5-7
「はぁ? <蘇生の種>だなんて……あんた死ぬ気なの!?」
「だって……破魔女になるよりはマシだもん」
「……なによ。橘さんとなにかあったの?」
「別に」
莉子はベッドからむくりと起き上がり、膝を抱えて座った。
「なにかあるとかじゃなく、もともと私と橘さんの間にはなにもなかったんだよ。それだけ」
「ずいぶんとやさぐれてるねぇ」
真麻はため息をついて、莉子に図鑑を手渡した。その目の周りには、明らかに泣いたと思われる、赤い跡が残っていた。
「……タイムリミットまで少ししかないからって、投げやりになるもんじゃないよ!」
「もう時間の問題じゃないんだよ」
「へ? あんたなに言ってんの?」
「いいじゃん、別になんでも! いいから出てってよ!」
莉子は真麻の体を必死で押してくる。小さい頃から素直で控えめな性格の莉子にしては、親を押し出そうとするなんて珍しい行為だ。
真麻は仕方なく、莉子をそのままにして部屋を出た。スリッパの音がリビングの方向へと消えていくのを聞きながら、莉子は再びベッドに横たわった。
枕の近くにあるスマホは、メッセージの受信を必死に莉子へと伝えている。しかしそれに反応する気にもならない。どうせ返信がないことを気にした橘が、何回もメッセージを送ってくれているのだろう。
本当だったら、すぐにでも返事をしたかった。そしてできれば、<宿主>になってもらえるように努力をしたかった。だけど、今日の明美の言葉を聞いてしまっては、これ以上橘に近づくわけにはいかない。彼の仕事や将来を考えれば、魔女の自分は邪魔者でしかないのだ。
莉子に橘と会う意志がないのだから、これで莉子の破魔女化は確定したようなものだ。だったら、魔女が命と引き換えに作る<蘇生の種>を完成させれば、破魔女にならずに死ねるだろうと思っていたのだ。
それは橘に出会う前から、莉子がずっと考えていたことではあった。だけど、すでに<宿主>に出会っている今、こんな覚悟をする羽目になると、かえって心が苦しくて辛くて、どうしようもない。
(ごめんね、ママ。そしてみんな……)
破魔女にならないで済むように、と一生懸命に協力してくれた母や友人たちの姿を思い浮かべ、莉子は一筋だけ涙を落とした。
*
23日は友人たちはみんな<宿主>とのクリスマスデートで忙しく、ここ数年は莉子は一人で過ごすことが多くなっていた。そして今年も、もちろん一人だ。
休日だというのに母は仕事らしく、朝から出かけてしまっていたので、家には莉子一人がいた。
人生最後のクリスマスシーズンを、一人で過ごすのは淋しすぎるとは思ったものの、これといってやることはない。でもせっかくだから一人でもクリスマスを味わおうと、莉子は外出していた。
自宅のある湾岸のショッピングセンターが並ぶところまで箒で飛んで、人目につかないところで降りた。そしてイルミネーションが頭上を彩る街を歩き、たくさんのカップルや家族連れとすれ違う。
一人で歩いていると悲しくなるだろうか……と思ったけれど、そんなことはなかった。あと1日、生きるための思い出を焼きつけるように街を見渡せば、すべてのシーンが美しく見える。
夕暮れが迫りつつある街の中で、莉子はふと立ち止まった。人ごみの中に、橘によく似た背中が見えたのだ。
「橘さん……!」
思わず駆け寄ったものの、それは別人で、莉子は落ち込みながら足を前へと進める。今更橘と会ったところで、どうするつもりなのかなんて自分でもわからない。3週間近くにわたって、橘のメッセージを未読無視し続けているというのに。
(……もう忘れよう。そして明日は、<蘇生の種>を作ることだけを考えるんだ!)
すべての思いを断ち切るように、莉子はぶるぶると頭を振った。
そして、自分用のクリスマスケーキを買って帰ろうと、目の前のショッピングセンターに入ろうとした、そのときだった。
ふと空を見上げると、なぜかそこに魔女たちが浮かんでいるのだ。通常、パトロールは19時以降におこなわれるので、こんな早い時間に魔女が空を飛んでいるのは珍しい。それに上空の魔女の中には、亜由美や友香の姿も見えていた。
(亜由美ちゃんも友香ちゃんも……<宿主>と一緒に過ごすんじゃなかったの!?)
驚いたのはそれだけではない。魔女の集まりの先頭には、真麻がいるのだ。
「マ、ママ!?」
思わず声を上げた莉子は、急いでビルの陰に入って箒に乗る。ビルの隙間を垂直に上昇して、魔女たちを探した。
(……いた!)
魔女たちは、北西の方向へと猛スピードで進んでいる。それに追いつこうと莉子は必死で箒を蹴るが、魔力の違いなのか、まったくスピードが出ない。
(それにしても……みんな、どこに行くつもりなの?)
まずは魔女たちを見失わないように目を見張り、がむしゃらに魔女たちを追いかける。日没の時間を迎え、辺りはすっかり暗くなってしまい、気温も一気に下がってきた。莉子は首元に巻いていたマフラーを口元まで上げ、北風に押されそうになりながら上空を進んだ。
そして、20分ほどが過ぎた頃だった。遠くの方で、魔女たちが固まって浮いているのが見えた。真麻や亜由美、友香の集団もそこで止まり、ずっと下を見ている。
(あれ? ここって……)
莉子はみんなのもとへと進む前に、ちらりと下を覗いた。そこはこの前、佐藤のおばば様のところへ行った帰りに立ち寄った、洞穴の近くだった。
(どうしてここに、みんな集まってるんだろう?)
莉子のその疑問は、一瞬で解決されてしまった。東の方角から、大きな地響きが聞こえてきたからだ。
「……ほら、来たよ!」
魔女の集団の中から、真麻の声が聞こえる。
……そうだ。これはみずほが現れたことを意味する音だ。
莉子はそれを理解したものの、どうしてもモヤモヤした気持ちが残ってしまう。
(みずほさん、どうしてこんなところに来たんだろう……?)
「橘さーん! 気をつけてくださーい!」
(……え?)
再び聞こえてきた真麻の声に、莉子はもう一度地上へと目を遣った。遠くてはっきりは見えないものの、洞穴の前には白い光を放つライトが点けられ、その光の隙間に橘らしき人影が見えている。
(……ど、どうして!? どうして橘さんがここに……? しかもママが「橘さん」って……)
真麻が橘の名を呼んだあとで、魔女たちは橘の真上の上空へと移動していった。橘の頭上を取り囲むように円形に並んだ魔女たちは、橘へと向かってくるみずほを待ち構えていた。