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「でもさ、友香のお父さんの命日って今月末じゃない? ヒマな時間なんてあるの?」
ひかりの指摘に、友香は
「……あ、そうだった!」
と甲高い声を上げた。
「お父さんの法事まであと2週間だから、お母さんと一緒に準備しなくちゃいけないんだ! ……ごめんね、莉子ちゃん。おばば様のところには、すぐには行けないよ……」
「気にしないで」
いつもおっとりしている友香が、慌てふためくのは珍しい。箒の上でジタバタと足を揺らす彼女を笑顔で見つめながら、莉子は尋ねた。
「友香ちゃんのパパが死んで、何年になるんだっけ?」
「12年かな? 莉子ちゃんのお父さんが死んでから3年後のことだったはずだから」
「早いねぇ。あのときの友香は、こっちが辛くなるぐらい落ち込んでたもんなぁ」
亜由美が街の様子をちらっと見ながら言うと、友香は照れるように頬を赤くした。
「あのときはみんなが一生懸命に励ましてくれたから、頼もしかったよ。それに、魔女は母子家庭率が高いから、やっぱりうちもそうなるのかなーって思ったんだよね」
「そうそう! わかるー!」
「私もパパが死んだときは、そう思っちゃったよ!」
そういえばそうだった、と莉子はみんなの話を聞きながら思っていた。
魔女はなぜか、母子家庭で育つことが多いのだ。それは魔女の<宿主>が結婚相手とならず、シングルマザーとなる魔女が多いのが大きな原因なのだが、父親と死に別れてしまっている魔女も少なくない。
「……よし! とりあえずみずほさんのことは置いておいて、莉子は橘さんを<宿主>にすることを考えないと!」
冴えた夜空に響きわたる声で、亜由美が突然叫んだ。
「あんたの<眠りの種>はサイコーに効くんだから、橘さんにもさっさと使っちゃいなって!」
「それで寝込んだ橘さんを襲えっていうんでしょ? それは犯罪だってば!」
警察の人間を相手に犯罪をするなんて、冗談じゃない。莉子はほのかに怒りを滲ませて睨むが、亜由美は自信満々の表情を見せている。
「ふふん。犯罪じゃなきゃいいんでしょ?」
亜由美はなにか作戦を思いついたようで、鼻の穴を目一杯膨らませていた。
*
「……それで、橘。お前は管理番号452の破魔女――田中みずほについて、どうするつもりだ?」
「どうするもこうするも、これまで通り殺処分する方針でよろしいかと思いますが」
橘は室長の薄毛の頭を見下ろしながら答えた。今話したこと以外に、なんの答えがあるというのか――そんな自信をたっぷりと添えて。
それにしても、久々に室長のデスクに呼び出されたと思えば、こんな話をするためだったとは。くだらないにも程がある。
「しかしなぁ……他の職員から苦情が出てるんだよ。これ以上トクジンで田中みずほを追い回すのは無駄じゃないかと。実際、俺も田中みずほに関しては、処分は魔女に委ねた方がいいような気もしているんだが」
「しかし、魔女も田中みずほの処分には苦労しているのでしょう? 魔力が強いうえに、逃げ足も速い。ならば、我々トクジンが処分を担うのは当然ではないですか?」
トクジンの部署内で今、多くの視線が自分の背中に集まっていることに橘も気づいている。おそらく皆、橘が田中みずほの退治を諦めることを願っているのだろう。どいつもこいつも、田中みずほの殺処分から逃げたい腰抜けどもばかりだ。
これが警察庁の「エリート」と呼ばれる連中なのだから、呆れたものだ。橘はわざとらしくため息をつき、残り少ない髪の毛を引き抜かんばかりの視線を室長に向けた。
「田中みずほは、多くの被害者を出している破魔女です。市民を守る立場の我々が、田中みずほを攻撃することは、義務と言えます」
今度は室長や部署内の職員から一斉にため息が出た。これでまた、田中みずほと戦わなくてはなくなってしまった――そんな絶望の気持ちを込めて。
そんな絶望など、すべての望みを絶たれてしまった兄のものに比べれば、大したものではない。
橘は室長に一礼すると、そのまま部署を出ていった。今日は午後から非番なので、久々にあそこに行かなくては――。
*
5階までエレベーターで上がり、降りた先の廊下をまっすぐ進む。ナースステーションと3つの病室を通り過ぎた先にある、薄いグリーンのドア。そこに向かって橘は歩いていた。
いつも充満している消毒液の臭いにも、一昨年から通い続けるうちにすっかり慣れてしまった。無機質な病院の内装や、看護師たちの気の毒そうな視線にもなにも感じないほど、鈍感になっている。
橘はその個室のドアをノックし、そっと開けた。廊下と同じ消毒液の臭いで溢れる病室には、一定のリズムを刻む計測音が響いている。脈拍や呼吸数を表すデジタル表示に目を遣りながら、橘は窓際にある巨大なベッドの横に立ち止まった。
ベッドの上では、兄の圭吾が眠っていた。辛うじて命の淵でぶら下がるために、いくつもの管につながれた姿で。うっすらと髭の生えた顔には血の気はほとんどなく、本当に生きているかどうかも疑わしいほどだ。
「兄さん、なかなか来られなくてごめん。兄さんの敵を討ちたいと思ってるんだけど……なかなかうまくいかなくてね」
兄は返事をすることはない。それを知りながら、橘は話し続ける。
「どうやら田中みずほは、兄さんを狙っているみたいなんだ。一体これ以上、兄さんになにをする気なんだろうな……」
橘はベッドにかけられた毛布を避け、兄の手に触れた。力がなく、ただ白い物体になっている手の中指には、ペンだこがまだ残っている。これは圭吾が研究者だった証だ。筆圧の高い兄は、ガリガリと音を立てるようにして、実験の結果などをいつもメモしていた。
生まれつき体が弱かったが、勉強がよくできて、いずれは世界に名を馳せる研究者になるだろうと期待されていた兄だった。やさしくて真面目で、どんな人にも愛される人だった。新しいエネルギー開発の研究の道を選んだのだって、決して私利私欲のためじゃない。
「金持ちだとか貧乏だとか、そんなの関係なく、この世のすべての人たちが、クリーンに自由に使えるエネルギーがあったら、最高だろ?」
そう言って、貧しい地域の人たちにも新しいエネルギーを与えたい……とがんばっていたのに。なぜ、あの魔女に身を滅ぼされなくてはならなかったのか。
「兄さんはやさしいから、自分がこんな目に遭っても、きっと田中みずほのことを許そうとするんだろうな。でも僕は……許せない」
橘は兄の手を離し、今度は自分の両手をぎゅっと握った。
「魔女だろうと人間だろうと、人の未来を奪うやつを、許すことはできない」




