5-12
「え? <宿主>にって……。でも……」
「だから、大丈夫ですよ。僕はそれだけ健康なんですから、あなたに『気』を取られても、早死にすることはないでしょう」
「それもそうなんですけど、橘さんみたいな警察の人が、魔女の<宿主>になんてなったら、問題があるんじゃないんですか?」
「問題? どうして問題があるというんです」
「い、いや、ほら、警視総監の娘さんとの結婚に響くとか……」
「僕は明美さんと結婚するつもりなんてありませんよ」
きっぱりと言い放つ橘の言葉を聞きながら、莉子は彼から渡されたジャケットを握りしめていた。突然<宿主>になると言われても、うれしさやよろこびよりも、戸惑いしか感じられないのだ。
橘はメガネを莉子のリュックの傍に置き、腕時計を眺めながら外した。
「もうすぐ23時30分ですよ。ほら、さっさとしないと、日付が変わりますよ」
腕時計をメガネの横に置き、橘はネクタイを緩めた。準備万端。そんな雰囲気を漂わせ、膝をついて莉子へと近づいた。
……近い。寄ってきた橘の顔を避けるように、お尻を動かして後ろへと逃げた莉子は、言い訳じみた言葉を口にする。
「あの……<宿主>になるって……ここでですか?」
「ええ。こんな場所で申し訳ないですけど、時間がないですから」
「それよりも……本当に<宿主>になってもいいんですか? 私、橘さんが言うような、魅力的な女性じゃないと思うんですけど……」
莉子は俯きながら、いじけるようにジャケットを両手で擦り合わせた。そんな莉子の頭上に、
「あなたは十分魅力的ですよ」
と橘の声が落ちてきた。
「あなたは僕を、三度もみずほさんから助けてくれたでしょう? そんなことをできる女性を、魅力的と言わずになんと呼べばいいんですか?」
自分が魅力的な女性で、橘は明美と結婚するつもりはなく、しかも<宿主>になってくれる――そんなラッキーの三連発に莉子の頭は混乱して、うう、とか、はぁ、とか、謎の言葉を発することしかできなくなっている。
「もう時間がないんですよ! ほら!」
橘の顔がさらに近づき、莉子はまた後ずさりして逃げるものの、とうとう岩壁に追い込まれてしまった。
いいのか? これでいいのか?
目も頭も心も、ぐるぐると回り、この状況についていけなくなっている。そのうちに、橘の唇が莉子へと近づいてきた。
キスされる――そう思って、莉子は思わず目を瞑る。しかし橘の唇が辿り着いたのは、莉子の唇ではなく、耳だった。
「好きですよ、莉子さん」
その言葉を聞いた瞬間、体じゅうの毛穴から蒸気が噴き出した。一気に血の集まった顔は、炎に照らされたように熱いし、全身はあらゆる汗が滲んでいる。
「だから、あなたの<宿主>にならせてください」
その一言で、莉子はそっと目を開いた。目の前には、穏やかに微笑む橘がいる。ずっと、この笑顔を見たかったのだ。初めて会った日に見せてくれた、橘の本当の笑顔を。
「……はい」
小さな声で莉子が返事をすると、橘は待っていたかのように口づけた。お互いの唇が触れた瞬間、ドクン、と鼓動が弾む。
橘の唇は、やさしく蠢きながらも、莉子の唇をそっとこじ開けた。静かに入り込んでくる舌を受け入れるうちに、莉子の体の中で、あの炎が燃え出した。橘を求める、欲望の炎が。
でも、今日はそれを我慢することはない。彼に十分に触れられて、体が欲するままに彼を求めればいい。そう思えば、莉子の腕は独りでに動き出す。橘の背中に両手を這わせ、シャツ越しに彼の熱を味わっていた。
橘が唇を離し、莉子を見た。それはいつもの莉子ではなく、欲望を抑えることなく、橘へと向ける妖艶な女性だった。キスで濡れた唇と潤んだ瞳を光らせて、橘にうっとりとしたまなざしを向けている。
「橘さん……私も……好き……」
その言葉に心をきゅっと捕まれながら、橘は彼女の首筋に唇を這わせた。そこから漂う匂いに頭が麻痺して、彼女を求める気持ちで全身が溢れていく。
莉子の口から、はぁ、と何度も熱い吐息がこぼれる。それを首元に感じた橘は、抑えきれない感情のままに莉子を押し倒し、彼女の胸元へと顔を埋めていった。
*
「……どうでした?」
橘のジャケットを敷いた上に、二人で寝転がっていた。莉子が魔法で出した炎が照らす洞穴の天井には、炎の動きが映り、ダンスをするように揺れている。
その動きを目で追いながら、莉子は橘へとやっとのことで返事をした。
「いろいろと……すごかったです……」
いろいろと痛かったり恥ずかしかったりしたけど、すごかった。それ以上の感想が言えないほど、すごかったのだ。
莉子のその答えに吹き出した橘は、照れ隠しのように莉子の頬にキスをした。くすぐったそうに首を竦める彼女を見て、安心しながら、近くにあった腕時計を取った。
「……あと1分で、25日ですよ」
「ほんとだ……」
橘と一緒に腕時計を見て、47、46、とカウントダウンをする。そして、3、2、1……と声を揃えたあとで、橘がささやいた。
「メリークリスマス。そして……誕生日おめでとう」
その声は、莉子の魔女としての新たな一歩を祝うように響いた。