5-3
警視総監に訊かれたあのとき、
「交際している女性はおりません」
と答えてしまったのは失敗だった。「交際十年の恋人がいます」とウソでもついておくべきだった。いや、ウソをついたところで、
「その女とはさっさと別れて、うちの娘と結婚しろ!」
と言われていた可能性だってあり得る。
それにあのとき、「交際している女性」という言葉に導かれて、一瞬だけ莉子の顔がよぎったのも腹立たしかった。もちろん、それはすぐに頭の中で打ち消したものの、自分が彼女にそんなイメージを持っていたとは思わなかったのだ。
彼女は魔女で、自分は<宿主>なのだから、交際相手だといえばそうなるのかもしれない。だけど莉子の<宿主>になる決断は、橘にはまだできていない。この前、佐藤のおばば様が言っていたことがずっと引っかかっているからだ。
<宿主>が自らの魂のエネルギーを用いて、魔女の秘められた解放する。それがことによっては、<宿主>の命を縮めることになるなど、魔女はやはり人間を食い物にしていると言えるだろう。
そんなものに、協力などしたくない。協力しなかった――というよりも、協力を拒否された兄でさえ、結局は破魔女によって殺されかけたではないか。
でも、橘が<宿主>にならないと、彼女は破魔女になる。そのために、自分が<宿主>になるべきなのか……。いや、そんな義務感たっぷりの理由で<宿主>にはなりたくない。だが、莉子を救いたい気持ちはある。
そんなジレンマの中で、橘は大きなため息をついた。
彼女を――魔女である莉子を嫌いなら、それで話は済むのだ。彼女が破魔女になろうと、知ったことではない。だけど、田中みずほを退治しようと躍起になっていた自分を励ましてくれた彼女が、ふと心をくすぐるのだ。
――さっきの人たちがどんなことを思ってるかなんてよくわからないし、警察のこともよくわからないですけど、橘さんは間違っていないと思います。
あのとき、彼女はそう言ってくれた。自分の仲間である魔女を敵視している自分に、だ。
「間違っていない」と言ってくれるのは、うれしかった。兄の仇を討ちたい一心で、トクジンで必死にがんばっていた自分を、唯一認めてくれたのが莉子だった。
「橘さんは、間違えているんだと思います」
ふと声が聞こえ、空になりつつある皿を見ていた橘は視線を上げた。警視総監の娘は、にっこりと微笑み、テーブルの上にある橘の手に触れた。
「橘さんはエリートなんですから、破魔女の退治なんかせずに、ひたすら出世コースを歩けばいいんですよ」
*
莉子は、クリスマスのイルミネーションは嫌いではない。自分の誕生日である12月25日を祝ってくれているような気がして、いつも楽しかった。
だけど、今年は違う。自分のが破魔女になるカウントダウンをしているかのように、チカチカと光っているのではないか……と思ってしまうのだ。会社の帰りに、街を歩いていても、なんだか悲しい。橘の言う通りの「魅力的な女性」になる手だてが見つからないのも悲しい。
会社帰りの道をとぼとぼと歩いていた莉子は、悲しさを彩るだけのイルミネーションの中を通り過ぎ、地下鉄の駅に潜り込もうとした。そのとき、反対側の歩道に見慣れた姿があった。
「……橘さん?」
どうしようかと一瞬迷ったが、せっかくだから声を掛けようと思った莉子は、青になったばかりの横断歩道を渡ろうとした。しかし、寸でのところで足が止まってしまう。
橘の隣に、女の人がいるのが見えたのだ。
女性は遠目で見てもわかるぐらいの美人で、橘と仲よさげに腕を組んでいる。
莉子はその場で立ち尽くし、橘の動く姿を目で追いかけていた。
(そういえば……橘さんに、彼女がいるかもしれないって、考えたこともなかったな……)
<宿主>は、魔女の永遠のパートナーであるとはいえ、必ずしも結婚相手になるわけではない。だけど、彼女がいるのであれば、橘に<宿主>になってもらうのは、難しいのかもしれない。クソ真面目な橘のことだから、交際相手がいながら、莉子と<宿主>としての関係を結ぶことはしないだろう。
そう考えると納得がいく。「<宿主>になってほしければ、魅力的な女性になれ」という橘の条件は、遠回しな拒否だったのだろう、と。
橘は歩きながら、イルミネーションを見上げている。その隣で、彼と一緒に青い光に顔を照らされている女性こそが、「魅力的」に見えた。
2人はゆっくりと通りを抜け、大きな交差点の角を曲がろうとしている。その様子を見ていた莉子の近くで、ズン、と大きな音が響いた。
「きゃーっ!」
いくつもの悲鳴が、交差点の方向から重なり合って聞こえてくる。莉子は嫌な予感がして、交差点へと向かって走った。
街を歩く人々は、莉子とは反対に、交差点から遠ざかろうと走ってくる。そんな人々にぶつかりながらも、その中を泳ぐようにして、莉子は交差点へと出た。
そこでは、車道の車がいくつも逃げるように蛇行した動きをしていた。その先では、車をつぶすように車道を歩いてくる大きな固まりが、次第に交差点へと近づきつつあった。
「やっぱり……みずほさん……」
みずほがここに現れたということは、狙いはただ一つだ。莉子が振り返って反対側の交差点の角を見ると、そこには橘が立っていた。
「橘さん! 逃げて!」
莉子は叫ぶものの、周りの声にかき消されてしまう。上空を見上げて確認したが、パトロール中の魔女もまだ集まっていないようだ。
(ど、どうしよう……こんなに人がいるところじゃ、魔法は使えないし……)
でも、この状態を放っておくわけにはいかない。莉子は悩んだあげく、足下にある枯れ葉を一枚拾い上げた。
「クローニング!」
そう唱えて、息を吹きかける。すると枯れ葉は生きた人形のように動き出し、莉子の手から地面へと下りた。そしてしばらくすると、1枚が2枚に、2枚が4枚に……と分裂していく。
「ほら、行って!」
莉子が指を鳴らし、みずほのいる方を指し示すと、枯れ葉たちが一斉に飛び出していった。




