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「さっさと<眠りの種>を飲ませるんだよ!」
「ほら、橘さんのコーヒーカップに入れちゃえ!」
色とりどりのかけ声が、3人がいる席から聞こえてくる。
(そんなに簡単にはできないってば!)
<眠りの種>を飲ませなければならないプレッシャーと、橘を騙すことへの罪悪感に飲み込まれている莉子には、3人の声は邪魔な雑音でしかない。
王子を殺すことを姉妹から勧められた人魚姫のような気持ちになりながら、莉子はなんとか橘と会話しようとした。しかし、本当に人魚姫になってしまったのか、緊張でなにも話せはしない。
口を魚のようにパクパクと動かすだけの莉子を見て、橘は明らかに怒りを表情に浮かべ始めていた。
「……お話がないようでしたら、これで失礼しますよ」
「ま、待ってください!」
席から立ち上がろうとする橘を引き止めようと、莉子は大きな声を上げた。
「えっと……みずほさんの妹さんから、みずほさんに関する情報を聞いたんです!」
その場しのぎで言った言葉なのに、橘はピクリと反応を示し、目の色が変えた。そしてすぐさまイスに座り直すと、莉子をじっと見た。
「それって、本当ですか?」
あまりにも真剣な表情に、莉子の緊張はさらにレベルアップしてしまう。
(そんなに、真剣に見つめられると……)
照れもあって、赤くなりながら、莉子はぽつりぽつりと話し出した。
「みずほさんと橘さんのお兄さんは、とても仲がよかったそうなんです」
「ええ。それは僕も認めます。一度だけ2人でいるところを見たことがありますが、至って普通のカップルに見えた」
「そうですか……。じゃあ、圭吾さんは、自分がみずほさんの<宿主>だと気づいていたようだったとのことなんですが、それについてはどう思いますか?」
「気づいていたとしても、兄が<宿主>になろうとは考えなかったでしょう」
「えっ? そうですか?」
「ええ。だって兄は、最後まで<宿主>になろうとしなかったのですから、そう考えるのが当然ではないですか?」
「でも、ひかりちゃん――みずほさんの妹の話だと、違うんです」
莉子は後ろの席にいる、ひかりをちらっと見た。彼女が言ったことには、ウソはないはずだ。そして今のひかりには、莉子が話そうとしていることを止める様子もない。ならば……と莉子は深呼吸をして話し出した。
「みずほさんと圭吾さんは、みずほさんの25歳の誕生日が近づくにつれて、ケンカをするようになったって言うんです。そのとき、圭吾さんは『自分が<宿主>になる』と言っていたらしいんですけど……」
「それは、ウソだ!」
橘は突然、テーブルを叩いた。テーブルの上にあったカップたちが怯えたように震え、その振動がカフェ中に響く。
カフェにいた客も店員も皆、莉子と橘を見ていた。そんな視線を気にすることなく、橘は怒りを莉子へとぶつけた。
「兄がそんなことを言うはずがない! 兄は田中みずほに殺されそうになったんだぞ!? ……いや、殺されたも同然だ! おそらく兄が目覚めることはもうない!」
3日前に見た兄の姿を思い出し、橘は握った拳を震わせた。一人の人間の人生を狂わせたことを否定しようとする目の前の魔女は、橘にとってはすでに敵と認識されるものになっている。
橘はレシートを手に取ると、再び立ち上がった。
「そんな話をするために僕を呼び出すなんて、随分といい度胸だ。見上げたものですね。これで失礼しますよ」
「……どうして信じてくれないんです!」
今度は莉子も負けじと立ち上がった。
親友であるひかりが言ったことをウソとして扱う人間は、たとえ<宿主>だとしても許すわけにはいかない。
(この、石頭男!)
心で叫んだ暴言を添えて、莉子は食ってきらんばかりに橘を睨んだ。
「橘さんのお兄さんがみずほさんの被害になったのは確かでしょうが、その原因がなんだったかなんて、その2人にしかわからないことでしょう? だったら、ちゃんと調べた方がいいに決まってるじゃないですか!」
「調べる? 被害者は意識を回復せず、加害者は破魔女で話を聞けるような状態じゃないのに、どうやって調べると?」
嫌みったらしく眉を動かす橘へと、莉子は鋭い視線を向けた。もしかすると初めてかもしれない。彼をこうして真正面から見たのは。そして、物怖じせずに彼と話すことも。
「わかりました! 私が佐藤のおばば様に、みずほさんと橘さんのお兄さんのことの真相を確かめに行ってきます!」
「……佐藤……って誰ですか?」
そのとき、亜由美が思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと、莉子! 話が変わって来てない!? <眠りの種>はどうしちゃったの!?」
その口を友香が押さえ、
「シーッ!」
と黙らせる。
「……とりあえず、莉子ちゃんがどんな判断をするのか、見ておこうよ」
友香のその言葉に、隣にいるひかりもこくんと頷いた。
3人は口を閉ざし、じっと莉子の様子を窺っていた。いつも引っ込み思案で、みんなの後をヨチヨチとついて歩いている莉子が、橘と対等に話している姿は、別人としか思えない。
「みずほさんと圭吾さんは、私たち魔女の中でも、もっとも権威のある大魔女に相談しに行ったようなんです。その人に聞けば、2人がなにを考えていたのか、わかるはずですから!」
佐藤のおばば様が真相を明かしてくれれば、橘も納得するだろう。そしてみずほの処分についても、道が開けるのかもしれない。
莉子はただ、そう思っていただけだった。だが橘は、考え込むような表情をしながら、手帳を取り出す。
「……それ、僕も同行します」
「へ?」
「僕は橘圭吾の弟です。その佐藤さんという方に、兄のことを訊く権利があると思いますが」
確かにその通りだが、佐藤のおばば様が警察の人間と会ってくれるだろうか?
いや、それよりも、なぜ話がこんな方向に進んでしまったのだろう?
そんな莉子の戸惑いをよそに、橘は手帳でスケジュールを確認し始めていた。
「では、今度の土日はいかがです? その佐藤さんはどちらにいらっしゃるんですか?」
「長野ですけど……」
「わかりました。では、僕が車を出しますので、一緒に行きましょう」
「よかったら、私の箒を使ってもいいですよ。箒だったら、10分もあれば着けますし……」
「結構です。魔女の魔力の世話になるわけにはいきませんから」
橘はきっぱりと言うと、手帳を閉じた。
「なんか……変な方向に話が進んじゃったね……」
ひかりの言葉に、友香は肩を竦めて苦笑いした。
「悪くないんじゃない? 2人で長野へドライブデートだと思えば。ねぇ、亜由美?」
「う、うん……」
亜由美は自分の作戦が、思わぬ方向に進んだことにあぜんとしながら、ただ頷いていた。




