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「ええ。どうやら田中みずほは、僕を兄と勘違いしているようなのですが……」
「だったら、あなたを囮にしてみずほをおびき寄せるしか、処分の方法はない気がするんです」
真麻はいきなり核心を告げた。それでも橘は顔色を変えず、
「……それ、本気で言ってるんですか?」
と言い放つ。それに負けじと、真麻も
「本気も本気、最大級の本気で申し上げていますよ」
としれっと答えた。
言葉通り、真麻は本気だった。これ以上みずほを放っておくわけにはいかないのだから、ここで賭けに出るしかない――そんな覚悟で、橘に会いに来たのだから。
しかし、橘も一筋縄ではいかない。
「魔女の頼みに、僕が素直に頷くと思ってらっしゃるんですか?」
冷静な表情で言う橘に、真麻は眉をピクリと上げた。上品な顔立ちのくせに、とんでもなくガンコでドロついた根性の持ち主じゃないか。そう思い、
「あら、やっぱりダメですか」
と、あえてやんわりとかわした。
「でも、みずほの処分は、あなたも望んでいることでしょう? しかもそれが、あなたのお兄さんの無念を晴らすことにもなる」
「……僕はもう、田中みずほを恨んではいませんよ」
「恨みつらみは、この際どうでもいいんです。問題は、あなたが私たちに協力してくれるかどうかなんです!」
真麻はデスクを拳でドン、と叩いた。本当は橘をぶん殴ってやりたかったが、ここはデスクで我慢することにした。
「おそらくみずほは、<宿主>に会いたくてここまで生き延びてきたのでしょう。なぜそこまでして会いたいのかは、私たちにもわかりません。そしてあなたは、その理由を知りたいと思っているのではないですか?」
「なぜ、そう思うんです?」
「あなた自身も<宿主>だからですよ。魔女と<宿主>がどんな気持ちでつながった、どんな関係なのか。あなたは知りたんじゃないんですか!?」
それはまさしく、佐藤のおばば様が言うところの「推論」だった。当事者である、橘の本当の気持ちがどうかなんて考えず、あくまで真麻の思いをのせただけのものだ。
だからこれは、本当の意味での賭けだった。これで橘が動かなければ、みずほの処分もできず、莉子も破魔女になってしまうだろう――そんなとんでもないギャンブルを、真麻は仕掛けている。
すると、真麻の堂々たる雰囲気に押し負けるようにして、橘が大きく息を吐き出した。
「……わかりました。協力しましょう」
その言葉を聞いたとたん、真麻はぱっと表情を明るくして、
「ありがとうございます!」
と叫んだ。だが橘は、
「ただし、条件が一つあります」
と付け加えるのを忘れなかった。
「条件ですか? その内容にもよりますけど……」
「大丈夫です。簡単な条件ですから」
橘は微笑んで、はっきりとした口調で告げた。
「莉子さんには、この計画にはかかわらせないでください」
どうして、と訊くことはできたはずだった。だけど真麻はあえて問わずに、
「わかりました」
と返事をした。
「では、その計画の実行の日時ですが……」
「23日の夜はいかがです? 僕はその日、夜が非番なのです。クリスマス前で街は騒がしいでしょうから、人の少ない山村あたりにでも、田中みずほをおびき寄せればいい」
「……そうですね」
24日の夜までになんとか橘を<宿主>にしないと、莉子が破魔女になってしまう。23日ではギリギリだ。そのときまでに、この男の心境に変化があれば……と願うことしか、今の真麻にはできない。
とりあえず、これでなんとかなるかもしれない。そんな安堵の気持ちで席を立とうとした真麻に、橘が問い掛けた。
「あなたは、どうだったんですか?
「……はい? なんのことです?」
「あなたは確か、ご主人を早くに亡くしていましたね。確か……莉子さんが10歳のときに、亡くなられたはずだ」
「ええ、そうですけど……」
「あなたもご主人も、わかっていたのですか? <宿主>になることで、ご主人の命が削られる可能性があることを」
コートを手に持った真麻は、なにも答えず、黙ったままだった。橘はなんとか答えをもらおうと、言葉を続ける。
「もしわかっていたとしたら、あなたはどんな気持ちで、ご主人を<宿主>にしたんです? 早死にさせるかもしれないのに……」
「だから、なんだっていうんです?」
真麻が目を細めて橘を見る。もともと切れ味の鋭い美貌を持った真麻だが、今はより冴え冴えとした美しさを、表情に湛えていた。
「私たち魔女は、そんな<宿主>の命を背負って生きなきゃないんですよ。自分が魔女として生まれたことを恨んで、愛する人を失いながら生きる――それが魔女なんです。でも私は……莉子にはそんな悲しみを背負わせたくはなかった」
「でも莉子さんは、あなたと同じ魔女です」
「ええ。魔女から生まれた女の子は、魔女になると決まっています。その運命から逃れることはできない」
ゆっくりと足を進める真麻は、ドアの前で立ち止まった。そして、橘へと振り返る。
「莉子は女の子としては平凡だし、魔女としても落ちこぼれで、どうしようもない子です。だからこそ私は、あの子を魔女として産みたくはなかった。<宿主>の命を奪うことのない、普通の人間として生きてほしかったんです」
橘はなにも言わず、真麻を見つめていた。その視線の中でお辞儀をすると、真麻は部屋を出ていった。
*
「ただいまー」
真麻が家に帰ると、玄関にはすでに莉子の靴があった。帰宅しているのだろうと、明かりの点いているリビングに顔を出したが、そこには莉子の姿はない。
「莉子ー。どこにいるのー?」
真麻が声を上げても、返事はなかった。
「莉子、いるの?」
莉子の部屋をノックするものの、返事はなかった。でもかすかに、モゾモゾと動く音がドア越しに聞こえてくる。
「入るよ」
ドアを開けると、暗い部屋の中で、ベッドの上に横になっている莉子の姿が見えた。
「……なにやってんの! 電気ぐらい点けなさいよ!」
部屋の明かりを点けると、床の上に『<種>図鑑』が開きっぱなしで置かれている。近づいてみると、<蘇生の種>のページが見えていた。
「また、こんなもんばっかり読んで……」
真麻が図鑑を拾い上げると、
「ねぇ、ママ」
と莉子が背を向けたままで声を上げた。
「<蘇生の種>って……私でも作れるのかな?」




