3-9
「僕と兄はよく似ているんです。兄は生まれつき体が弱く、3歳下の僕よりも小柄で細身ですが、顔立ちはかなり似ている。それに、おかしいと思ってはいたんです」
「おかしいって、なにがですか?」
「僕が屋外での勤務があるときに限って、その場に田中みずほが現れるのです。今日だって、来月におこなわれるイベントの、警備体制の確認のためにここに来ていたんです。そしたら、あなたから『田中みずほが湾岸に現れた』と連絡が入った」
橘は操作を止めると、莉子にタブレットを見せた。画面いっぱいに広がった地図の上に、赤い点と日付が表示されている。
「これは、田中みずほが都内に出現した日時と、場所のデータです。それに、そのときに僕がいた場所を重ね合わせてみます」
橘が画面をタップすると、青い点が現れた。それは最初に表示されていた赤い点と、見事に一致している。
「つまりみずほさんは、橘さんのいるところに出没してるってことなんですか? でもそれって、本当は橘さんじゃなく……」
「そう、きっと僕を兄だと勘違いしているんだと思います。あいつ……兄にあんな酷いことをしておいて、まだなにかしようというのか!?」
苦々しい顔をして、橘は舌打ちをする。
兄が被害を受けた橘の辛く苦しい気持ちは、莉子にも理解できる。現在のみずほの動向に対する大きな怒りも、とりあえずは納得できるのだ。
だけど、橘の考えに100パーセント同意することはできずにいた。莉子自身が魔女側の立場にあることを差し引いても、橘が考えているような理由でみずほが街に出没しているわけではない気がして……。
(だって、あのときの……橘さんを見つけたときのみずほさん、うれしそうだったし……)
自分の<宿主>である圭吾と間違えているとはいえ、橘を見つけて、
「……いた!」
「……見つけた!」
と叫んだときのみずほの声は、明らかに弾んでいた。恋をしている女性のような、明るくて甘ったるい、キラキラしたものだった。
あんな声を、攻撃しようとする人に向けるものだろうか? <宿主>に――圭吾に会いたいと願っていたからこそ、あんなうれしそうな声を上げたのではないのか?
でも、そんな莉子の考えを橘に言う気にはなれない。どうせ
「あなたの考えは、甘いですね」
などと言われて、みずほによる被害の数々を羅列されて終わるに決まっている。
それでも、みずほの本当の目的を知るには、橘の知っていることを探らなくてはならない。莉子は箒を持つ手に力を入れて、勇気を振り絞った。
「……あの、橘さんのお兄さんって、本当にみずほさんの<宿主>になることを拒否していたんですか?」
「ええ、そうですよ。兄が田中みずほと交際をしていたことはあったようですが、兄は『自分は彼女の<宿主>にはなれない』と、はっきりと言っていましたから」
(みずほさんと橘さんのお兄さんは、付き合ってはいたのか……)
ならば、みずほの妹であるひかりはなにか知っているだろう。今度は、ひかりにいろいろと聞いてみる必要がありそうだ。
莉子が新たな決意をしていると、橘はタブレットの電源を切り、こちらを見て微笑んでいた。
「それにしても、すごいものですね。あなたがあんな壁を作れるなんて、知りませんでした」
「え? 壁……ですか?」
「僕を助けてくれた、あの灰色の壁のことですよ。田中みずほが逃げたのと同時に、消えてしまいましたが」
「……あーっ!」
大声を上げてしまった莉子は、とっさに口を両手で塞いだ。
(そ、そうだ! 私、あのとき、すっごい分厚いシールドを作ってたよね!?)
これまではどんなに精一杯「シールド」を唱えても、もなかの皮レベルのものしかできなかったのに。今日はとんでもなく分厚く、しかもみずほの魔力に耐えうるだけのものができてしまっていたのだ。
莉子の本来の魔力では、あんなことができるはずもない。今日に限って、どうしてあんな立派な壁を作ることができたのだろう?
(もしかして、やっぱりあのキスのせい……とか?)
あのときのキスの感触を思い出してしまった莉子は、赤くなる顔を隠すように俯き、ちらっと橘を見た。もし、あのキスで魔力を上げることができたとするならば、やっぱり彼は本当に自分の<宿主>なのだ。
そのとき、ふと莉子の目の前が暗くなる。顔を上げると、橘が莉子に覆い被さるようにしていた。
「……静かにして」
莉子を何者かの視線から隠すようにしながら、橘が静かな声で呟く。すると、莉子たちがいる路地の先の大通りから、男たちの声が聞こえてきた。
「あーあ。橘のヤツ、なんでこんなに破魔女の確保に必死なんだろうな」
「あいつ、俺たちとは違って、超キャリアの超エリートなんだぜ? わざわざ手柄なんて挙げなくたって、偉くなれるんだからさー」
「なんでも、兄貴の敵を討ちたいってことで、破魔女を退治するために、わざわざうちの部署――『トクジン』に配属を頼んだって噂だぞ」
「めんどくせぇなぁ。そんなヤツに付き合わされたんじゃ、俺らは命がいくらあっても足りねーよ」
男たちの声と足音が聞こえている間、橘はぴくりとも動かずにいた。だけどその表情には、次第に怒りと悲しみの色が散りばめられつつあった。