優しい性格の持ち主でもあり、できそこないの魔女である莉子にも、
「莉子ちゃんも、いつかはきっとすごい魔術が使えるようになるよ」
といつも励ましてくれたものだった。
そんなみずほが破魔女になったと聞いたとき、莉子は言葉を失った。あれだけ優秀な魔女だったみずほが、破魔女になるなんて。かわいくて、同性の莉子から見ても魅力的で、みんなの憧れの的だったみずほが、<宿主>を見つけられなかったなんて――本当なのだろうか?
そして、破魔女になったみずほが行方不明になってしまったと聞いたときには、不謹慎にもほっとしてしまったのだ。
(みずほさんが処分されるなんて、嫌だ)
だから、逃げるだけ逃げてほしいと思っていた。破魔女のままでもかまわない。あの優しかったみずほに戻ることはなくても、誰にも見つからない場所で、ひそやかに生きていてほしい――莉子はその願いを、誰にも話すことなく、胸に秘めていた。