4-8
「……え?」
そんなはずはない。莉子は橘に、
「あなたが私の<宿主>です」
などと言ったことないし、他の魔女からも伝えたこともないはずだ。
なのに、隣にいる橘は、否定をしようとしない。
肯定もしないが、いつものようにクソ真面目な発言もしない。
こういうときこそ、
「なにを言ってるんですか。僕がこのちんちくりんな女性の<宿主>であるはずがないでしょう?」
とか
「魔女の手下になるなど、ごめんですよ」
とか、意地の悪いことを言ってくれればいいのに。
でも、橘は一切口を開こうとしない。神妙な顔つきでおばば様を見ているだけだ。
「その辺の事情は、わしは知ろうとも思わんし、訊くことはないのでのぉ。まぁ、2人でちゃんと話をすることじゃな。みずほと圭吾さんのように」
おばば様はカップに残っていたハーブティを飲み干し、ふぅ、と息をついた。
「そうじゃ。せっかくここまで来たのだから、あそこに寄っていってはどうじゃ? 橘さん、あんたなら場所を覚えておるじゃろ?」
「……あの、洞穴ですか?」
「ああ。みずほが圭吾さんを傷つけてしまったあの場所には、今のお前さんたちこそが行くべきだと思うがのぉ」
*
「……ごめん。車、止めてもらえる?」
おばば様の家からの帰り道、ふと声を上げた彼女に応じて、圭吾は車を止めた。そこは大きな山の麓で、道路からあまり離れていないところに洞穴が見えている。
圭吾が車を道路の脇に停め、彼女と一緒にその洞穴へと向かう。入り口は大人が屈んで入るほどの高さだったが、中は意外にも広々としている。
ひんやりとした空気が漂う中は、外の明るい世界が近くにあることを忘れそうなほどに薄暗く、もの悲しい雰囲気が漂っていた。
「ねぇ、ここ、よさそうじゃない? 周りに民家もないから迷惑をかけずに済むし、いざとなったらおばば様に処分してもらえそうだし」
「それってどういう……」
「私が破魔女になる場所としては、ぴったりだってこと!」
いつもおとなしいみずほにしては、妙に明るい声を上げていた。それが圭吾の不安を煽り、不安な表情にさせてしまう。
「本当にいいのかい? 僕が<宿主>にならなくても……」
「大丈夫だよ。だって圭吾さんには、夢があるんでしょう? 今の研究を続けて、世界中の人に新しいエネルギーを使ってもらわなきゃ! もしかしたら、ノーベル賞だってもらえるかもよ?」
確かに、今の研究は続けたい。もともと体が弱いながらも、命ある限りは研究に身を尽くしたいと思い続けていたのは事実だ。だけど、それは一人の人間……というか、魔女を犠牲にしてまで貫くべき夢かどうかは、圭吾にもわからなかった。
それに、<宿主>が必ずしも短命になるとは、決まっているわけじゃない。
「でも……わからないじゃないか!」
圭吾は自分を説得するように大きな声を上げると、洞穴の中で反響して、圭吾の耳に何度も響いた。
「僕が君の<宿主>になったからといって、早死にすると決まったわけじゃない。さっき、佐藤のおばば様だって言っていた。『<宿主>が早死にするかどうかは、<宿主>になってみなければわからない』って。だったら、たとえ僕が体が弱くても……」
「圭吾さん。私はね、私は……魔女でいることに疲れたんだ」
みずほはゆっくりと足を踏み出し、洞穴の奥へと進んだ。突き当たりの岩壁にそっと手を当て、その冷たさを感じる。
「私ってさ、なんだかよくわからないけれど、優秀な魔女なんだよね。いずれは大魔女になるって言われてるぐらい。でもそれは、私には全然うれしいことじゃない。母さんからは『絶対に大魔女になれ』って変なプレッシャーをかけられるし、魔女はもっとずるく世の中をうまくわたっていかないといけないって、みんなに注意されるし……」
「お前は魔女としては、優しすぎる」と何度言われたことだろう。
たとえ人間に迷惑をかけずに生きることを信条にしていても、人間を<宿主>にして、人間の世の中を擦り抜けつつ生きる必要があるのが、魔女だ。
そんな魔女の世界に住むには、確かにみずほは優しすぎるのかもしれない。
自分が破魔女になったとしても、<宿主>の命を助けようとしているのだから。
「……あ、でもね」
岩壁から手を離し、みずほは振り返る。
「魔女じゃなかったら、<宿主>の圭吾さんに出会えなかったと思うから、それは魔女の力に感謝かな?」
「みずほ……」
圭吾は強く拳を握り締めた。これまで、自分が生まれつき体が弱いことを、恨んだことはなかった。だけど今初めて、この体を恨み、憎んでいる。
「悲しい顔、しないでよ!」
みずほは圭吾へと駆け寄り、明るい笑顔を見せた。
「圭吾さんはきっと長生きして、すごい研究をする人になるんだから! ……で、私なんかじゃなく、普通の人間の人と恋したり、結婚したりするといいよ」
「……そんなこと、できると思ってるのか?」
「え?」
みずほが見上げた圭吾の瞳には、涙が溜まっている。なぜ泣いているのか――そう問いかける前に、圭吾はみずほを抱き締めていた。
「みずほ以外の……他の女なんて好きになるわけないだろ!」
彼に触れられた部分が、ジンと熱くなる。それが体の奥へと伝わり、大きな渦になって、みずほを飲み込もうとしていた。
「この男を、早くお前のものにするんだ」
みずほの魔女の本能が、甘い声で囁いている。でも、これに負けちゃいけない。
それでも今は、彼とこのままでいたい。
そんなアンバランスな気持ちのままで、みずほは圭吾の腕の中に沈み込んでいた。